今週末にはグレートなジャパニーズドライバーの祭典「タイムマシーン・フェスティバル」が富士スピードウェイで開催されますが、じつはその前に、本日3月24日はアメリカのとあるグレート・レーシングドライバーが永眠された日でもあります。
そう、スピードトライアルの偉大なるレーサーだったフレッド・ラーセン氏の3回目のご命日なのです。
フレッド・ラーセン氏は、(ご存知の方も多いと思いますが)ストリームライナーと呼ばれる最高速度記録専用のレースカーをドライブし、ユタ州のソルトフラッツで1992年に時速307.227マイル(時速約492キロ)を記録した偉大なるレーサーでした。
彼は1989年からムーンアイズのスポンサードを得てボンネビルにエントリーし、ブルーのボディに「MOONEYES OF JAPAN」のサインが入ったストリームライナーでソルトフラッツを走り続けました。
何よりもアキモトの頭の中では、真っ白なボンネビル・ソルトフラッツの大地の上に、空よりも真っ青なボディのストリームライナーが写っているムーンアイズのカタログ写真が印象的で、まさに夢のようなレースで活躍している偉大なるレーシングドライバーだったのです。
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残念ながら、アキモトはそのフレッド・ラーセン氏がボンネビルで実際にストリームライナーを走らせるのを見ることはできませんでした。
何度か訪れたボンネビルでは、たまたま塩(路面)の状態が悪く、記録更新の可能性が低いということで、フレッド氏がエントリーを控えたからです。
直接お会いしたのは1999年に「ムーンアイズUSA」を訪れたのが最初だったと思います。
むろん、それ以前にもUSAのショップでは何度か見かけていましたが、直接お話したのはこの1999年の夏が初めてでした。
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左の写真は1999年にムーンアイズUSAを訪れた際に、フレッド氏にお願いして一緒に写真を撮らせてもらった時のものです。
とても柔和な笑顔が印象的な方であったこと。また腕に彫られたタトゥーが鮮烈な印象として残っています。
フレッド・ラーセン氏は、後に「ムーンアイズ・横浜ホットロッド・カスタムショー」に来日し、会場でお見かけしたのが最後になってしましました。
当日会場でもらったサインは、御覧の写真と一緒に、今でもアキモトの書斎の壁にしっかりと飾られています。
ブルーのストリームライナーが走る姿は、残念ながら見ることができませんでしたが、ソルトフラッツの写真を見るたびに、今でも思い出すのはフレッド・ラーセン氏のやさしい笑顔です。
偉大なるレーシングドライバーであり、ホットロッダーでもあったフレッド・ラーセン氏を偲び、ここにあらためてご冥福をお祈りいたします。
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▲左右上:ちょっと古い資料ですが、2000年にボンネビル・スピードウィークへ取材に行った際に購入したパンフレットに、「ボンネビル200マイルクラブ」のメンバーが掲載されていました。最高速度記録会にエントリーし、時速200マイル(約320キロ)以上を記録したドライバーだけが入会できるこの200マイルクラブで、フレッド・ラーセン氏は1959年に時速206.95マイルを記録してメンバー入りしています。



