このところブログ上に出てこない、自称「ブログ引きこもり」状態が続いていた……。怠けていたのではなく、まさしく引きこもりたい状態だったのだ。
話は前後するが、先日、彼女とごはんを食べに行った時のこと。アットホームな雰囲気で、ご飯も美味しかった。食後、ご主人と話していた彼女がこんなことを言っていた。「ホント美味しかったですよ。“気難しい”彼も大満足みたい」
――これにはさすがにピキっときた。彼女にしてみれば、特に深い意味もなく、冗談半分だったのだろうが。まあ、確かに僕は気難しいかもしれない。でも自分で自分を擁護させてもらえるなら、気難しいのではなく、感情が繊細なのである。相手の何気ないひと言、ちょっとした態度からも、その奥の奥にあるものが感じられてしまい、それが自分の感情に影響をあたえてしまう。
人から見れば気難しいのかもしれないが、それは外部からの刺激に敏感すぎるから、わずかな刺激にも感情が動かされてしまい、気持ちが沈んでしまうから。そう自分では自分を分析している。
ま、ブログ引きこもりのきっかけにも、そういったことがあったとご想像いただきたい。
しかし、ガレージ・ライフ32号(6月1日発売)の校了も終わった今、忙しさにかこつけて引きこもっていることもできなくなった。復活したい。でもそのタイミングが……と思っていたこの2~3日。そして、今日、そのきっかけとなるものがあった。それは一杯のラーメンだった。
東京・新宿にある某ラーメン屋。以前に通りかかって、その時はお腹一杯だったので、「ここはなかなかいけそうだな。いつか食べてやるぞ」と思っていた。校了も終わってちょっと時間もあったので、今日食べに行ってみた。
実は、ここのところ再びラーメン・マイブームがやってきていて、ラーメン屋めぐりが続いていた。しかし、出会うラーメンにはことごとく失望。単にうまい、まずいの問題ではなく、僕はラーメンって元気や感動をもらうものだと考えている。たいしてうまくないラーメン、あるいは心無い店員の態度に触れると、逆に元気を吸い取られるような気すらする。ラーメンを食べても、気概が高揚することのない日々が続いていた。
そして今日だ。前述のラーメンを食べに入った。まず驚いたのが、500円という安さ。おおっ、それだけでうれしくなる(実際食べたのはメンマトッピングで700円)。店員も、決してアットホームな感じではないが、真剣に仕事に取り組んでいるという雰囲気が伝わってくる。
そして出てきたラーメンは、かなりの大盛り! メンマもどっさりだ。この心意気、お客への愛? に心が熱くなる。メンは細めの平打ちとでもいおうか、一般的な東京のラーメンからすると、柔らかめ。しかし、この柔らかさに、僕は温かみを感じた。スープはあっさり目のしょう油。トンコツでギトギトしていることも、魚系ののどにひっかかるような嫌味もない、まさしくオーソドックすなダシの効いたしょう油ラーメンのスープだ。
このラーメンには、どこか懐かしさすら感じる。そしてこのラーメンは、食べるというよりむさぼり食う! という感じだった。うまいものを無心でひたすらにむさぼり食う、かっこむ。そんな食べ方をしている自分は、ここのところなかったのではないか? 食べおわって店から出るときには、なにか肩の荷が下りていたように感じていた。まさしくこのラーメンからは元気をもらった、勇気付けられたように思う。
(ただ、“気難しい”僕があえて難点を挙げるとするなら、ラーメンの湯きりが十分でないせいか、ゆでているお湯がにごっていたせいか、麺についているゆで汁の残りがスープを汚していた。この点は残念だったが、まあそれも大して気にならない大らかな自分がいたわけだ)
今回の話は、おそらくわかりにくく、あまりに個人の内面的な話であり、別にブログにあげるようなことでもないかもしれない。だが、僕にとってブログは、心の中のホンネを吐露する場。教会で神父に懺悔するようなものかもしれない。ただし、このような雑誌の公式サイト、公式ブログではそれにも限界がある。しかしそれでも、あまりに心のないブログはあげる気にならない。このブログでも、さしつかえない範囲でホンネを語っていきたいが、もしかすると自分個人のブログ、自己満足の現在進行形的な自伝、私小説のようなブログを立ち上げる必要もあるのかなと考えている。おそらく、多くの方のブログはそういうものだろう。誰に読まれなくてもいい。自分自身に語りかけ、自分と向き合う。まずそれあってのブログだろう。だからこそ、読む側にも、書き手の本当の感情、心の本当の姿を覗くようなぞくぞくする部分があるのがブログなのだ。
ガレージ・ライフ誌をとりまく環境も、この2~3ヵ月で大きく変わった。事業部が立ち上がり、クラブもできた。ますますネットの重要性が高まってきている。本来雑誌屋である我々が、どこまできめ細かなネット運営ができるかわからないが、そんなことを言っていられない時代になっている。しかし正直にいえば、ひと昔前がなつかしい。



