ガレージ・ライフ ブログ

2007年06月20日

★★改正道交法★★ホンディ大石の裏ガレージライフ

改正道路交通法が6月14日の衆院本会議で可決、成立した。これによって、酒酔い運転やひき逃げに関する罰則が強化された。

僕は酒は飲まないが、それをなしにしても、酒を飲んでクルマやバイクを運転するなんて、そんなのには運転者の資格はない。いや、人殺し予備軍であり、市民テロリストだ。実際、何人、何百人の無垢な市民が犠牲になっていることか……。

正直、僕の身近なところにも市民テロリストがいる。そういう話を聞くたびに嫌だ嫌だと思っていたのだが、まあ波風も立てられないから強く注意はできなかった。が、今後はもしそういう現場に居合わせたら、きつい調子で詰め寄ってやろう。それが国民としての義務になったのだし、見逃せば自分も罪に問われるのだから、なおのことだ。

で、改正道交法では、地味な話だが、自転車に関する案件もある。これまで、4~5歳の子供は歩道を走ることを許されていたのだが、13歳以下の子供もOKとなった。また大人も、道路工事などでやむを得ないときは歩道を走っていいことになった――ということは、自転車は歩道を走ってはいけなかったのである!

みなさん、このことを知っていただろうか? 「自転車歩道通行可」の標識のある場合を除いて、自転車は歩道を走ってはいけない、車道を走らなくてはいけないのである!(「自転車歩道通行可」であっても、歩行者優先で徐行しなければならないし、チリンチリンなどと鳴らしてもいけないのだ)。

そう、自転車というのは、免許が要らないせいで歩行者と同じ感覚で考えられるが、扱いはむしろ原付に近いのである。車道で左側通行をしなくてはならない、酒気帯び運転禁止、無灯火禁止、一時停止は守らなくてはならない、並列、手放し、犬を引いてなども全て禁止。交差点は2段階右折をしなくてはならない。

しかしぶっちゃけ、クルマを運転していると車道を走っている自転車はかなりうざい。逆に歩道を歩いていると、その横を猛スピードで通過していく自転車はうざいどころか、危険きわまりない。自転車というのは、非常に便利だし、僕も小学生~高校生の頃は散々お世話になったのだが、交通社会全体の中では、中途半端な存在なのである(もちろん、道路の幅や専用レーンの有無などのインフラの問題もあるのだが)。

同様に原付も交通社会の中では中途半端な存在だ。30キロ制限や2段階右折といった制約があり、実際問題スピードも出ない(出せない、出ても安定感が悪い)から、クルマの流れに乗れずに非常に危険である。自転車と原付は、F1レースに迷い込んだサンデードライバーの軽自動車なみの存在なのである。

まあ、原付はまだ免許制だし、一般的には自動車の端くれと認識されている。ところが、原動機のない自転車の認識は甘いといわざるを得ない。子供から中高校生、主婦、オヤジ、年寄りまで、縦横無尽に走り回り、歩道をかっ飛ばして歩行者にぶつかっていくし、夜も真っ暗な中ライトもつけずに、いったん停止もせずにすっ飛んでいく。実際、2006年度、自転車による交通事故は17万4262件起こっているそうだ。これは10年前から25%の増加。特に自転車が歩行者をはねた事故は2767件で(死亡事故もある)10年前の4・8倍になっているという。

自転車の事故を防ぐためにも、自転車に対する認識を改めさせる啓蒙活動が必要だが、どうしたらいいのだろう? 道交法でどうでもいいようなことを改正するよりも、こういったもっと根本的な部分を考えるべきだ。小学校で講習会を義務化するとか、メーカーは自転車に運転の法的な面や技術的なことを織り込んだパンフレットをつけなくてはいけないとか。警察も、最近は自転車の違反を取り締まるようになっている。2007年の1月から特に強化され、4月までの検挙数は、2人乗りなどの乗車・積載違反が55件、信号無視が33件、遮断踏切立ち入りが10件など計116件になっているらしい。これは2006年度の1年間のすでに半数近くの数だという。しかし、こんなのは氷山の一角であり、もっとやっていいと思う。

自転車やバイクに関しては、駅前や住居周辺での放置の問題もある。また、問題は自転車だけではない。それら様々な問題に対する市民レベルでの意識の低さ、認識の甘さ、モラルの低さは、本当にどうにかならないのだろうか? 人はそれほどまでに身勝手でおろかなものなのだろうか?

余談ではあるが――

――人気アニメ『機動戦士ガンダム』のテーマもこういったところにある。野由悠季氏が監督したファーストガンダム、そして特に映画『逆襲のシャア』にはそんなテーマが色濃くうかがえる。

人類が自分達の身勝手で、地球を汚し、環境を壊して(最近の地球温暖化のように)いる時代、そういったおろかな人間のエゴを打ち砕き、そこからさらに一回り大きく知性を高めた人類に進化しなくてはいけない。そういったより広く深い洞察力を身につけた新人類が“ニュータイプ”なのである。

そういった人類の革新のために、サブ主人公たる“シャア”は、地球に隕石を落として寒冷化させることで、おろかなオールドタイプを抹殺し、かつ地球を休ませる、ことを思い立つ。まあ、その考えや行動はテロリストそのものだが、そのもくろみが成功していたなら、彼は改革者であり、英雄になっていたわけだ。テロリストと英雄が紙一重という例は、歴史を振り返れば枚挙のいとまがない。

そんなシャアを止めようとするのが、伝説の主人公アムロ・レイなのだが、正直このアムロの存在は非常に影が薄い。なぜなら、物語を作っている富野監督自身の思い入れはシャアの方にあるのだから。

シャアとアムロが唯一生身で取っ組み合う場面で、こんなセリフのやりとりがある(言い方はちょと違っているかも)。

シャア「人類のおろかさがお前にはわからないのか?」
アムロ「俺は貴様ほど人類に失望していない」
シャア「ならば、愚民どもに英知を授けてみろ! それができないから俺が行動するのだ」

なくならない酒酔い運転、自転車の身勝手な運転――。全ての人に英知を授けることができないから、道交法をはじめとする法が存在し、改正・強化されていくわけだ……。

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