日本でもクラシックカーイベントがあちこちで開催されている。そういうのに参加したいなと思っても、イベントによっては年式による制限があったりして、生半可な“旧いクルマ”では参加できないことも多い。
例えば、僕がまだ84年式のフェラーリ308を所有していたとしよう。すでに20年以上前のクルマだし、オリジナルは1975年だからすでに32年前になる。それでも、なぜか308はクラシックと認められにくいようだ。ディノ246はクラシック、でも308は違う。ここに線引きがあるのだろう。
そういう線引きをバイク、それもホンダのバイクで考えた時、例えばドリームCB750(1969~78年)は間違いなくクラシックだ。しかし、その次のモデル、写真のCB750K(RC01)は、クラシックとは考えられないようだ。例え30年前のバイクといえども。
このあたりの認識はなんなのだろう? 例えば、もっと若い20~30歳代の(クルマやバイクに詳しい)若者に聞いてみたら、異なってくるのだろうか? いやたぶん同じはず。“クラシック”という言葉には、旧いということだけではなく、“様式”の定義も含まれているのだろう。例えば、ドリームのようにシングルカムでなければならない、スポークでなければならない、メッキパーツを多用していなければならない…等々。
RC01のように、DOHC4バルブじゃいけないのだし、キャストホイールでもいけない、プラスチックのパーツやデカール類を多用するようなバイクは、旧くても“クラシック”ではないのである。
――ところで、なんでこんな堅苦しいクラシック論を展開したかと言えば――クラシックとしての評価のない旧いバイクでも、手が掛かるのはそれと同じ。例え名車と呼ばれなくても、それが好きで乗っている人間がいる。そしてそれは、僕と僕のRC01にも当てはまる。名車でもないし、クラシックとしての価値もない。しかし、このまま消えていくにはあまりに惜しい、さみしい…。
しかし、マイナーなバイクだから、いつかは消えていかなければならない。こんな旧車を維持していこうなんて奇特な方はごく少ないだろうし、トラブルも増えてくる。パーツもでなくなる。僕のRC01も、最近Fフォークからオイルが漏れて修理した。それを修理したその時に、今度はエンジンからのオイル漏れが発見された。こうなると、もうイタチごっこである。旧いバイクと旧いバイクのオーナーにやすらぎの時はないのか? だったらいっそ手放して…。そんなことを考えてしまう。
折も折、今度の東京モーターショーで、新型の空冷CBが発表されるらしい(空冷ですよ、空冷? この時代に)。そいつが本当によければ、これを新車で購入し、最後の上がりのバイクとしてこれ1台のみと付き合っていく、我がバイクライフをリセットする――なんてことも考えられる。さて、どうなることか…。
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昔のCB1100Rをモチーフにしているのはいうまでもない新型空冷CB。ホンマに発売されるんか? 一説によれば、ドリーム風のネイキッドタイプもあるとか? 写真はホンダのHPより。



