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2010年8月19日

☆☆『ガレージ・ライフ』vol.45間近☆☆ホンディ大石の裏ガレージライフ

『ガレージ・ライフ』vol.45は9月1日発売予定。ここに至っても"予定"というところが慎重でしょ!?

今週あたりが原稿書きもピーク。なのだが、筆が進まない。筆が、なんていうとずいぶんとエラそうだが、どうにも書けなかったりする。

どう書いても、陳腐な表現になってしまう。

この陳腐な表現とか、きれいなだけでうつろな言葉とか、僕は大きらいなのだ。

最近、最も見苦しいなぁと思うのが、夜9時のN〇Kのニュース。NH〇といえば、仮にも国営、じゃないけど、英国でいえば天下のBBCにあたる、仮にも我が国の最高(かどうかは大いに疑わしいが)のマスコミではないか。

それが見てほしい、あれを。ひとつのニュースが終わった後に男性のキャスター(ぷっ)がコメントをつけるのだが、その陳腐なこと。

「......今回の事件を反省とし、福祉の問題には真剣に取り組んでいかなくてはならないと思います」とか。おいおい、誰だってそう思っているよ、で、どうしたらいいんだっていうの? と猛烈に突っ込みたくなるような内容のないコメントなのだ。

言葉はキレイ(というのもいやだな)、整っているけど、そこには中身がない、気持ちがまったくないのだ。あれで「こういうことを言えるぼくちゃんは、なんて知的で素晴らしい人間なんでしょ」なんて思っているとしたら、どんだけレベレが低いんだと思う。

〇NHに限らず、我が国のニュースとかマスコミとか、ジャーナリズなんてのは、大なり小なりみんなこんな調子。

日本のマスコミは死んだ、どころか"悪"ですらあると思う。こんなものを見て育っていく子供は、どれだけ陳腐な人間になってしまうのだろうか。いや、それらを反面教師ととらえるくらいのセンスはあるだろうね、マスコミとは違って。

と、話はそれたが、ああいう見苦しい言葉を使いたくないのだ、僕は。そんなふうに志だけは高く持っているつもりなので、いい言葉が出ない、心の入った言葉が見つからない、などとここのところ大いに悩んでしまっていた。

そんな時に読んだもので、なんだか肩の力が抜けた思いがしたものがあった。そのブログはホビダス内の山田さんの『スピードキング日記』の この回のもの

一部を抜粋させていただくと、

「~模型雑誌でこのロータス79の記事を幾つか拝見しました。中には非常に素晴らしい記事もあるのですが、なんでしょう...。これらの記事を作った方々は、あの1978年のロータス79の衝撃を本当にご存知なのかな? と正直疑問にも感じました。
 なぜなら、どの記事からもロータス79への情熱や愛情を感じることができなかったからです。先般の話ともカブるのですが、キレイに良くできた記事であることは結構なのですが、ハッキリ言って何も感じられません。ちなみに俺はあの時期のロータスF1には誰よりも想い入れている自負があります。なのになんでだろ? どの記事を読んでも何の高揚感も感じることができませんでした~」

そうなんだよね。キレイな文章だけど、情熱や愛情を感じることが出来ない。裏を返せば、文章は整っていなくて、言葉はきれいでなくても、情熱やそれへの思いが込められていれば、読む人には通じるものなんだ。

なぜかといえば、読む側にも情熱があるんだから。同じ思いを共有するもの同士、多くを語らずとも、たった一言、たった一つのエピソード、たった一つのジョークで通じ合えてしまうものなのだ。

山田さんのこのブログだって、きれいな言葉や文章は使っていない。率直な思いを率直な言葉で書いているだけ。

でも、うん、そうだよね、と共感できるのは、同じ編集者であり、趣味への情熱をもつ同じ種類の人間だから、だろう。

このブログには、今回はずいぶん助けられた。45号の僕の原稿も、けっしていい文章にはならなかったかもしれないが、思いを率直に書き表す、ということを念頭に置いて書いた。

さて、それでどういう原稿になったかは、買ってのお楽しみ! まいど!! ヨロシクっ!

(ま、そのころ大石は夏休みをとってどこかへ逃げてるからさ)


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