TAKU'S CARS「F40」http://shopping.hobidas.com/shop/hobidas-direct/item/ICH00002.html


BowさんのマセラティF1が素晴らしい、カーマガジン100号…


「1987年7月21日…私はこの日の出来事を一生忘れないだろう。なぜならその日はフェラーリ創立40周年を祝って製作されたニュー・モデルF40が、マラネロで発表された記念すべき日であったからだ。」
「…両脇を支えられながらエンツォ・フェラーリが入場してきた。89歳と高齢であるにもかかわらず、彼は実にハリのある声で挨拶をしてくれた。私はその肉声を一生忘れないだろう。」
カーマガジン323号「特集・誰もまだ本当のF40を知らない」の、ネコ・パブリッシングの笹本健次社長自ら書かれた特集の序文を読んで、「フェラーリをモチーフに作品を作るならまずF40しかないな」と決めていました。
F40の発表当時自分は17歳。「自分の時代のリアルタイムのスーパー・フェラーリが完成した!」と大変嬉しかった覚えがあります。当時自動車雑誌は勿論、一般週刊誌にまで、フェラーリ最先端のレースのテクノロジーを採用し、「世界最速」を誇示する大胆なその姿が紹介され、大変興奮しました。
笹本社長が自らマラネロに出向き、発表されたF40を取材、撮影した記事が載っているカーマガジンの100号を最近手に入れることができました。おそらくここまで詳細な写真、記事が掲載されたのは、同誌がはじめてだったのではないかと思います。この記事を見ると、21年前のあのときめいた瞬間にそのまま引き戻されるような気がします。
残念ながらエンツォ・フェラーリは、自らの命で完成させたF40を発表してからちょうど一年後の夏にこの世を去りました。その翌年の鈴鹿のF1グランプリ、130Rの前の芝生のままの観客席で走行セッションが始まるのを待っていると、ナイジェル・マンセルの駆るフェラーリ640がバックストレートを駆け降りてきました。ターボ時代から自然吸気エンジンのレギュレーションに移行して一年目、自分はその甲高く、美しい排気音に体が震える程の感動を覚えました。
「私はよろめくようにフィアット本社を出た。冬の薄暗い黄昏時だった。混雑した通りをさまよい歩き、ポー川の岸のバレンチノ公園のベンチにたどりついた。大きなカステロ・デル・バレンチノ像がすぐそばにあった。ベンチの雪をはらいのけて腰をおろした。私はひとりぼっちだった。父も兄もいなかった。孤独と失望で涙を流した。」
(ブロック・イェイツ著・桜井淑敏訳『エンツォ・フェラーリ・跳ね馬の肖像』より)
あの3.5リッター・V12の奏でた音は、90年前の冬にトリノの町で絶望した青年が、そこから立ち上がり、働き、苦しみ、憂い、喜び、嘲笑し、そして闘い続けた魂の叫びそのものだったのでしょう…

