「あのゴジラが、最後の一匹とは思えない…」(昭和29年公開『ゴジラ』山根博士/演・志村喬の台詞より)
昭和29年から21世紀の
平成16年まで制作され続けた怪獣映画、
「ゴジラ」シリーズ。
その主役である、ゴジラのキャラクターの「着ぐるみ」ですが、
個人的には、21世紀以降の映画に登場するゴジラの
キャラクターは、全て「ニセモノ」だと思っています。
昭和29年に誕生してから、40年もの間、
ゴジラは、前回のブログ記事に載せた、
昭和初期から東京都世田谷区に存在する撮影スタジオ内の
作業室で、数人の熟練の技術者が現在のように造型専用の材料も
ろくに流通していない時代から、工夫をこらしてその「形」を生み出し、
命を吹き込んでいました。
ところが21世紀になると、どういう事情か詳しくは
知りませんが、そのゴジラのキャラクターの制作元は
「外注」となり、デザインもトゲトゲしく、いかにも
「現代的」な雰囲気へと大幅に変ってしまいました。
自分は縁あって、「昭和のゴジラ」を制作していた部署で、
まさしくその、ゴジラそのものの「形」を生み出していた、
「親父」とも言うべき技術者の下で仕事をしていた時期が
あります。
ですがその仕事は「ゴジラ」関係の仕事ではありませんでした。
「親父」の性格は超ガンコ、
「俺は嫌な奴で名前が通ってんだ」
憎まれ口も叩きますが、その技術は自分からしてみれば
まさに「神業」のレベル。
造型技術の確かさと合理性、
それだけでなく、大工仕事、溶接、
なんでもプロのレベルでやってのけてしまう、
こんな映画人はもう現れることはないでしょう。
ある日、仕事とは関係なく、
ふらっと撮影所に遊びに行き、「親父」を訪ねたときのこと、
「次のゴジラ、また俺が作るかも知れない。
そん時はお前、呼ぶからな。」
既にその時点でゴジラのキャラクターは「外注先」が
制作していましたが、2004年の作品に限っては、
「本家本元」がゴジラを制作することになりそうだ、
そのときは自分を制作助手として呼んでくれる、
というのです。
これはうだつの上がらないレーシングドライバーに、
フェラーリから
「次のラウンドからウチのF1に乗りなさい。」
というオファーが来たのと同じようなことで、
怪獣の着ぐるみが作りたくて業界に入った自分に
とっては願ってもない話でした。
ところが、
これまたどういう風に話がこじれたのか分かりませんが、
「再びゴジラを親父の手で」
という企画は流れてしまい、やはり新作の映画に登場したのは
「外注先」のトゲトゲしいゴジラでした。
黒々とした表皮、
生命感の溢れるギョロっとした目玉。
ゴジラのアイデンティティともいうべき、
あの独特な形の背びれ、
長く、逞しい尻尾…
「本物のゴジラ」はどこに行ったのでしょうか?
います。
「再びゴジラ」の話が流れた直後、
東宝撮影所は大幅な設備や外観のリニューアルをはかり、
その際、新しい撮影所のゲートに置かれる、
象徴的なモニュメントとして、「本家本元」のゴジラが
制作されたのです。勿論「親父」が腕を振るったのは
言うまでもありません。
現在の「親父」のいる部署には、
そのモニュメント・ゴジラの「設計図」とも言うべき、
木板にフリーハンドで描かれた等身大のゴジラの絵が
あります。昔の怪獣は、こうして木板に絵を描き、
それを目安に制作していたのです。
このゴジラのシェイプはや雰囲気は、
ここでしか生み出せないのです。
最近、缶コーヒーのTVCMで、「ゴジラ」の
愛称で、図々しくも呼ばれ続けている野球選手とともに、
ゴジラのシルエットと咆哮がちらっと出ていますが、
あれは残念ながら、「外注」のゴジラでした。
先週久々に「親父」を訪ねると、そのCMを指して、
「あんなのゴジラじゃねぇよ」
と、一喝。
野球選手も「外注」ゴジラも、
「名前負け」しているぞ、
と言うことなのでしょう。
「親父」健在。
ゴジラは不死身なのでした。

