

自分がハナタレ小僧だった10代の頃、
当時TVCMにも登場するほどの、バイクレースのスター選手だった
平忠彦選手の写真集や雑誌の写真に、
いつもライダーの傍らにいて世話を焼いている日本人のスタッフの姿がありました。
後にその人物は、ヤマハNV(ヤマハ発動機のオランダ現地法人)に
所属する、荒木氏という人物だと言う事を知りました。
ライダー、そしてメカニック以外にも、こういったマネージャーが
GPレースを支えているんだなと、憧れでしかなかったグランプリの世界に
思いを馳せていました。
それから10年くらいたった頃、GP250に挑戦する畠山泰昌選手の
マシンのカラーリングのデザイナー、そして臨時の現地ヘルパーとして
憧れのGPレースの世界に足を踏み入れた自分は、畠山のマネージャーとして
就任してきた人物と対面して驚きました。
他でもない、マルボロのレーシングスーツも凛々しい平選手の傍らに
いつも立っていた、あのトシ荒木その人だったのです。
ヤマハを退社し、フリーのレースコーディネーターとなった荒木氏は、
まだまだ若かったライダー、メカニック、
そしてお手伝いの自分にとってまさに「先生」でした。
畠山にハッパをかけ、メカニックにセッティングをアドバイスし、
そしてアーティストとしても駆け出しだった自分にも厳しい言葉を下さり、
数ヶ国語を駆使してホテルや食事やレンタカーを手配等等...
レースウィークは朝から晩まで、チームのために走り回って下さいました。
そして、マスコミやメディアが「逸話」として語りついでいる
レースの数々にも、現地でレースを見ていた者にしか分からない、
「真実」があると言うことも、Toshiさんから教わりました。
この時から自分は、
雑誌やメディアの情報だけで、
さもレースを見てきたように
語ることは、相当ダサい。
と言うことを思い知ったのです。
Toshiさんと最後に、
イギリスのマンチェスターの空港で別れた際、
「畠山はTAKUさんの事を、
『お兄ちゃん』だと思っている。よろしく頼みますよ!」
と、力強く言い残し、小走りに手を振りながら
去って行くToshiさんの姿を忘れることが出来ません。
畠山をデザイナー,そしてヘルパーとしてだけでなく、
精神的に支えろ、とのメッセージ...
自分はあれから、畠山の助けになれただろうか...
彼がライダーとして引退してしまった今でも、
振り返り、反省することが多いです。
畠山は1996年から3シーズンをヨーロッパで過ごし、
その後は全日本ロードレースに参戦。2008年に引退。
Toshiさんもそれ以後、ワールドスーパーバイクに参戦する、
芳賀紀行選手のマネージャーを務めるようになり、
すっかり疎遠になっていましたが、数年前奇跡的に
某SNSサイト上でToshiさんと再会を果たすことが出来たのです。
今ではお互いに、ブログへコメントを返して下さるようになりました。
大きな喜びです。
先日も、
「SBK開幕まで二週間、テストに行ってきます!」
と、コメントをいただきました。
ますます元気に、世界を飛び回っているのです。
そしてToshiさんに若き日に叱咤激励された、
畠山のチーフメカニックだったO氏も今、バイクレースの最高峰、
MotoGPのレプソル・ホンダで腕を振るっています。
そのO氏からも先日電話で、
「TAKUさん、暫くGPもご無沙汰じゃないですか!
いつでも来てください!パスくらい用意しますよ!」
と、嬉しい言葉...
そしてそのO氏のアシスタントを務めていた、まだ学生だったS君は、
なんとドゥカティ・コルセ史上初の日本人として正社員となり、
ゼッケン「46」の赤いマシンを開発しているのです。
もうすぐレースのシーズンが始まる...
ああ早く、エコノミーの安いチケットでも取って、
みんなの所に行かなきゃ、この目でレースを見なきゃ...
そんな気持ちになる、春先の今日この頃なのでした。