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初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

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2005年06月

2005年06月28日

プラモおやぢのネコ日記 其之壱「ジェムの巻」

 

ウチには2匹の猫が生息しています。
以前は3匹おりましたが、1匹は天に召され永久欠番となりました。
何れも当家の伝統なのか女系家族で男っ気はまるでありません。
一番の姐さん格はジェムと云う名で12歳、シャムのミックスです。
ここのところ1/32スロットレーシングが復権していますが、
'90年代にもスロットレーシングが“リバイバルブーム”となって人気となった時期があります。
その立役者となった静岡は焼津のワラシナカーズでジェムは生を受けました。
ショールーム展示車ミニ・ジェムの頭上の倉庫内でみぃみぃ鳴いていたのでその名が付きました。
生まれたばかりの手のり猫の時分に、当時私の愛車だった赤いコルベットで鎌倉へとやって来ました。
昼夜炬燵をつけっぱなしにして暖め、オモチャのようなほ乳ビンで2時間毎にミルクを飲ませました。
仔猫の待ったなしの生に数日間と云うものは生きた心地もせず緊張のしどうしでした。
何度も何度も「猫が死んじゃう」とパニックし、深夜に獣医に駆け込んだりもしました。
「野良猫を面倒みる人から金など取れない」と治療費を突っぱねる獣医師に感動したりもしました。

そんな幾多の困難の甲斐あって、今では立派なおばさんネコとなって我が家に君臨しています。
以来、私は猫と共に流れ行く人生の時間を過ごしている訳です。
でもジェムがやって来るまでは家の中に動物の居る暮らしなど考えられませんでした。
作業台の上には何時も作りかけのパーツや塗料や工具が乱雑に出たままでしたし、
大切な資料や原稿の山などは子供にさえも触らせはしなかったのです。
それを引っ掻き回されてはたまったものではない、そう思っていました。
いちいちしまう訳にもいきません。なにしろ24時間作業していたようなものでした。
ところが一緒に暮らしてみると、そうした心配は杞憂である事が知れました。
猫と云う生き物は実に巧みに障害物を避けて歩くのでした。
髭のみならず全身これセンサーと化したがごとく雑多に物の置かれた作業台の上を、
爪先立ってモンローウォークですり抜けて行きます。真面目くさった顔をして…。
そのくせ読んでいる本の上にわざわざやって来て座ったりして…変な生き物です。
仔猫時分には出掛けようとする私を追って玄関で悲痛な声で鳴き続け、
その切なさに後ろ髪引かれる毎日でした。路地まで響く寂し気な呼び声は今も耳に残ります。
さすがに今ではそれは無くなりましたが、帰宅時の玄関へのお出迎えだけは欠かす事がありません。
貴男がもし家長の権威を失権し家庭内孤独に苛まれているのなら是非猫との暮らしをお薦めします。
犬のようにあざとくなく、さり気なく心の隙き間を埋めてくれることでしょう。
寡黙で控え目な良妻賢母の代役を充分に果たしてくれます。ただ寝てばっかりですけどね…。
着かず離れず、気が着けば傍に居る。何も語らず、互いに同じ時を共有している。
猫との付き合いとはそうしたものです。そこには常に心地よい静謐な空間と時間があり続けます。
猫に優しき時の流れる、そしてそれは私にとっても静かなる心の平和が充ちる時です。
若い時分には2mもの垂直ジャンプが出来るほどの運動能力を持ち(今ではもう出来ません…)、
サラサラ毛のふにふにで日なたの匂いがして、アイコンタクトで感情の交流さえ出来るのです。
猫とは癒しの生き物ですね。もう猫の居ない暮らしなど考えられそうにありません。
少年の日にプラモデルと、そして大人になって猫と出逢い、私は挫けず惑わず生きて来ました。
プラモデルが無かったら、猫が居なかったら、現在の私も居なかったに違いありません。
人が生きると云う事は常に寂しさや哀しさと共に歩く事だと私は思います。
それは克服するようなものではなく、全てを許容し内包し一緒に歩くものなのではないでしょうか。
そんな人知れず心の襞の奥底に沈んだ澱をそっと優しく包み込んでくれるもの、
それが私にとってはプラモデルであり猫であったような気がしています。
時にはテレビの上から爆睡していて背中から落っこちてしまうなど、
すっとこどっこいな事をしでかしてしまったりもしますが(ほんまにネコかいな…)、
我が人生の伴侶、愛すべき焼津猫のジェムは日々静かに湘南鎌倉ライフを満喫しています。
互いに人生(?)の盛りは過ぎましたが、円熟したおバカ振りには更に拍車がかかり、
吉本新喜劇のような深みと味わいがいや増している昨今ではあります。いずこへ…。
最近になって気付いたのですが、模型好き、プラモデル好きな御仁は総じて猫好きでもあるようです。
私のプラモデルご近所関係だけでもネコ(そういう名前なそーな)、ジョセフィーヌ、アタリ・マーク2、
キジーなどの名の家猫さんと暮らす、プラモデルにも猫にも一家言ある向きが多くいらっしゃいます。
そして皆さん異口同音に「猫が手伝ってくれたらなあ…」などともおっしゃる訳です。
確かに昔より「猫の手も借りたい」とは申しますが、猫が何かしてくれたためしがない…。
人の役には決して立たない。それこそ猫の本分なのでありましょうね。
恐らくは人に頼る事なく自力で何とかしなさい、と云う先人の戒めなのでありましょう。
まあ、あの「ねこにゃんぼう」で何か出来るとも思いませんけども…。
パーすると可愛いクリームパンみたいな手はそれだけで許せてしまいますし。
ジェムはかの写真家、浅井慎平氏(シャム猫好きでも有名)の撮影モデルとなった経歴の持ち主なのですが、
本人(?)は一向にそれを名誉とも思っていないご様子で(当たり前ですが…)、
ただただ惰眠と食欲を貪り続けた12年ではあります。ん〜正しい猫の生きざまですね。
気がつけば猫、振り向けばジェム、そんな日々の繰り返しの中で、
私は粛々とプラモを作り原稿をしたためています。日々猫の居る事の幸せ。
湘南鎌倉山中の庵にて鎌倉亭雲國斎猫乃家(うんこくさいはワンフレーズで読んで下さい)こと私と、
はからずも生涯を共にする事となったジェムの今後の展開は。待て!次号!!
いや、別に続編はありませんから。ないから、ないから、嘘だから。

投稿者 平野克巳 : 2005年06月28日 12:54 | トラックバック

2005年06月24日

嗚呼、郷愁の昭和プラモ小僧たち

白いランニングシャツ、お尻につぎの当たった半ズボン、そして狼少年ケンの絵柄のズック靴。
そんな出で立ちの少年たちが闊歩した昭和30年代日本の風景が今も走馬灯のように鮮やかに甦ります。
昭和28年生まれの私はまさにそんな少年時代を過ごしました。団塊の世代よりひとつ遅れた世代です。
白く埃の舞い立つ砂利道、土管などの資材が積まれたバラ線で囲われた空き地、
日々聞こえるよいとまけの歌、遠く風に漂う電車の警笛、工場のサイレンの響き。
雑然とした、しかし活気あるそんな街の中を昭和プラモ小僧たちは駆け抜けて行ったのでした。

春─待ち切れず家までの道すがら、桜並木の下でP-40ウォーホークの箱をそっと開けてみる。頭でっかちな胴体と歯を剥き出した口のマークが手の平に零れ、そこに舞い降りる薄紅色の花弁ひとひら。

夏─三角紙に挿んだアゲハ蝶の事も忘れ、庭先の縁台で眺める小さなロックヒードF-104CJ。展示スタンドから急上昇する機首の先を見上げれば白く沸き立つ入道雲。軒下の風鈴がちりんとひと鳴り。

秋─夕暮れはつるべ落とし。茜に染まった商店街は忙しげで、母の割烹着の裾をいくら引いても駄菓子屋は素通りだ。透明の戦艦武蔵はあと3個。ボクが買いに駆け付けるまで店先で待っていてくれるだろうか。

冬─夜の帳が降りた砂利道を白い息を吐いて駆ける。明日までは待てない。今すぐ買って今すぐに作りたい。M-48パットンはボクの大好きな戦車だから。黄色い街灯を見上げれば寂しげに揺れる枯れ葉一枚。

春夏秋冬プラモデルでした。そりゃメダカをすくったりザリガニ釣ったり、蝶やトンボを追いかけたり、
銀玉鉄砲の戦争ごっこや三角ベース、缶蹴りに馬飛びもやりました。
神社の境内や近所に拡がる空き地は少年たちの独壇場でした。
でも一日10円の小遣いをやりくりしてはプラモデルに全精力を傾ける事も忘れはしませんでした。
プラモデルを初めて見た時のあの驚き。それまでのオモチャには無い硬質な切れと輝き。
完成後の姿が一目瞭然に見てとれる部品の凄さ。嫌がおうにも惹き着けられてしまう箱絵の臨場感。
何もかもがそれまでの玩具とは全く異なっていて、その新鮮な感動にとてつもなく高揚しました。
そして革命的な玩具、プラモデルは少年たちを2Bやパチンコ、日光写真、銀玉鉄砲などから卒業させて、にわかクラフト小僧へと変身させていったのでした。

肥後の守やボンナイフ、セメダインにマジックインキ、そんなツールに囲まれて、
少年たちはプラモデル工作に我を忘れて没頭したのでした。
とにかくプラモデルが作りたくて作りたくて仕方のない毎日でした。
夕食を告げる母の声さえ上の空で寸暇を惜しんで作りました。
マルサン・マッチ箱シリーズ、マルサン1/100シリーズ、三共ピーナツシリーズ、三和Mタンクシリーズ、にしきやポケットシリーズ、ASK1/1000連合艦隊シリーズ…。
駄菓子屋や文房具屋で出逢う20円から50円の草創期プラモデルたちにどれだけ心踊った事でしょう。
そしてまた今井や尾高、童友社、東京シャープなどが手掛けた駄菓子屋プラモたちも、
自由に使う事の許された小遣いが限られている当時の少年たちにとっては貴重な存在でした。
10円や15円で買えるプラモデル、大抵はビニール袋入りで台紙に綴じて売られていました。
安いので嬉しかった。ところがそうした通称駄菓子屋プラモには落とし穴も多かった。
店先で見ると同時に高揚してしまい、ろくに中身を吟味もせずに買って来てしまったりすると、
袋の中には胴体の同じ側が2個、なんて事もしょっちゅうだったのです。
優しいオバさんの店なら気持ち良く交換してくれもしましたが、
怖いオジさんの店だと言い出せなくて泣く泣く諦めたりもしたものでした。
駄菓子屋は社会勉強の場でありプラモデルは人間形成の試金石でもありました。
そうして少年たちは社会の厳しさに少しずつ鍛えられていったのです。
学級委員長のN君の家で見せて貰ったレベルのB-58ハスラー、
お金持ちの家のY君が買ったマルサンの百式司偵、
そして遊び仲間のシゲちゃんがお父さんに買って貰ったレベルのDC-7、
駄菓子屋の店先のプラモデルしか知らなかった少年たちも、
やがて家庭環境や貧富の差と云うものを苦く哀しく切ない思いと共に知るようになるのです。
ボクもいつかあんなプラモデルを買うんだ…少年は自らの未来にそんな夢を託しました。
それはちょうどバケツ一杯のプリンが食べたい、とか、メロンを丸ごと一個食べたい、
とかの稚拙極まりない願望と同じようなものだったのでしょうか。

そんな少年の日の尻尾を引き摺ったまま大人になってしまった昔少年たちが、
今も昭和30年代の古ぼけたプラモデルに一喜一憂しているのではないでしょうか。
小さな箱を開けると甘く切ない酸味と共に甦る少年時代の記憶。
あの日々は決して裕福ではなかったけれど、決して充たされてはいなかったけれど、
それだけにプラモデルがどれだけ心を慰め癒してくれたことでしょう。
もはや還り来らぬ日々なればこそ、あの頃の記憶が切なく愛しく思い出されます。
人生はひとひらの葉のようなもの。枝から離れ長く孤独な旅に出てもその行き着く先は分からない。
陽を浴びる時もあれば日陰で潜む時もある。
時に風に舞い、そして時に川面に漂い、やがては土に還ってゆくその繰り返し。
人生いろいろ(島倉千代子の物真似で。小泉純一郎の口調はあきまへん…)
だからその分プラモデルもいろいろ。
誰の心にも郷愁のプラモデルがあるに違いありません。それは人生のタイムマシンなのでしょう。
一瞬にして数十年の時を超え、切なくも懐かしい記憶を呼び覚ます魔法の小箱。
だから昭和のプラモ小僧たちは古びた小さなプラモデルを愛してやみません。
昭和のあの時代にプラモデルと出逢えた喜びは今も色褪せずに輝き続けているのです。

投稿者 平野克巳 : 2005年06月24日 19:00 | トラックバック

2005年06月21日

「プラモデル男」日々の営み

kit.jpg

人に限らず生あるものは全て自ら望んで生まれて来た訳ではないけれど、
生きている限り日々の営みと正面から対峙してその生を全うしなくてはなりません。
そして人は生に意味を考えたり、付加価値を求めたりしながら生きています。
それが純粋に自らの生の為にだけ生きる動物たちとの違いでしょうか。
だから私たちは遊びながら日々を過ごします。趣味とはそうした遊びの一環です。

その昔、趣味は古臭い固定概念に支配され、男はゴルフ、パチンコ、盆栽などに集約されておりました。
「いい歳をして未だそんな事から卒業できないの?」 そんな台詞が幅をきかせていた時代です。
しかし価値観が大きく様変わりし嗜好も多様化した昨今では趣味に年齢の囲いなど無くなりました。
還暦迎えて金色の長髪振り乱し“Rock'n Roll!”なんて叫んでも少しも変人扱いされません。
かつてプラモデルは子供の遊びと俗世間的には定義されていました。
ですからはたち過ぎてプラモデルを作っていると大人になれない変な人と思われたものです。
かく言う私もそんな時代に育った世代なので、今も抵抗が無いと言えば嘘になります。
「玩具」イコール「子供」と云うのが広く一般通念としてありましたから、
オモチャの分類で括られるプラモデルは大人の遊びとは思われていなかったのです。
そんな世代ですから大人のオモチャ、と云うとついあっち方面を連想してしまったりもします。
しかし近年、プラモデルはむしろ大人の遊び、趣味になりつつあるように思います。
かつて男の子なら必ず一度は通ったプラモデルの道ですが、最近はそうでもないようです。
プラモデルが大好だった昔少年が今も変わらずプラモデル大好きで、
プラモデル人口の比率に段々そんな昔少年が増え、その結果として大人のホビーとなったのだ、
と分析するシニカルな見方もあるにはあります…よおしっ、それはそれで結構!!
ガキになんかプラモデルの本当の楽しみが分かってたまるか、
旧い同志たちと共にこの喜びを生涯独占してやるのさっ、などと息巻いてみたりして…。
いち模型ファンならそんな開き直りもアリなんですけど、
痩せても枯れてもワタシは業界の端くれに巣食う立場の者として、
この世界の発展に何らかの貢献をせねばならない身ではあるまい・かと!(テレンス・リーの口調で)
私が余り無責任な言動をしてしまうのも考えもの、非常に危険ですっ(とタンクトップを着る…)
やはり貴乃花親方のごとく少年たちの育成に励み、模型文化の啓蒙に尽力せねば!(…嘘です)
所詮は微力な私。自らが継続する事でその姿勢をお見せするくらいの事しか出来ませんです…。
だからこれからもプラモデラーです。生涯いちプラモデラーです。
目と指先がきく限り、死ぬまで現場を貫きたいと願う今日この頃ではあります。
とは申せ、とんと新製品情報には反応のよろしくない私です。
T社1/48トラクシオン・アヴァンは可愛いよねえ、だとか、
H社1/350戦艦三笠の初版特典はそれだけでも惹かれるよねえ、だとか、
E社1/10カブC100のスポークが内張りと外張り半々なのはどうして?だとか言ってはみるのですが、
私の日常は相も変わらず三和、三共、マルサン、にしきや、ASK、東京シャープ、尾高、etc…
などの古めかしいブランドで埋め尽され占拠されておりますですねえ。
これじゃプラモ界に貢献などと偉そうにのたまったとて全然説得力てえものがありません。
それでも私はプラモデル界の拙い考古学者です。模型界のインディアナ・ジョーンズです。
人生一路(漫才師ぢゃありません)、冥府魔道のプラモ道。我は行く信じたこの道どこまでも…とほほほほ。
気合いだあーっっ! うーやーたーっっ!! (今どき誰も知らねーっつの…)
そんな男がひとりぐらい居たって、いいぢゃなあああい(波田陽区の口調で…もう下火だよ…)

投稿者 平野克巳 : 2005年06月21日 18:52 | トラックバック

2005年06月17日

残念ながらまだお見せできません…って、またかよっ!

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怒濤のモーターサイクル企画(ワタクシ的にだけなんですけどね…)は今日も続いております。
次なる仕込みは画像のキットです…って、またモザイクかよっ!…
今どきAVだってモザイクなんて使っちゃおらんでしょー!! …
なんでそういつも出し惜しみなんだよーっっ、のご意見もございましょうが…。

P1010004.jpg

ともかくこの時が来るのを永年待ち続けていた訳で、万を持しての製作着手と相成る次第です。
思えばe-bayで泣きながら落札し、改めてそのキットの凄さ(良くも悪くも…)に感心しつつ、
今は昔の少年時代へとタイムスリップしておりますよ。嗚呼、デッかいだけで陶酔したプラモデル。
こんな贅沢なプラモデル作った事なかったもの。叔父のお土産だったのですよ。
その叔父は未だ存命ですが、モーターサイクルとかクルマは叔父から教わったようなものです。
そして年に一度ほどでしたが訪ねる度にプラモデルのお土産を買って来てくれたのでした。
でもモーターまでは奮発してくれなかった…当時モーターは予算の想定外だったですから。

そんな訳ですから私はこのモデルを走らせてみた事はありません。
果たして本当に走るのでしょうか。だって補助輪なしなんですよ。
車体と畳に刺した釘の支柱を糸で繋ぎ、支柱を支点に円を描いて走らせる…のだそうです。
国内版のパッケージでは“特許自動安定装置により補助輪なしで走る”とあり、
輸出版では“NO SUPPORT WHEELS, SURPRISINGLY AUTOMATIC STABILITY SYSTEM!
PATENT APPLIED. IT REALLY GOES!”とうたわれていますが…ホントですかねえ。
糸の長さ(つまり走る円の半径ですね)は80cmから3mとありますが、
こんな広い部屋はお大尽のお宅でなければなかったのではないでしょうか。
やはり当時から庶民の玩具ではなく、とても贅沢なプラモデルだったみたいです。

それはともかく40数年振りにキットを組み立てる、これは嬉しい! 心底嬉しい!
しかしそこはそれ、滅多にお目にかかれぬ稀少キットなので欠品などもある訳ですね。
以前は私もウレタン、レジンの複製作業などしていましたが、今はとうに店じまい。
改めて資材を買い揃えるのも非効率的なので、長うおくん経由で外部発注してしまいました。
うーむ、何て嫌な役回りだ、の台詞を胸に深くしまい込み、我らが愛すべき長うおはいく…。
また修理から帰って再び沈黙してしまった我が家のアルプスプリンタの機種改変もまま成らず、
(む)印粗品のWeb Page ( http://members.jcom.home.ne.jp/mujirushi_soshina/ )
管理人である(む)にデカールのプリントを頼み、さて次に再メッキをどうしたものか…。
どうもあてにならんテッキーH氏やSWASH DESIGNのS氏に打診するもメッキ屋さんは知らぬとの回答。
こんな時はプラモメーカーD社のU氏だ。いつもの苦しい時の神頼み、D社頼みなワタシ。
東京下町の老舗なので古くからの町工場との繋がりも深く、早速B社と渉りをつけていただきました。
「手のひらに載る程度のパーツでしょ。本来ならそんなの受けないんだけど」と言いつつも、
「子供の頃、三和や三共のプラモ作ったよ」と東京下町で生まれ育った同社主宰のA氏。
聞けば私とほぼ同年代のよしみ(ワタシは昭和28年生まれの51歳なんですけどね)もあって、
日本の玩具の歴史を語り伝えていかねばならぬ、の私の意図にも賛同下さり引き受けて下さいました。
いつもの事ですが、沢山の方々のお力添えがあってMC誌面は滋養強壮、充実野菜となるのですね。

さあ、こうなったらもう後には退けません。自ら退路を絶って「撃ちてし止まぬ」の必死の覚悟。
それでも挫折しちゃったり失敗しちゃったりして実現しそうにない時は、
ウチの猫のごとくに知らんぷりで寝たふり決め込んじゃいますので勘弁しちくだせえ。
「天は我を見限った」そう吐き出すように呟くと、青森第5聯隊雪中行軍隊指揮官ねこんた大尉は、
暴風雪の八甲田山賽ノ河原でその姿を雪の地蔵へと変えたのでありましたとさ。
めでたしめでたし。って、全然めでたくないぞーっっ!!!!
「そ、それはやめてください…」額に縦線の長うおが幽鬼のごとく立ちはだかるのでした…。
ちなみに私は生粋のヤマハ党であってホンダファンと云う訳ではありません。
あ、誰もそんな事聞いてないですか。うるさいですか。すんません、すんません。

投稿者 平野克巳 : 2005年06月17日 18:47 | トラックバック

2005年06月14日

レゴみたいにプラモデルを組み立てたい

kabu.jpg

MC誌の新連載企画が進行中なのは既にお知らせしましたが、
その舞台裏は何かと大変で相変わらずの「バタ足アヒル」な日々であります。
快楽プラモ主義を提唱する以上、その運営方針にも当然一家言ある訳です。
プラモデルはあくまでも気楽に親しめるものでなくてはいけない。
でもテキトーでイーカゲンな誤魔化しはしたくない。早い話がインチキはいかんと…。
だからと言って徹底的に作り込むならハナからプラモデルの必要もないと。
やはりプラモデルはスクラッチビルドとは別次元であるべきと考えます。

ではどう工夫すれば良いのでしょう。私はこう考えます。
プラモデルはファーストフード、インスタント食品みたいなもの。
そのまま食べても旨くない事はないけれど今いち物足りない…。
でも本格レシピを投入しても元の性格上余り効果的でもない。
そこで出来合いのスパイスや一寸したアイディアでコクやマロ味を出す。
これが意外と効いてピリリとした旨味が助長されたりするのです。
そうした主旨に添うならば、技術力を駆使してしまうのは快楽プラモ主義とは反します。
ソレが出来るか否かは別問題として、自作に頼ってしまうとプラモ道として面白くない。
他のキットからのパーツ転用が第一、次が修正加工、そして自作はあくまでも最終手段。
元々プラモデルってジグソーパズルやレゴみたいなもんですから、そんな気易さで完遂しないものかと。
現在こんな基本コンセプトを試みています。
でもそれって背景がプラモ華やかなりし時代でないと難しいのですねえ。

1/8のキット自体が手に入らない。ネットじゃメチャ高いし…。
まず前後19インチホイールが無いよなあ。スポーツモデルのサイズじゃないもん…。
まあ18インチで我慢して前輪に後輪用の3.00-18を流用するとして…。
マッハスリーの後輪4.00-18はブロックパターンでウマいけど、
バランス的に無理があるよなあ。第一マッハのキット自体がコレクターズアイテムだよ!
前期型ハブは小さいんだよねえ。日東1/12ホンダCB450K0のハブの厚みを増して…。
ちょっ、ちょっとお。マスターのキットさえ手に入らない今日この頃だよ。
あー、やっぱり「ええーいっ、作っちゃえええ~!!」ってのが話は早いよなあ…。

さて私は何を作ろうと画策しているのでしょう? それは秘密です(スナドリネコさんの口調で)
実際問題、キットのどこが使えるのかと言うと「エンジン」ですか…。
エンジンだけかよっ!(サマーズ三村の物真似で…)
「レベル1/32ボーファイターからブレニム作らない? エンジンと主翼が同じだし」
「タミヤ1/6モンキーからスーパーカブ作らない? 折角立派なOHCエンジンなんだし」
このテの会話が日常的に飛び交っていた湘南のお馬鹿なプラモ仲間たちは、
今もおぢさん化しつつも健在で本当にやっちゃいそうなので怖い…です。
ま、これじゃ官能プラモ主義になっちゃいそうなので、そこまでは走らないとして…。
ともかくモーターサイクル企画は面白可笑しくやっていきたいです。
既に「こんなん出ちゃいました」けど、それは誌面に載ってのお楽しみっ!
今回は“全米が泣いた。全米興行記録更新”の予告編でしたっ。
(註:1/6スーパーカブ50など決して作ってはおりませぬ。念の為…)

投稿者 平野克巳 : 2005年06月14日 15:53 | トラックバック

2005年06月08日

テレシコワ“ヤー・チャイカ”けだし名言、“私はアヒル”けだし迷言…

cobra.jpg

最近のTVコマーシャルに「スポーツカーを買った…」と
満足げに呟く熟年夫婦の台詞がありますが、私の場合はスポーツカーを売りました。
10数年ウチに棲み着いていたERAコブラ427S/Cを最近手放したのです。
いやあ、何か肩の荷が下りたようで妙にホッとしています。
何せ平野家家訓は「人生楽ありゃそれでいい」です。私の座右の銘は「心情溢るゝ軽薄さ」です。私の生きる哲学は「人生おちゃらけ、ちゃいちゃい」です。あ、もういいですか。しつこいですか。
しかし、ちゃいちゃいと生きる為には水面下で必死にバタ足をするアヒルでなくてはならないのも事実です。
見えないところで涙して汗して苦しんで生きるのですね( 決して覗いてはなりませぬ…) ま、いずれにしてもロードスターで湘南の海岸線134号をゆったりと流す、なんてのはもう昔の話です。
それがしたくて湘南に家を買い、オープンカーを買ったのですけどね。
今じゃすっかり海岸線はクルマの洪水、渋滞の日々。第一、湘南らしい風景なんて死滅しましたよ。
そこいらじゅうにファーストフード・チェーン店の林立ですもの。
海を眺めながら葉山の日影茶屋でカテリーヌとアールグレイのひととき、なんてのも今は昔。
今さら小洒落てみたってはじまりゃせんです。所詮セレブじゃないワタシ…。
てきり・いーじー! ろっきんろーるっ! ほきときー! (うるさいよっ! !)

近頃とみに気負いもナンも無くカッコつけずに生きてます。
こんなにお気楽、極楽でいーんでしょうか。でも気持ち良く生きてます。
湘南に暮らしていると自然スローライフ提唱者となるようです。
そのうえ、私の場合「日々何も期待しない」猫的生活も堪能してますから、
もはや企業戦士になど戻れそうにもありません。つーか、なりたくないですけどね。
それでも密かにバタ足は休まずしてる訳ですよ。
もうスポーツカーは要らないなあ。だってアレ以上のパフォーマンス期待出来るクルマなんて無いだろうし。
バイクに回帰するのも良いなあ。1200か650のツインだな、やっぱり…。
とか言いつつ、実はプラモデラー現役復帰を密かに決意しているところであります。
老眼だし、腕はすっかりヤキまわっちゃったし…それでも塗料を買い直し、錆と埃にまみれたリューターをメインテナンスし、ラッカーシンナーを小口瓶に取り分け、現役時代のテンションとポテンシャルを取り戻すべく、日々筋肉痛と闘いながらバタ足を続けているのであります。
潮騒とオイルの匂いは卒業です。これからはモーターの音とシンナーの臭いに囲まれて、日々を過ごしたいと思います。ある意味、原点への回帰ですね。よっしゃー、作るぞおーっっ!
あ、目がチカチカする…いたたたたたっ、腰が…このブログ見なかった事に…とほほほほ。

投稿者 平野克巳 : 2005年06月08日 20:58 | トラックバック

2005年06月05日

永遠の模型青年よ今いずこ…

本当に若かった時分、よく友人と
「人生の黄昏れを迎える時の為に、何のプラキットを温存しておくか」を話したものです。
その一番人気は“レベル1/40ダグラス・スカイレイダー”でした。
レベルが“このキットに出来ないのは飛ぶことだけ”と豪語したオール開閉可動のデラックスキットでしたが、
組み立てが超面倒で絶望的に手間の掛かるキットだったからです。
「でも、その時は指先が震えて細かいパーツなんか組めなかったりしてな」
などと笑い合ったりもしたものです。でも、そうじゃなかった…指先より先に目に来るんです。
私の場合は30代で既に始まりました。老眼ですがね、ろ・う・が・んっっ!!

最初は照明が暗いのと勘違いして照明スタンドを2基にしたりもしましたが、
ようやく目の衰えに気付き眼科で老眼鏡を作りました。人生初のメガネです。
ようやくフォーカスは合うようになりましたが微妙なズームが効かない。
面相筆の動きに焦点の追い付かないもどかしさ。
昔は1/35兵士フィギュアの刺繍の文字を手描きしたのに。睫毛や虹彩を描き込んだのに。
今じゃ顔が見えない。だから私の作る近作フィギュアは泥人形……。
しかもメガネをかけると度は加速度的に進みますね。
最近はもっぱら100円ショップの老眼鏡の愛用者です(苦笑)。

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そんな五体不満足な私がまたぞろモーターサイクル・キットなんぞを作り始めました。
MC誌の新たな連載企画(乞うご期待っ!)の為の仕込みなんですが、
バイクモデルを作るのなんぞ20年振りくらいでしょうか。
久しくやっていなかったホイールのスポーク張りも、手慣らしも兼ねて1/6スケールから着手した次第です。
1/6ですからスポークは直径0.5mmほど。
昔の感覚からすると楽勝な筈だったのです…と、ところがああっ!
ピンバイスで開けた0.53mmの穴が見つからない…ステンレス線を握り締めたまま呆然とする私、矢切りのわたし、いつまで経っても駄目なわたしねえ~♪
これじゃ1/15のスポークなんて張れやしない…若い時には気付かぬものなんですねえ。

歳を取るのは良い事もありますが、同じくらい良くない事もあります。
「自分の身体が鬱陶しい」なんて感覚、解りますかあ? 羽のように走りたい…のに擬音にすれば“どべどべどべ”ですか……。
天然のピンセットだった指先からはポロポロとパーツがこぼれ、長時間根をつめて作業したいのに集中力は持続せず腰がギシギシと悲鳴をあげる。休み休み、の休む時間と回数のほうがずっと多い体たらく。
やっぱり少年時代と同じに、って訳にはいきゃあせんです…って当たり前か。
こりゃモデルのスケールを大きくして対処せにゃ。
飛行機なら1/24、戦車は1/15、クルマは1/12、そしてモーターサイクルは1/8(んあ?)。
しかし内容はその半分のスケールくらいにせんと…嗚呼、木偶人形や泥の船が出来てしまいそうだ。それでも構うもんかあ。とことんプラモデルと付き合ってやる。
たとえ泥の船が沈んで溺れる事となったとしても…って「オレはタヌキかあああーっっ!!」

投稿者 平野克巳 : 2005年06月05日 22:57 | トラックバック

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