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2005年06月24日
嗚呼、郷愁の昭和プラモ小僧たち
白いランニングシャツ、お尻につぎの当たった半ズボン、そして狼少年ケンの絵柄のズック靴。
そんな出で立ちの少年たちが闊歩した昭和30年代日本の風景が今も走馬灯のように鮮やかに甦ります。
昭和28年生まれの私はまさにそんな少年時代を過ごしました。団塊の世代よりひとつ遅れた世代です。
白く埃の舞い立つ砂利道、土管などの資材が積まれたバラ線で囲われた空き地、
日々聞こえるよいとまけの歌、遠く風に漂う電車の警笛、工場のサイレンの響き。
雑然とした、しかし活気あるそんな街の中を昭和プラモ小僧たちは駆け抜けて行ったのでした。
春─待ち切れず家までの道すがら、桜並木の下でP-40ウォーホークの箱をそっと開けてみる。頭でっかちな胴体と歯を剥き出した口のマークが手の平に零れ、そこに舞い降りる薄紅色の花弁ひとひら。
夏─三角紙に挿んだアゲハ蝶の事も忘れ、庭先の縁台で眺める小さなロックヒードF-104CJ。展示スタンドから急上昇する機首の先を見上げれば白く沸き立つ入道雲。軒下の風鈴がちりんとひと鳴り。
秋─夕暮れはつるべ落とし。茜に染まった商店街は忙しげで、母の割烹着の裾をいくら引いても駄菓子屋は素通りだ。透明の戦艦武蔵はあと3個。ボクが買いに駆け付けるまで店先で待っていてくれるだろうか。
冬─夜の帳が降りた砂利道を白い息を吐いて駆ける。明日までは待てない。今すぐ買って今すぐに作りたい。M-48パットンはボクの大好きな戦車だから。黄色い街灯を見上げれば寂しげに揺れる枯れ葉一枚。
春夏秋冬プラモデルでした。そりゃメダカをすくったりザリガニ釣ったり、蝶やトンボを追いかけたり、
銀玉鉄砲の戦争ごっこや三角ベース、缶蹴りに馬飛びもやりました。
神社の境内や近所に拡がる空き地は少年たちの独壇場でした。
でも一日10円の小遣いをやりくりしてはプラモデルに全精力を傾ける事も忘れはしませんでした。
プラモデルを初めて見た時のあの驚き。それまでのオモチャには無い硬質な切れと輝き。
完成後の姿が一目瞭然に見てとれる部品の凄さ。嫌がおうにも惹き着けられてしまう箱絵の臨場感。
何もかもがそれまでの玩具とは全く異なっていて、その新鮮な感動にとてつもなく高揚しました。
そして革命的な玩具、プラモデルは少年たちを2Bやパチンコ、日光写真、銀玉鉄砲などから卒業させて、にわかクラフト小僧へと変身させていったのでした。
肥後の守やボンナイフ、セメダインにマジックインキ、そんなツールに囲まれて、
少年たちはプラモデル工作に我を忘れて没頭したのでした。
とにかくプラモデルが作りたくて作りたくて仕方のない毎日でした。
夕食を告げる母の声さえ上の空で寸暇を惜しんで作りました。
マルサン・マッチ箱シリーズ、マルサン1/100シリーズ、三共ピーナツシリーズ、三和Mタンクシリーズ、にしきやポケットシリーズ、ASK1/1000連合艦隊シリーズ…。
駄菓子屋や文房具屋で出逢う20円から50円の草創期プラモデルたちにどれだけ心踊った事でしょう。
そしてまた今井や尾高、童友社、東京シャープなどが手掛けた駄菓子屋プラモたちも、
自由に使う事の許された小遣いが限られている当時の少年たちにとっては貴重な存在でした。
10円や15円で買えるプラモデル、大抵はビニール袋入りで台紙に綴じて売られていました。
安いので嬉しかった。ところがそうした通称駄菓子屋プラモには落とし穴も多かった。
店先で見ると同時に高揚してしまい、ろくに中身を吟味もせずに買って来てしまったりすると、
袋の中には胴体の同じ側が2個、なんて事もしょっちゅうだったのです。
優しいオバさんの店なら気持ち良く交換してくれもしましたが、
怖いオジさんの店だと言い出せなくて泣く泣く諦めたりもしたものでした。
駄菓子屋は社会勉強の場でありプラモデルは人間形成の試金石でもありました。
そうして少年たちは社会の厳しさに少しずつ鍛えられていったのです。
学級委員長のN君の家で見せて貰ったレベルのB-58ハスラー、
お金持ちの家のY君が買ったマルサンの百式司偵、
そして遊び仲間のシゲちゃんがお父さんに買って貰ったレベルのDC-7、
駄菓子屋の店先のプラモデルしか知らなかった少年たちも、
やがて家庭環境や貧富の差と云うものを苦く哀しく切ない思いと共に知るようになるのです。
ボクもいつかあんなプラモデルを買うんだ…少年は自らの未来にそんな夢を託しました。
それはちょうどバケツ一杯のプリンが食べたい、とか、メロンを丸ごと一個食べたい、
とかの稚拙極まりない願望と同じようなものだったのでしょうか。
そんな少年の日の尻尾を引き摺ったまま大人になってしまった昔少年たちが、
今も昭和30年代の古ぼけたプラモデルに一喜一憂しているのではないでしょうか。
小さな箱を開けると甘く切ない酸味と共に甦る少年時代の記憶。
あの日々は決して裕福ではなかったけれど、決して充たされてはいなかったけれど、
それだけにプラモデルがどれだけ心を慰め癒してくれたことでしょう。
もはや還り来らぬ日々なればこそ、あの頃の記憶が切なく愛しく思い出されます。
人生はひとひらの葉のようなもの。枝から離れ長く孤独な旅に出てもその行き着く先は分からない。
陽を浴びる時もあれば日陰で潜む時もある。
時に風に舞い、そして時に川面に漂い、やがては土に還ってゆくその繰り返し。
人生いろいろ(島倉千代子の物真似で。小泉純一郎の口調はあきまへん…)
だからその分プラモデルもいろいろ。
誰の心にも郷愁のプラモデルがあるに違いありません。それは人生のタイムマシンなのでしょう。
一瞬にして数十年の時を超え、切なくも懐かしい記憶を呼び覚ます魔法の小箱。
だから昭和のプラモ小僧たちは古びた小さなプラモデルを愛してやみません。
昭和のあの時代にプラモデルと出逢えた喜びは今も色褪せずに輝き続けているのです。
投稿者 平野克巳 : 2005年06月24日 19:00
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