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2005年06月28日
プラモおやぢのネコ日記 其之壱「ジェムの巻」
ウチには2匹の猫が生息しています。
以前は3匹おりましたが、1匹は天に召され永久欠番となりました。
何れも当家の伝統なのか女系家族で男っ気はまるでありません。
一番の姐さん格はジェムと云う名で12歳、シャムのミックスです。
ここのところ1/32スロットレーシングが復権していますが、
'90年代にもスロットレーシングが“リバイバルブーム”となって人気となった時期があります。
その立役者となった静岡は焼津のワラシナカーズでジェムは生を受けました。
ショールーム展示車ミニ・ジェムの頭上の倉庫内でみぃみぃ鳴いていたのでその名が付きました。
生まれたばかりの手のり猫の時分に、当時私の愛車だった赤いコルベットで鎌倉へとやって来ました。
昼夜炬燵をつけっぱなしにして暖め、オモチャのようなほ乳ビンで2時間毎にミルクを飲ませました。
仔猫の待ったなしの生に数日間と云うものは生きた心地もせず緊張のしどうしでした。
何度も何度も「猫が死んじゃう」とパニックし、深夜に獣医に駆け込んだりもしました。
「野良猫を面倒みる人から金など取れない」と治療費を突っぱねる獣医師に感動したりもしました。
そんな幾多の困難の甲斐あって、今では立派なおばさんネコとなって我が家に君臨しています。
以来、私は猫と共に流れ行く人生の時間を過ごしている訳です。
でもジェムがやって来るまでは家の中に動物の居る暮らしなど考えられませんでした。
作業台の上には何時も作りかけのパーツや塗料や工具が乱雑に出たままでしたし、
大切な資料や原稿の山などは子供にさえも触らせはしなかったのです。
それを引っ掻き回されてはたまったものではない、そう思っていました。
いちいちしまう訳にもいきません。なにしろ24時間作業していたようなものでした。
ところが一緒に暮らしてみると、そうした心配は杞憂である事が知れました。
猫と云う生き物は実に巧みに障害物を避けて歩くのでした。
髭のみならず全身これセンサーと化したがごとく雑多に物の置かれた作業台の上を、
爪先立ってモンローウォークですり抜けて行きます。真面目くさった顔をして…。
そのくせ読んでいる本の上にわざわざやって来て座ったりして…変な生き物です。
仔猫時分には出掛けようとする私を追って玄関で悲痛な声で鳴き続け、
その切なさに後ろ髪引かれる毎日でした。路地まで響く寂し気な呼び声は今も耳に残ります。
さすがに今ではそれは無くなりましたが、帰宅時の玄関へのお出迎えだけは欠かす事がありません。
貴男がもし家長の権威を失権し家庭内孤独に苛まれているのなら是非猫との暮らしをお薦めします。
犬のようにあざとくなく、さり気なく心の隙き間を埋めてくれることでしょう。
寡黙で控え目な良妻賢母の代役を充分に果たしてくれます。ただ寝てばっかりですけどね…。
着かず離れず、気が着けば傍に居る。何も語らず、互いに同じ時を共有している。
猫との付き合いとはそうしたものです。そこには常に心地よい静謐な空間と時間があり続けます。
猫に優しき時の流れる、そしてそれは私にとっても静かなる心の平和が充ちる時です。
若い時分には2mもの垂直ジャンプが出来るほどの運動能力を持ち(今ではもう出来ません…)、
サラサラ毛のふにふにで日なたの匂いがして、アイコンタクトで感情の交流さえ出来るのです。
猫とは癒しの生き物ですね。もう猫の居ない暮らしなど考えられそうにありません。
少年の日にプラモデルと、そして大人になって猫と出逢い、私は挫けず惑わず生きて来ました。
プラモデルが無かったら、猫が居なかったら、現在の私も居なかったに違いありません。
人が生きると云う事は常に寂しさや哀しさと共に歩く事だと私は思います。
それは克服するようなものではなく、全てを許容し内包し一緒に歩くものなのではないでしょうか。
そんな人知れず心の襞の奥底に沈んだ澱をそっと優しく包み込んでくれるもの、
それが私にとってはプラモデルであり猫であったような気がしています。
時にはテレビの上から爆睡していて背中から落っこちてしまうなど、
すっとこどっこいな事をしでかしてしまったりもしますが(ほんまにネコかいな…)、
我が人生の伴侶、愛すべき焼津猫のジェムは日々静かに湘南鎌倉ライフを満喫しています。
互いに人生(?)の盛りは過ぎましたが、円熟したおバカ振りには更に拍車がかかり、
吉本新喜劇のような深みと味わいがいや増している昨今ではあります。いずこへ…。
最近になって気付いたのですが、模型好き、プラモデル好きな御仁は総じて猫好きでもあるようです。
私のプラモデルご近所関係だけでもネコ(そういう名前なそーな)、ジョセフィーヌ、アタリ・マーク2、
キジーなどの名の家猫さんと暮らす、プラモデルにも猫にも一家言ある向きが多くいらっしゃいます。
そして皆さん異口同音に「猫が手伝ってくれたらなあ…」などともおっしゃる訳です。
確かに昔より「猫の手も借りたい」とは申しますが、猫が何かしてくれたためしがない…。
人の役には決して立たない。それこそ猫の本分なのでありましょうね。
恐らくは人に頼る事なく自力で何とかしなさい、と云う先人の戒めなのでありましょう。
まあ、あの「ねこにゃんぼう」で何か出来るとも思いませんけども…。
パーすると可愛いクリームパンみたいな手はそれだけで許せてしまいますし。
ジェムはかの写真家、浅井慎平氏(シャム猫好きでも有名)の撮影モデルとなった経歴の持ち主なのですが、
本人(?)は一向にそれを名誉とも思っていないご様子で(当たり前ですが…)、
ただただ惰眠と食欲を貪り続けた12年ではあります。ん〜正しい猫の生きざまですね。
気がつけば猫、振り向けばジェム、そんな日々の繰り返しの中で、
私は粛々とプラモを作り原稿をしたためています。日々猫の居る事の幸せ。
湘南鎌倉山中の庵にて鎌倉亭雲國斎猫乃家(うんこくさいはワンフレーズで読んで下さい)こと私と、
はからずも生涯を共にする事となったジェムの今後の展開は。待て!次号!!
いや、別に続編はありませんから。ないから、ないから、嘘だから。
投稿者 平野克巳 : 2005年06月28日 12:54
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