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初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

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2005年07月28日

プラモデルが食玩に取って替わる時

 もう蝉が鳴き始めている。この辺りは例年ヒグラシが多い。私が「そのひぐらし」だからか…と愚にもつかぬおやぢギャグをぶちかましたところで…この山里の夏は降るような蝉時雨を除けば至って静かな季節である。時に沢ガニが庭を闊歩していたりして驚きもするが、動くものとてない静寂の夏である。こんな夏の午後には全ての手を休め風鈴のちりりと鳴るを待つ。猫も日がなのたりのたりかな、である。部屋の奥深く白く西日が射す頃になれば、行く日を惜しむかのようなヒグラシの寂し気な声がさらに勢いを増す。カナカナカナカナ…それを合図とリューターやコンプレッサーの電源を入れる。模型作りには密閉された完全空調環境は相応しくない。窓を開け放ち大気の中で行なうものだ。煤塵や有機成分を避けられぬ作業であるからそれが必然と私は考えている。趣味で健康を害するほど馬鹿馬鹿しい事はない。とはいえ真夏にゴム製の防毒マスクは辛い。B-17のクルーのように辛い。追々意気込みは萎み気力も失われていく。また明日だ…。作業終了の後片付けだけはちゃっちゃと進む。寄る年波、無理は禁物。やる気の無い時には何をしたって上手くはいかない。そう自分に言い聞かせて、というか自分を偽って無理矢理納得する。
 プラモデルが作りたくて作りたくて仕方のなかった頃。あの時分なら汗だくになろうともプラモデルをいじる手が休むなんて事はなかった。夏休みはいつもたった独りでプラモデルを作る季節だった。友達の家が大抵は行楽や帰省で居なくなってしまうからだ。私の家は一家揃って旅行するなどという事もなく、帰省する田舎もなかった。さらに悪いことに私には兄弟が居なかった。子供たちが減って静まり返った町内は、淀んだ熱気が纏わりついて空気がじっとりと重かった。白茶けた街路樹が、脳裏に描く海や山の輝きをより一層美しいものに替え、自分だけが街に取り残されたようで寂しさが募った。そんな時はプラモデル。何もかもを忘れさせてくれる魔法の小箱だった。時は折りしも東京オリンピック開幕直前の1964年夏、我が家でもカラーTVを買ってくれないものかと内心期待などしつつ、私の最大の関心事は相も変わらずプラモデルにしかなかった。嫌が上にもオリンピックへの期待をいや増す、東京プラモのオリンピック記念メダル入りキット。これこそ私の中での最大のメガヒットであった。そのミリオン双発機シリーズの中でもハンプデンでもデファイアントでも99双軽でもなく(50円キットなのになんてカルトなんだ…)、少年であった私のハートを見事に射抜いたのはデハビランド・モスキートであった。1/150スケール程度のマークIV爆撃型で、小さいながらもかなりそれっぽく出来ていた。確か同年、映画633爆撃隊がロードショー公開されたはずで、劇場でそれを観たのを切っ掛けとして私は現在に至るまでモスキート・フリークである。
 ともかく自分だけが夏休みとは無縁ないつもの日常を過ごしていたので、学校が無い分だけ、友達とも遊べない分だけ、何とも時間を持て余す日々であった訳である。部屋の窓から夏の高い空を見上げながら、額に汗して小さなモスキートを作った。冷房などない時代であるので午後の室内は蒸すように暑く、それに加えてチューブの接着剤の強い刺激臭が充満した。それでも我を忘れて作った。マジックインキの青と緑で迷彩も施して…。今にして振り返れば孤独な夏であった。取り残された気分の哀しい季節であった。それを癒してくれたのが小さな小さなモスキートであった。やがて一日が終わろうとする頃、完成した小さなモスキートは机の上で西日を浴びて静かに佇み、その脇では汗みどろとなった少年の日の私が微睡みの夢の中で大空を飛んでいた。40年以上も昔の想い出である。
 今でも私にはモスキートに特別の思いがある。かつてレベルの1/32キットに精魂を傾け'70年代における私の最高傑作(?)を仕上げた想い出もある。とにかくモスキートにぞっこんであった。だが惜しむらくはモスキートには1/144スケールのモデルが無かった。1/32、1/48、1/72では各社から傑出したキットが幾つも輩出されたが、古くは三和の1/90、そして東京プラモの1/150以降、1/100以下の小スケールモデルは登場しなかった。短期間に少量しか生産されなかった英エアロクラブ1/144もあったには聞くが、私は見た事がないので勘定には入れられない。ともかく大きいか小さいかの両極端を好み、程々を嫌う私の嗜好(性癖と呼ぶべきか…)からすると、1/144のモスキートは永年に亘り私の憧憬であり願望であった。しかし望むキットに恵まれぬまま40年の歳月が流れ、私の中では相変わらず東京プラモの1/150モデルが威光を放ち続けて来た。そして2005年、私の積年の思いが遂に聞き届けられる時が来た。1/144スケールの素晴らしいモスキートが誕生したのである。それはエフトイズの1/144双発機コレクション! そう、察しの良い方は既にお分かりであろう。プラモデルではなくいわゆる食玩である。しかし近年、プラモデルと食玩の垣根は急速に取り払われつつあって、今やタミヤ、ハセガワ、童友社、ミツワ、ヨーデルなどのプラモデル系メーカーと、バンダイ、タカラ、トミー、コナミなどのトイ系メーカーが入り交じって熾烈なシェア争いが展開されている。かつての50~100円のプラモデル(最近はそれ以上も含まれるが)は今や食玩の守備範囲となっていて、プラキット張りのクオリティでしかも完成塗装済みが実現されている。もはや食玩が低年齢層向け商品であった時代は終わってしまっているのだ。そしてその大人向け、マニア向けの食玩の一画であるエフトイズの双発機コレクション中に、素晴らしい1/144モスキートがリリースされたのである。しかもヴァリエーションはa. B.MkIV 第627スコードロン/b. FB.Mk.VI 第82スコードロン/SP. B.MkIV 第109スコードロンの3種。うーん、インベンジョンストライプスだ、パスファインダーだ、ナイトファイターだ! 私のボルテージは瞬時に上がり、塗装替えで633爆撃隊もモスキート爆撃隊も作れるやん、しかも編隊で! などと、40年の空白を一気に埋めようかという勢いである。勿論モデルの仕上がりも抜群だ。コクピットには無線器など機内装備のパーツの他、パイロットのフィギュアまで再現されている。これを凄いと言わずして何と言おう。あの日のような夏の静かな午後、同じモスキートなれど、あの頃のように接着剤や塗料(マジックインキ!)にまみれる事も汗にまみれる事もなく、それでいて遥かに立派なモスキートを手にする事の出来る喜び。40年の時空を超えて今も変わらぬモスキートへの想いを、全く異なる次元で我がものにしてしまう不思議。うーん、時代は変わったものだ、などと結論を結んでしまえば余りに安易に過ぎるのだが、プラモデル世代としては喜んで良いものやら憂うべきものなのやら…なにやら微妙ではある。

投稿者 平野克巳 : 2005年07月28日 21:22

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