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2005年08月30日
ワタクシ的サバイバル生活
私はその昔の喰えなかった頃…今も喰えないのだが、それはそれとして置いといて…それなりに辛酸なめ子な生活をした。未だネコ・パブリッシングが企画室ネコと名乗っていた時代のお話だ。ご存知のように編集執筆業務というのは昼夜を問わない。そのため鎌倉から通い切れなくなった私は世田谷の上野毛でアパート暮らしをした。その頃、会社というかマンションの一室の編集部があった用賀は、玉電が廃止されて未だ新玉川線も開通しておらず、路線バスのみが通う東京の孤島であった。私が暮らしたアパートは木造二階建て、鉄の外階段付きの、まさに神田川のような世界だった。初任給11万7千円、家賃が3万2千円だったが、毎月3万の貯金をした。愛車はセルが壊れて押しがけしなければならない中古のフロンテ・クーペ。幸いにもアパートの前が私道だったので、大家の好意でただで置かせて貰っていた。まあちっぽけな360ccの軽だったからそれも可能だったのだろう。我が城の間取りは流し台(キッチンなどという洒落たものではない)付きの6畳ひと間。所帯道具といえば炬燵と炊飯器と扇風機、保温ポット、そして当時はファンシーケースと呼ばれたビニールの衣装箪笥だけで、14インチのTVは暫くののちに奢られた。この部屋の誇れるところは、炬燵に座っていながらにして部屋の四隅まで手の届くことで、動かずして全ての用が足りた。トイレは隣室と共用であった。互いの中間にあって、どちらの部屋からも入れる。つまり便器を中心にして左右に木の扉があるのだ。要するに隣りの部屋とは筒抜けの構造になっている。だから左右の扉ともに内と外に閂の鍵が付いていて、互いに普段は自室側の外鍵を掛けておき、用足しをするときは隣室側の内鍵を掛ける訳である。お隣りさんは20代後半と思われるOLだったが、このヒトがまた良く自室側の鍵を掛け忘れて出掛けた。こっちは時間に不規則な生活なので昼前まで居ることもあり、時にトイレの扉を開けると風圧で隣りの扉がぶわんと開いて、女の園(?)が無防備に開陳されてしまうことが多々あった。勿論、入ってしまえば不法侵入の立派な犯罪なので、好奇心は深く静かに潜航させたのは言うまでもない。
銭湯は直ぐ近くにあったし、その隣りにコインランドリーもあった。1日1食は即席麺と決め食費は随分と切り詰めたが、1週間に1回は銭湯帰りに焼き鳥屋で焼き鳥4本と熱燗1合の贅沢もした。それでも生活は楽ではなかった。取り合えずご飯を炊き、おかずが無いときには炊きたてご飯の上にバターをひとかけ乗せ醤油を適量垂らし、バター醤油ご飯を食べた。これはイケる。栄養価も悪くない。但しマーガリンでやってはいけない。油分が気持ち悪さを誘うのだ。バターは高いので痛し痒しではあった。味噌汁に卵が1個あれば大ご馳走である。良く生タマゴかけご飯というが、これでは卵1個でご飯1膳しか食べられない。卵を味噌汁に落として半ゆで卵にする。固まった黄身を先ずは1膳目のご飯にまぶし醤油を垂らして食べる。次に残った白身を丹念に箸ですくって食べる。そして残った味噌汁に2膳目のご飯を入れてネコ飯にして食べるのである。これは充分に腹がふくれる。そんな日々、残業となった晩の会社持ちの夜食、一力のカツ弁当の味が忘れられない。
用賀の鄙びた商店街の中に古い模型屋があった。暗い土間にはガラスケースと陳列棚のいかにも昭和40年代の風情であった。そこには何とスロットレーシングカーのキットが売れ残って積まれていた。最初に足を踏み入れたときの衝撃たるや今も忘れない。マルサン1/32ポルシェ904GTS、緑商会1/24アルファロメオ・カングーロ、童友社1/24スカラブが複数個、重ねて置かれてあった。壁の棚にはAMT1/24ヒュッセンが数個、他にAMTとモノグラムの不人気モデル(何であったかは忘れてしまった)が幾つか並んでいた。今から四半世紀も前のことだが、既に充分「超絶版」骨董キットたちであった。先ずはマルサンのポルシェ904を迷わず買った。少年時代にサーキットで走らせた懐かしいキットである。購入金額は1,800円。当時の定価である。そして翌月の給料が出ると緑商会のカングーロ、更に翌々月の給料日にはスカラブを買った。勿論、ポルシェ904同様、1,000円、900円と定価での購入である。今なら見つけたその場で全てまとめて買うのだろうが、当時の私にはそれだけの財政的余裕などとてもなかった。それにオモチャを買うために借金をするなど、人の道からは悖る愚かな行いで(苦笑)許されるようなものではないと当時の私は固く信じていたのだ。そして更に翌月、行ってみると店内はもぬけの空だった…店主のおばさんによれば先週廃業して、残っていたキットは近所の小学生たちにくれてやったとのこと…セイセイセイセイ! あ、それはもうイイか…甘かった。私の見通しの何もかもがも甘かった。せめて内金だけでも入れてリーチしておけば良かったのだ。悔やんでも悔やみきれない私の段取りと根回しの悪さ。のちに編集者としてもそれが弱点となって露呈することになるのだ(S社長に改めて懺悔…とほほほ) しかし、思い込んだら一気呵成に突っ走って…しまわない私の性分が、私の身と生活を守って来たこともまた事実である。喉から手が出るほど欲しかったのは正直なところだが「オモチャで身代潰してどーする!」の思いはことさら強かった。若き日の私の人生におけるささやかなサバイバル術のひとつであった。それから20数年の歳月が過ぎた。プラモデルが膨大に溜まっては吐き出すことを何度も何度も繰り返して生きて来た…そして現在、納戸と応接間(最近では押し入れと寝室まで…)を倉庫と化したプラモデルの大群は、平野家を乗っ取り支配しようとしている。この強力無比なスピーシーズたちの前に我が家の生計破綻も目前である。ま、いーかあ! どうせ身代なんていえるほどの財産築いた訳ぢゃねーし。崩れたプラモの下敷きになって死んでやらあ。こちとら江戸っ子でえ(文脈にまるで整合性がないな…)
投稿者 平野克巳 : 2005年08月30日 14:27 | トラックバック
2005年08月26日
憂いの晩夏
どーもー、ハードガイ平野でーす。今宵は豪華絢爛貧乏大特集、フォーッ!…三共1/25三菱ブルドーザBD11のジャンクをレストアしようと画策しているのだが、サフェーサーと黄色の缶スプレーを買うお金が無い、フォーッ!三和1/8ホンダ・ドリームCS72のジャンクもレストアしようと計画しているのだが、欠品パーツのレジン・レプリカを発注するお金が無い、フォーッ!タミヤ1/6ホンダ・ドリームCB750K0を作ろうとしているのだが、初期モデルの組み立てチェーンがどうしても手に入らない、フォーッ!ハセガワ1/12フェアレディZ300ZXツインターボを眼前にして、キット代金32,000円が支払えない、フォーッ!タミヤ1/12フェアレディ240Zサファリ仕様と同1/12フェアレディ240ZGを“2個いち”する決断がどうしても出来ない、フォーッ!第一240ZGのキットが買えそうにもない、フォーッ!「下町の空想画家 小松崎 茂展」を見に行きたいのだが、東京までの足代がとても出そうにない、フォーッ!エアコンもガス給湯器もウォシュレットも壊れかけてるけど、新しくするにも修理するにも先立つものが無い、フォーッ!夏前に友人のかっぱらけ興業に庭の整備をして貰ったのだが、残金の1万円が未だに支払えない、フォーッ!1階のひさしのトタンが吹っ飛んでしまっているが、前記のような事情によってかっぱらけ興業に修理を頼めない、フォーッ!一昼夜置き去りにしてあったパスタを食べた妻が倒れてしまった、フォーッ!パジャマ替わりだと言っている20年前のTシャツを昼間も着ている、フォーッ!今夜の夕飯はたまごかけ御飯だ、フォーッ!セイセイセイセイセイセイ!はーい。なーんて貧乏なんでしょーかあ~(かなりな確率でノンフィクションでお贈りしております)
極度にお金も仕事もないので、いざというときのための体力維持を努めるため(その必要があるのか、果たして…)今日も今日とて自転車行脚は続く。近所の小学校の脇を「たりらたらりら」と走り抜けて行く。校庭はしんと静まりかえって視界の範囲内で動くものといえば、脇を流れる小川(と言うよりどぶ川みたいなものである)で鷺が小魚を狙って歩き回っているくらいのものだ。普段はこの校庭の主である子供たちも、今頃は宿題のラストスパートに追われているのかもしれない。閑散とした校庭を眺めていたら少年時代のことを思い出した。夏休みになるといつも母方の田舎に預けられた。ずっと居られると鬱陶しいので両親に体良く追い払われたということなのだろう。行くときにはプラモデルをひとつ買って貰えた。良く記憶しているのは山田模型のフェザーである。ヤマダ・オリジナルのカタマラン型プロペラ推進ボートで、田舎には川や農業用水路が沢山あったので選んだのだろう。双胴ボートなので安定は良いのだが、マブチ15モーターではいかにも非力で何とも遅い。それでも昔の子供はそこいらで水遊びが出来たので結構楽しかった。そろそろ夏休みも終わろうとする頃、もう裏山の探検や虫採りや魚すくいにも飽きて遊びが思い着かなくなった。そこで裏の小学校へフェザーを持って出かけた。校庭の端に防火用水池があるのだ。私にとっては他所の学校である。その上、ひとっこひとり見当たらない校庭は寂しいばかりであった。ただ黙々とボートを走らせた夏の終わり…子供心にも侘びしく切なかった。今でも夏の終わりになると、あのときのうら悲しい校庭の風景や寂しさに充ちた心象風景をフェザーと共に思い出す。そしてずっと山田模型のフェザーを忘れられないでいる。妙なものである。
さて夏休みが終われば、そろそろ天高く馬肥ゆる秋。肥えるのであるから食欲の秋…ぢゃなくて芸術の秋。先にちょっと触れたが郷愁の少年時代に触れてみるのは如何だろうか。平成17年度荒川ふるさと文化館企画展「下町の空想画家 小松崎 茂展」へ足を運んでみることをお薦めする。あの少年雑誌の挿し絵やプラモデルのボックスアートで有名な画家、小松崎 茂画伯の作品展である。終生、故郷の荒川南千住を愛した小松崎画伯の遺作展として興味は尽きない。荒川ふるさと文化館1階企画展示室にて9月25日まで行なわれている。開館時間は9:30~17:00(月曜休館)、観覧料は100円(主催:荒川区荒川ふるさと文化館 116-0003東京都荒川区南千住6-63-1 TEL.03-3807-9234) どのような内容かと言えば…すんません。未だ行ってないので分かりません…だから往復の交通費が工面できねーですだあ。わああ~ん。私は貧乏…甘えん坊、きびしん坊、はいっリンボー! (どこぞのCMぢゃねーって) マジな話、私は生前の小松崎先生には随分とお世話になった。半泣きになりながらフォルクスで大量のステーキをご馳走になったのも懐かしい。あのとき、やはり半泣きになっていたカメラマンのK氏も今は既に亡い。他出版社なのでここでは書かぬが、小松崎先生に関する著書も雑誌の特集も含めば3冊出させていただいた。あの独特の甲高いべらんめい口調で「マルサンのマークのくだりじゃあ、あたしゃ涙が出ちゃったよ」(モデルカーズ4/マルサンの残像)とまくしたてるように誉めて下さったことを忘れない。それは私にとって生涯の勲章である。「わたしはもう限界。あとは頼みます」と病院のベッドで手を握られた晩の切なさも忘れない。先生、私なんかに何を託されたのですか…。先生のお宅から失礼する際にはいつも玄関で「平野さん、また来な」とぶっきらぼうに、しかし温かく見送って下さいましたよね。もう「また来な」と言っていただけないのが、とても寂しいですよ。去り行く夏にふと50男がそんな感慨に耽ってみたりしている。四国は干害だというに。嗚呼、おやぢギャグでシメてもた。この軽薄さに真情は溢れているのか…。
投稿者 平野克巳 : 2005年08月26日 19:57 | トラックバック
2005年08月24日
夏の日の幻想
いつものように裏路地から畦道へと自転車を走らせる。相変わらずの茹だるような暑さの午後、街はひと気が絶え蝉時雨ばかりが響き渡っている。それでも頬を撫でていく風の中に秋の気配が潜んでいる気がした。海岸の海風に感じるあの季節の変わり目の匂いがした。季節は知らず知らずのうちにひっそりと秋の準備を始めているようだ。季節の変わり目は心が焦る。若い頃から一環してそうだった。何かをし忘れたようで寂しさが募る。道で腹を上にして骸と化したアブラゼミ…我が世とばかり浪々と鳴いていたのも僅かな日々でしかない。蝉の一生は儚く寂しい。夏とはそうした季節なのかもしれない。
今宵、初めて秋虫が庭で鳴くのを聞いた。やはり人知れず静かに秋は忍び寄っている。日々大した働きもしていないのに時間と季節ばかりが粛々と通り過ぎて行くようだ。そろそろ本格的にCS72にも着手せねばなるまい。BD11の塗装も早く仕上げてしまいたい。本当に432Rは可能なのだろうか。マッハIIIは納得のいく仕上がりに到達させられるか。他に学研をリサーチ出来る資料はあるのか、356スピードスターは何色にすべきか、ブルドッグを作るべきかカメにすべきか…いざとなると思いは千々に乱れるのであった。そんな折り、巨大な荷物が届いた。越中富山の薬売りならぬ富山M氏からの置き薬ならぬ置きプラモであった。頓服としてタミヤ1/6のホンダCB750K0とその白バイ仕様、痛み止めのCB750K0の組みチェーン一式、常備薬として今井1/12エクスキャリバーSSK、今井1/16トヨタ2000GT、バンダイ1/20セリカ1600GT、その他諸々である。今後も健康に留意し、時に人生に咳き込んだり日々に傷付いたりしたときはこの薬箱を開けよ、とある。昔は薬箱について来る紙風船が嬉しかったものだが、この薬箱は中の薬全てが紙風船みたいなものである。M氏のご厚情をありがたく頂戴し、今後の生きる糧にしなくてはと心に刻む晩夏ではあった。
翌日、友人のW画伯が私の求めに応じて、わざわざ小田原からハセガワ1/12フェアレディZ 300ZXツインターボを持参してくれた。古典キット倶楽部のネタの仕込みなのであるが、このボックスアートを描いたW氏ならひょっとしてキットを所蔵しているのでは、と打診してみたのである。ところがキットを見て驚いた。当時の定価が32,000円なのである! 想定外な現実に一瞬言葉を失った。当時まだMC誌の現場職だった私は静岡ホビーショーで現物を取材している。会場の外で2台の完成品の撮影をし、それがMC誌“We Love Model Cars”新製品情報のリポートにもなった。なのに価格だけが記憶からすっぽり抜け落ちているのはどうしたものなのか。認知症の始まりなのか? …あな恐ろしや…否! そうではなくして、あの時も余りに高価なためにリアリティをもって受け止められなかったのではないか。生存本能(?)が自らの記憶回路をハナからシャットアウトしたに違いない。ともかく32,000円なのである。困惑顔のW氏を前に「えーっっ! こんなに高くちゃ買えない…」と、こちらからお願いしたのも忘れて現実から逃避しようとする私が居た。何故にこんなにプラモデルが高いのさあ、とキットを改めて点検してみる。ボディは塗装済みなのかぁ(おいおい、そんなことも知らなかったのか? …つーか覚えてないのか?)、なるほど、シャシーのフロアパンがまるまるダイキャストなのね。しかも塗装済みだし。あ、それにエンジンはホワイトメタル完成済みだあ。サスペンションもホワイトメタルのパーツが入ってるねえ。うーむ、これじゃこの値段もしょーがないのかねえ。それになんたってデカいしね( 結局これ一点が価格の判断基準となっているワタシ…) 泣きそうになっている私に「ディスカウントするよお」とやはり泣きそうになっているW画伯…今年の夏の素敵な想い出である(んな訳ぁない…) ここはもう某模型雑誌の某長なんたらかたら・どーたらこーたら編集長に泣きついて直訴するしかない。特例として経費認めてくでーっっ。そんな特例はありません。却下!…とほほのほ。かくして日本の一番長い日は敗戦と云う厳しき現実を見据えたままに終わりを告げたのであった。こりゃまた、とほほのほ。いずこへ…。
人生の教訓。どんな形にせよ模型に携わって生計を立てようとすることは並み大抵な覚悟では出来ませぬ。好きこそ物のJAWSなれ。嫌われても疎まれても泳ぎ続けなければ死んでしまいますと云うモノの喩えです。あれ? 違いましたか? …。ともかく好きでなければやってはいけません。それが現実ですね。あ、そうそう、W画伯。お手持ちのタミヤ1/12フェアレディ240ZGのキットのほうも譲って下さいよぉ。“どげげげげーんっ!”(W画伯渾身の飛び蹴りの音) ♪人生楽ありゃそれでいい、誰かがあとから泣いている…いけません、そんなことでは! そんなこんなで今年の夏も白昼夢だか妄想だか判別不能な出来事と共に過ぎ行く。夏はいいやね(何言ってんだか…)
現実はかくも厳しい。かくなる上は現実逃避するに限る。暑いことだし…理由になっていないが。こういう時は夢に救いを求めるのが一番である。次回の古典キット倶楽部はオール・アメリカン特集をお届けしよう。トランペッター1/12コブラ427S/Cとそのバリエーションである1/12コブラ289FIAロードスター、タミヤ1/12コブラ・デイトナ・クーペ、フジミ1/12フォードGT40 Mk-2の豪華ゲストの皆さんをお迎えして、絢爛豪華な一大ショーをお見せしようと思う。また特別ゲストにはCopperむらかわむら氏による巨大プロジェクト、1/12コブラ427スーパー・クーペと1/12フォードJカーのフル・スクラッチ・モデルも予定している。うーん、見たいぞっ!(決して作りたいとは言わないワタシ…) 乞うご期待、待て次号!…嘘だから嘘だから。待たなくていーから…。
投稿者 平野克巳 : 2005年08月24日 01:22 | トラックバック
2005年08月19日
雀百まで皿を喰う…?
最近オークションで香港からK&B 1/24ポルシェ906/916(カレラ6ではなく904カレラGTSの6気筒モデル)の組立済みモデルを買った。K&Bの906はブームの終わり頃、叩き売りで安く買った当時のモデルを今も保存しているし、新品のスペアボディも持っている。なのに何故にまた買ったかと言えば、ボディよりもシャシーが欲しかったのである。やはり数年前にオークションでK&B 1/24コブラ・デイトナクーペのジャンクとスペアボディの新品キットを入手しているのだが、このデイトナクーペの為のシャシーが欲しかった訳である。未だにこんなことをやっている…。現在、スロットレーシングカーではタミヤとコックスが神格化され、とてつもないプレミアが付いてしまったが、当時のブームをオンタイムで経験した私はタミヤは幾つも買って作って走らせたので、いまさら数十万もの大枚をはたいて入手する気にはならない(しかしロータス30だけは喉から手が出るほどに実は欲しい…) コックスもシャパラルやチータには惹かれるのだが、劣化の著しいマグネシウムが嫌なので持っていない。むしろ、私の場合は今もK&Bが忘れられない。それは少年時代の憧憬がそのまま擦り込まれた結果である。緑商会1/24ホンダF-1を買おうか買うまいか散々に悩んでいたような当時の私にとって、輸入キットは遠い雲の上の存在でしかなかった。国産キットがガラスケースの中で覇を競っていた中、輸入キットは背面の棚で別扱いされていて、おいそれとは見せても触らせても貰えなかった。モノグラムやK&Bとはそうしたキットであった。なにせ国産スロットカーの標準価格が800円だった当時、モノグラムやK&Bは4,000円前後もした。当時の子供のお小遣いではとても及びもしない金額だったのだ。だから遠い棚を眺めては溜め息ばかりついた。そしてパッケージのボックスアートだけが強烈な憧れと共に脳裏に記憶されたのであった。
今にしてみればK&Bのデイトナクーペは変な格好である。ちなみに大滝1/24のデイトナクーペもこれをコピーしたものなので、同じく変な格好である。今さらこれをどうこう言ってみたところで余り意味もない。しかし、問題はそんなところにはない。K&Bのデイトナクーペだから良いのである。今でも本当であればキットを手に入れて是非組み立ててみたいのだが、前述のように超お宝キットと成り果ててしまっているので、とてもワタシなんぞには手が届かない。そこで寄せ集めで完成モデルを仕立てようと画策している訳である。しかーしっ! …スペアボディキットにはホイールのセンターロックスピナーが付属していないのだ。雰囲気でいーのよー。グンゼのでも、あるいはデイトナクーペのじゃなくても他からナンボでも流用できるぢゃーん…と仰るかもしれぬ。それはそれで正しい。だが、しかし、である。私の場合はどこぞの誌面(出来ることならモデルカーズ誌上を希望している)で皆さんに見ていただくことを前提としているので、当時のオリジナル状態であることが必須条件なのである。そこいらの雰囲気ヒストリックカー専門誌のように「ホイールとタイヤ、ハンドルはオーナーの好みによるノン・オリジナル」なんて注釈だけつけて、半端な仕様のまま平然と紹介してしまうような愚は犯したくない。それとて読者側が知っていればともかく、当時を知らない若い読者には勘違いさせてしまうおそれさえある。写真と活字は雄弁に時代を語るが、送り手の姿勢がいい加減だと、歴史を歪曲さえしてしまうほどの影響力が秘められている。なんでえ、たかがオモチャにそりゃあ大袈裟ぢゃねーのかあ、などと侮るなかれ。当時を知る者にはそれを正しく伝承していく責任があるのだ。知らずに間違ってしまったなら致し方ない。未熟であったことを素直に詫びて、後で正しく訂正するまでだ。だが、知っていて手抜きの為に頬被りするのは罪である。私はそんな編集者にはなりたくない、そんな執筆者には決してならない、とずっと心に固く誓ってやって来た。時にはもっと要領良くやれば良いのに、と思ったことも一度や二度ではない。だが愚直なまでに自身の信念には忠実であり続けて来た。それがワタシの生きる道とパフィーも歌っていたではないの。あ、いや、演歌にもあるな…演歌系になると一寸しゃっちょこ張ってしまうので…。
そんな私の頑な基本姿勢が災いしてか、数年前(いや、もっと昔か)に立ち上げた1960年代スロットレーシングカーのムック本企画は、仕込み半ばにして現在も頓挫したままだ。クライマックス1/24アルファロメオ・カングーロを人質に差し出してくれたK井せんせー(静香ちゃーん!)、モノグラム1/32MGAや童友社1/24(?)ゴーカートをブン投げてくれたI原ちゃーん、タミヤ1/24フェラーリ330P2を委ねてくれた富嶽ちゃーん、FT-16モーターを幾つも譲ってくれたM川さーん、N川さーん、コックス1/24シャパラル2をタダでくれることになってるコーギーちゃーん(違う違う)、その他にも沢山の方々にこの本の企画に賛同いただいて有形無形の協力をいただいたままだ。ごめん! 本当にごめん。申し訳ないっ。面目もないっ。しかし狼少年ならぬ犬少年くらいにはなっている平野は、未だ諦めてはおりませぬっ。某模型雑誌の某長なんたらかたら、どーたらこーたら編集長には「昨今の1/32スロットカーのちょっとしたブームの特集の端っこでならやらせてやっても良いけどなあ〜」などとは言っていただいてはおるのだが、せめて毎回ひとつのモデルを紹介する連載をせめて1ページでもやらせてちょう…などとお願い奉る日々ではある。かつて日本列島を嵐のように駆け抜けて行ったスロットレーシングカー・ブーム。もうそれを知る自動車ファン、模型マニアも少なくなってしまったが、戦後日本の世相風俗の歴史としても後世に伝えるべき事柄であろうと今も私は固く信じている。ボディの搭載を待つシャシーや塗装しかけのボディなどが渦巻く我が庵では「早く人間になりたーい、ではなくて、早く本に載りたーい」と沢山のスロットカーたちが悲痛な叫びをあげている。嗚呼、蝉時雨とスロット時雨に包まれた鎌倉の晩夏であることよ…。
投稿者 平野克巳 : 2005年08月19日 19:10 | トラックバック
2005年08月16日
人生の畦道
街はお盆休みでひと気が絶えた。実に静かなものである。ただ蝉時雨だけが木霊するように響いている。私は運動不足解消の為に毎日自転車に乗るのだが、いつもの街がまるで死んだように静かでむしろ気味が悪いほどだ。つい先日のことだ。突然、後輪がバーストした。パンクではなくバーストである。バン!と凄まじい轟音と白煙を立てたからたまらない。私自身もびっくりしたが、周囲の歩行者やドライバーは何事かと訝って、辺りをきょろきょろ見回している。しかし誰も身構えるような人は居ない。テロだ何だで世界中が戦々兢々としている昨今、改めて平和ボケ日本を痛感した。とにもかくにもタイヤに空気の入っていない自転車では走れない。この近辺の自転車屋はと考えてみたが思い当たらない。大体、最近は自転車屋という職種そのものが激減してしまっている。ママチャリなぞ10,000円もあれば買えてしまうご時世である。昔のように大事になどしないから、修理や整備などせず大概は使い捨てである。だから自転車屋なぞ商売にならず、大抵はオートバイ屋(それも商売としては厳しいが)に鞍替えしてしまったか廃業してしまっている。たまに昔のままに店を開いていたりするところもあるが、店主の高齢化が進み、日がな店先で新聞を広げて煙草を吸っている光景ばかりが目につく。記憶の範囲内での自転車屋はやはり高齢化と顧客の減少によりシャッターを閉めてしまって久しい。これは困ったなと通りすがりのいかにも古そうな地元の自動車修理工場で聞くと、2キロも歩くとあると言う。まあ200キロ以上もある壊れたバイクを押して歩いた事も一度や二度ではないので、自転車を押す2キロなら大したこともない。しかも私の自転車はアルミフレーム、アルミリムの軽量車だ。ただ気温35度以上の炎天下なのが辛い。教えて貰って辿り着いたのは古い小さな自転車屋だった。爺さんがひとりで切り盛りしているらしい。2時間後に取りに来いと言う。家に帰るには半端な時間だし、待たして貰うような店先でもない。仕方なく時間を潰す為に炎天下の田園風景の中をほとほとと歩き、いつもはクルマで買い物に行くスーパーに入った。フードコーナーなど無い小さな店鋪であるから、取り合えず目的もないまま店内をくまなく見て歩く。トウモロコシ高っ! これじゃおやつ替わりに気軽に茹でて喰えないよなあ。昔は背篭にトウモロコシ入れた農家のばあちゃんがもぎたてを売りに来ると、卓袱台の上に茹でたトウモロコシが山積みになっていたもんだよなあ。タスマニアビーフかあ。筋っぽくて硬そうだなあ。ステーキも死ぬほど食べたくはなくなったよなあ。歳かなあ。鰻も随分永らくスーパーの鰻しか食べてないよなあ。あー、ハーシーのチョコレートもスニッカーズも食べたいと思わなくなったなあ…そんなこんなで30分ばかりの時間を潰し、再びあぜ道をほとほとと自転車屋へ。アキアカネが乱舞する。凄いね、トンボは。あの動きは今もヘリコでは絶対に真似の出来ない動きだよ。ホバリングしたかと思えば一気にスイッと向きを変えてフライパス。いやあ、地球上で最高の飛行機だね。続いてあぜ道の向こうに何やら青っぽい紐が1本。近付いたら見事な青大将だった。1m以上はあるね。しかし道の真ん中でぴんと真直ぐに延びたままフリースしている。暑さに蛇も参ってるのかね。流石に直前まで近付いたら鎌首持ち上げて独特のうねりで畑の中に消えたけど。
見事に直った私の自転車にかかった修理費は、チューブとタイヤを新品に替えて工賃込みで4,000円。これじゃ商売成り立たない訳である。しかし1万未満の自転車もあるから、とても真っ当な工賃なぞ請求出来ないのであろう。先日、メルセデスのミッションが壊れて、蓄えの殆どを供出する羽目となってしまっていた私にとっては、何とも財布に優しい自転車屋さんなのであった。
翌晩、お迎え火を焚き、父と猫のあのこを迎え入れた。魂は馬に乗って急いでやって来て、牛に乗ってゆっくり帰ると言う。ならば猫のあのこは何に乗ってやって来るのかなどともフと思うが、まあそんな事はどうでも宜しかろう。何れにしても何でもかんでも「せっせか」急いでみたところで詮無いことと最近思えるようになった。それこそ以前ならクルマが壊れた、バイクがパンクしたなどの状況に陥って、まず最初に考えるのは時間のロスであった。貴重な時間が無駄な空白によって浪費されてしまうことへの焦りと怒りであった。そんなに急いで私はどこへ行こうとしていたのか。何をしようとしていたのか。人生に時間は無限にある訳ではない。それは良く分かっている。分かっているが、だからと言って生き急いでも致し方ない。携帯を持つせいもあるのだが、私はこの何年も腕時計をすることがない。時間に追い立てられるのをやめた時から、ストレスが半減したように思える。こんな精神構造であるから、当然、社会の団体行動には適さない人種となった。私はそれで良いと思っている。湘南に暮らすとそんな観念が芽生えるようだ。自転車が壊れたなら、それはそれで仕方がない。直るまで時間を潰さねばならないのなら、焦ってもどうにもならない。結果、延々と歩くことになるのなら、風や花や虫と戯れて楽しい時間にすれば良い。人生の一瞬一瞬は大切だが、そのひとつひとつを無駄にすまいなどと強迫観念に捕われてはいけない。息が詰まって疲れてしまう。そもそも人生に無駄な時間など無いのかもしれない。所詮、人生とは死ぬまでの限られた時間に過ぎない。亡くなる直前、病院であの頑固で横暴だった父が死にたくないと泣いたことを今でも覚えている。しかし私は生きることに固執するより生きることを楽しみたいと思う。人生は川のせせらぎのごとし。ただ蕩々と流れ行くのみ。そして最後の時を悟ったら「今は寂しいけれど、これまでずっと楽しかった」と思いたい。クルマやモーターサイクルやプラモデルと関わり合い続けた私の人生は、それ故に楽しかったときっとその時思えるだろう。プラモデルのある幸せ、プラモデルに携わっていられる喜び、改めてそんな思いが実感されては心を充たす今日この頃である。
投稿者 平野克巳 : 2005年08月16日 17:43 | トラックバック
2005年08月12日
プラモデルは何を教えてくれたか
早いもので立秋が過ぎ、暦の上では既に季節は秋である。まあ昔の暦とは時期がずれているせいもあるのだが、夏はあっと言う間に通り過ぎる。湘南の海も10日過ぎれば土用波となって波も荒くクラゲも出没し始める。そして数カ所で行なわれる恒例の花火大会も鎌倉海岸が終了すれば、そろそろ街はお盆モードである。ここいらでも黒い袈裟掛けのゼロハン・ライダーがいたる所で闊歩するようになる訳だ。少なくはなったもののテレビの昼帯は怪奇特集となり、終戦記念特番も目立つようになる。私は昭和28年生まれの戦後世代だが、それでも少年期には戦争の残滓が実生活のそこここに影を落としていた。日常会話の中に「奴は特攻隊の生き残りだから」なんてフレーズもごく自然に織り交ぜられていたりもしたものだ。ヘルメット着用義務以前では単車に乗る中高年の多くが、陸軍の防寒帽を模した合皮と兎の毛皮で出来たヘッドギアを被っていたのも懐かしい。私の母方の祖父は関東軍の兵士であったし、父は海軍軍属で横須賀鎮守府で戦艦大和などの設計図面を担当したのち、タイ、ビルマ、シャムなどの南方戦線に従軍し、母は東京下町で艦載機グラマンの機銃掃射を日々受けていた。私が物心ついた頃には既に進駐軍は居なかったが、繁華街の街頭や国電の中では未だアコーデオンを抱えた傷痍軍人が沢山見られた時代である。
昭和30年代には戦後は明らかに遠くなりつつあり、少年文化に華開いた戦記ブームの世界では旧軍兵器や戦闘記録を美化とまでは言わずとも、悲愴感や勇壮感をことさら強調したニュアンスで支配されていたように思う。今にして思えば少年文化は軍事色一色だったような記憶も強い。そうした傾向の中でプラモデルが出現し波及していった訳で、当時の少年たちは迷うことなく戦闘機や戦車、戦艦に興味の焦点を集中していった。よく書かれることだが草創期の国産プラモデル界では戦艦大和かゼロ戦でありさえすれば、たとえどんな内容のものであっても無条件に飛ぶように売れたそうである。そしてあわよくば戦争の趨勢を変えられたかもしれない超兵器として震電、烈風、富嶽などが、実戦想像図と共に雄々しく紹介されて、小さなナショナリズムを煽っていたようにも思う。一時は同盟国であった親しみなのか同じ敗戦国としてのよしみなのかは知らぬが、ドイツの超大型戦車マウスなども同じような紹介のされ方をしていたことを懐かしく思い出す。
それに反してB-29スーパーフォートレスは極めて印象が悪く、未だ空襲の実害を受けた世代が大半であった当時ゆえに悪魔のように忌み嫌われていた。とりわけ広島、長崎に原爆を投下した当事者であったから、口にすることさえも憚られるような意識が永い期間に亘り支配していた記憶がある。熱烈プラモ小僧であってもエノラゲイの名は口にしなかったし、それどころかB-29のプラモデルを買って作ることさえ自重したものである。同時に特攻兵器と云う存在もプラモデルにおいてはタブーな存在であった。爆弾を抱えた零戦なぞ決して作りたくはなかったし、剣や回天などに至っては誰も話題にしようともしなかった。かつてプラモデルには子供を不良にするとか戦前の軍国主義を植え付けるなどの批判があったが、実際にはそれは当てはまらなかった。零戦52型とP-51Dを作っては「精神論なんかで戦争しちゃいけないよなあ」と国力というものを冷静に判断することを学んだ。戦艦大和を作っては「一億総特攻なんて狂気の沙汰でしかないよなあ」と悪しき思想統制を嫌悪した。その入り口がどんなものであろうとも、興味のあることはやがてより深く知ろうとするようになるものだ。その意味でプラモデルは学校では教えてくれない戦争の実害を、より具体的に学ばせてくれる貴重な歴史の語り部であった。教科書が端折るばかりで近代史を疎かにしてしまうようになり、プラモデルが万人のものではなくなってしまった昨今、若者は64年前に日本がどこと戦争を始めたのかさえ知らない。中国の若者のナショナリズムは不愉快に過ぎるが、日本の若者の阿呆さ加減には開いた口がふさがらない。勿論、それら全ての功罪がプラモデルを原因とするとは言わないけれど…。
宿命的に戦争と深く結び付いたプラモデルの世界でも、自動車の分野だけは別である。確かに限られた一部の軍用車輌は存在するが、総じて自動車に関する限り戦争とは無縁である。ただ馬車の時代から幾らも進化していないものや実用一点張りの商用車などは、概してプラモデルの世界での弱者であり続けて来た。派手なレーシングカーや最新のスポーティカーばかりがもてはやされて来た歴史は、我が国が自動車文化後進国であった為かもしれない。ゆえに国産乗用車が脚光を浴びる'70年代以前の自動車プラモデルは、それはお寒い状況に過ぎなかった。そんな時代の駄菓子屋の店頭には、玩具をプラスチックに置き換えただけに過ぎないような形態のプラモデルも多々あった。童友社のミニチュアカーシリーズもそんなプラキットのひとつだった。マルサンのマッチ箱シリーズに似たパッケージで、価格は確か20円であったと記憶する。当時の子供の知識では知らぬクルマばかりがモデル化されていたが、その中でVWだけは唯一馴染みのあるクルマであった。当時輸入車など所有する家なぞ滅多になかったが、VWなら結構ボロい中古車が小金持ちの家のガレージには良く収まっていたからである。それに何とも特徴的なスタイルであったから、町内に1台くらい居たりするとひと際目立ったのも事実だった。オペルカデットなどと言われてもピンと来なかったが「ふぉるくすわーげん」なら理解できた。そんな訳でVWを選んで買った。キットの中身は凄まじいものだったが、それでも実車の個性に助けられてVWビートルには見えた。取り敢えずタイヤだけはマジックインキで黒く塗り、画用紙の上に描いたコースで走らせて遊んだりした。戦闘機や戦車、戦艦などには詳しいが、自動車にはからきしの当時の私としては、そんな程度の想い出しか残っていない。そんな私がその数十年後にはフォードGTやシャパラルの実車を追い掛けるような人間になるとは。人生とは何とも不思議で面白いものである。
投稿者 平野克巳 : 2005年08月12日 17:21 | トラックバック
2005年08月09日
新連載いよいよスタートです
以前にこのブログでご案内したモデルカーズの新連載企画、「鉄の馬」歴史館 Motorcycle museumが、今月末発売号よりいよいよスタートの運びとなった。その第1回は日本模型(現ニチモ)1/15ホンダ・スーパーカブをお届けするのだが、この1960年/昭和35年生まれの骨董品は昨今、超稀少アイテム、絶滅危惧種に認定されており、完成モデルは無論のことキットさえも滅多にお目にかかれる存在ではないようだ。実際、私とて小学生時分に作ったものと、過去にモデルカーズ誌上でご紹介した読者製作のものくらいしか、完成品を目にした記憶がない。大体からしてスーパーカブのプラキット自体も'80年代の赤カブ(バンダイ1/12)とこの日模1/15カブがあるだけなので、さらにその貴重性はいや増すばかりだ。そんな訳なのでコレクター間では激レア、超お宝キットとして珍重されている模様である。そうなれば今のご時世、破格のプレミア必死であるから、より一層完成品など望めない。なにしろプラモデルを投機の対象と見る向きにとって、プラモデルとは「作ってしまえば用済みの二足三文な存在」である。キット・フォームであって初めてプラモデルはコレクターズ・アイテムとして通用するのである。
ならばそうしたキットの完成モデルを広く多くの方に見ていただこう。それがこの連載企画のコンセプトのひとつであるという点については、復刻版古典キット倶楽部と同様である。しかし「鉄の馬」歴史館では昔のモデル、古いキットばかりを扱うのでなく、最近のキット、しかも時にはダイキャスト製完成モデルなども適宜織り交ぜていきたいと考えている。この連載企画で主張すべき本題として「今一度のプラモデル」(友人の偉大なる某編集者氏のキャッチコピーの受け売りだっ…F大兄、パクらせて貰いました。すんません!)を提唱していきたいと考えているからだ。つまりイージーでインタレストなモデリングの楽しみを推奨することで「なーんか、またプラモデル作りたくなっちまったなー」などと思っていただきたい訳である。だから掲載するモデルには超弩級な作り込みや大改造などは一切行なわないつもりである。別にそうしたモデリングを否定するつもりはないが、「鉄の馬」歴史館では忠実であることよりは雰囲気であることを重視したモデリングを大切にしていきたい。第一、元となるプラキットの原型を留めぬほどに修正や改造を施してしまうなら、プラモデルをベースキットにする必要などない。プラモデルそれ自体を否定しているようなものだ。それはプラモデルに対して失礼である。むしろハナからスクラッチすべきである。プラモデルをこよなく愛する私としてはそうしたスタンスでこの連載を形成していきたいと考えている。
さて大仰なお題目と云うか大上段な建前論をぶちあげてみたところで、日模のカブがそうそう簡単に手に入る訳ではない。ましてやキットを組み立ててしまおうと云うのだから、世のコレクター諸氏からすれば不可能に挑戦する無謀な企てには違いあるまい。しかし日々、慎ましく真面目に生きている(?)と、時には幸運の女神が「おー、もーれつ!」とスカートの裾を思い切り翻してくれたりするものである。だから人生それほど悪くない。たまたま浜松のW氏が完成モデルを作られていた。それは英国からの帰国子女を大切に育て上げられたもので、一切余分な手が加えられていない純真無垢な乙女であった。要するにキットをそのまま組み立てたと云う意味である。まさにこの企画にはうってつけの逸品であった。W氏の快諾を得て今回の誌面に登場するのは言うまでもない。そしてまた私自身も今回、改めて完成モデルを製作した。小学生の時以来であるから実に40数年振りにキットと再会した訳だが、実を言ってそれは難行苦行の連続であった。写真①が今回私が製作した日模1/15ホンダ・スーパーカブ50(セル付きの1960年型C102がキットではモデル化されている)なのであるが、その元となったのは写真②のごときパーツ群である。パーツひとつひとつが既に原型を留めていないものも多く、先ずはキットと同じ状態にパーツを再現するところから始めなくてはならなかった。早い話がジャンクから再生すると云うことである。あくまでもレプリカを作るのではなくオリジナルキットの再生であるから、歪みや割れを矯正したり修正したり欠損部分を付け加えたりなどして極力パーツの完全修復に努めた。残念ながら記録には留めていないが、一部に白いプラ材やパテの加わったパーツが、オリジナルキット同様に修復されて揃った光景は我ながら圧巻に思えたものである。うーむ、クラッシュで全損となったフェラーリ275GTBの車体ナンバーのプラークから、新たに1台を再生させる作業にも似た…もっと気楽にキットが作れてしまえば、こんなにも無駄な労力は必要ではなかったのだが。やはり人生は厳しい…。
しかし捨てる神あれば拾う神である。1/35モーターサイクルモデルで多くの支持を得ているSWASHのZIPPROCK(違ったか…)齋藤氏から日模1/15スーパーカブ・レプリカキット提供の申し出があった。聞けば彼らの御本尊(尊師だったか…?)たるK氏のメモリアルデーの記念にと10セットのみ限定で製作されたものだそうで、その貴重な1セットをこの企画の為に提供して下さったのである。同時に御本尊(違うな…)K氏も企画に賛同下さり、秘蔵の1セットをさらにご提供下さった。こうして今回のカブ企画はなんと4台が居並ぶ威風堂々たる超豪華版と相成った。オリジナルが2台、レプリカが2台! 今回も関係諸氏に心から感謝! そして以前書いたように華やかな誌面の裏で、相も変わらずアヒル泳ぎの製作陣による必死のバタ足が、ようやくここまでに漕ぎ着けたと云うお話である。この怒濤の誌面を凄いと言わずして何を凄いと言うべきか、と手前味噌な大宣伝をぶったところで今回は幕。待たれよ本編!
投稿者 平野克巳 : 2005年08月09日 16:52 | トラックバック
2005年08月05日
官能と魅惑のGT40のこと
フォードGT40の取材をした。といってもモデルカーズの取材でもカーマガジンの取材でもない。某大手メーカー次期製品開発の為の実車撮影取材である。企画中のメーカーは??の???????社、スケールは1/??、モデル化されるのは19??年のマーク?、要するに未だ何も具体的な事は明かせないのが実情である。取材させていただいたのは国内某所に生息するGT40P/1035で、1967年にシェルの宣伝キャンペーンでパラシュートを引いて走った事で有名なマシーンである。当時のボディ色のライトブルーはより濃いブルーに塗り替えられていたが、リアエンドのエアアウトレット・ルーバーのパネルには、パラシュートを引いた当時の穴がそのまま残されていた。保管されているガレージの周辺は未だ畑などが点在する静かな場所だが、それでも移動の為に自走する際には、その都度、太いミルク缶のようなサイレンサー2本をエグゾーストパイプに差し込む。フォードのレーシングスペック・エンジン特有の図太い連続音を轟かせると、たまたま通りかかった自転車のおいちゃんが何事かと訝し気に立ち止まったりもするが、やはりフォードのV8プッシュロッドエンジンはサーキットでこそ本領を発揮する。とみにこのマーク1ではウェバ−のツインチョーク・キャブレター4基を備えるので、調整が低湿度などの環境にマッチングするとカーンという金属音を醸し出すことを、ラグナセカで散々GT40を見て来た私は知っている。未だにアメ車のV8というと“ドロドロ、ドベドベ”のエンジン音をイメージする向きが多いようだが、それはセッティング不良と低回転、低速域で這いずっているからに過ぎない。どうも永年に亘って擦り込まれてしまった「愚鈍なアメリカンV8」のイメージは中々拭い去れないようだ。
私がこの春まで所有していたコブラのフォード427、V8セミコンペティションスペック・エンジンも、低回転域ではババババとまるでヘリコのごとき爆音だったが、これが5,000rpm以上になった途端、サーキットを疾走するGT40と全く同質の金属音へと劇的に変わった。但し、キャブ(427なので当然ホーリーのシングルだ)のセッティングと春先の低い湿度とが上手く合致した時だけであったが…。要するにカルフォルニアに住めということである。
思えば私の場合、エグゾーストノートはクルマ、モーターサイクルの価値基準を判断する際の重要な要素を占めて来た。スバル1000のボクサー4のボロボロボロもフロンテクーペの2ストローク3気筒のクォーンも今でも好きだ。ポルシェが今いち好きになれなかったのも、あのバサバサという乾いた音ゆえだったかもしれない。F1では1960年代前半1.5リッター時代のビィーンという悲鳴のようなサウンドが好きだし、アメリカのレーシングエンジンならシボレーのベチベチベチよりフォードのドバドバドバに惹かれる。単車(最近ではヤンキー用語になってしまった)ならヤマハDT1のパンパンと弾ける2スト単気筒、昔の時代のトライアンフのバーチカルツインとその流れをくむヤマハXS1などの低周波爆発音にうっとりしてしまう。なのでホンダCB750K0のジョンジョジョジョジョとか最新のトライアンフのシュルシュルシュルはどうしても受け付けない。言ってしまえば地球環境に優しくなかった時代のエンジンばかりを好んでいるアナクロ、チビクロ、ハナクロな大馬鹿野郎なのである(とほほほ…) こんな私であるからグループ7のカンナムカー20数台がスタートラインで一斉にスロットルを煽った瞬間には全身が総毛立ち、ビリビリと揺れる空気に心臓の鼓動までもが同調したものであった。嗚呼、今は亡きデニス・ヒュルムのマクラーレンM8Dが火花を散らしてコーナーを駆け抜けるのを間近にしたあの時の恍惚感…あ、すんません。自分の世界に入ってました…。ともかく音こそ命の私ではあります。それだけに現代は私にとって不遇の時代ではありますねえ…。エグゾーストノートとは官能的でなくてはならず、ボディラインとは女性の肢体でなくてはならないのである。嗚呼、男はどこまでいってもスケベな生き物なのね…そーぢゃなくて、クルマやモーターサイクルにはそうした一面がなくてはつまらないというお話である。
GT40に話を戻そう。我が友人関係ではコブラよりむしろGT40を足にしてみたい、という有志が多い。要するにサーキットで走らせてみたいではなくて、ロードユースに使ってみたいという意味である。その都度、私は「無理!」と言うのだが、水温、油温の上昇に戦々兢々となってしまうだろうし、クルマの周囲が見渡せないから、日本の道路事情ではとても使い物にはならない。恐らくマーク3であっても、相当自虐的な精神の持ち主でなくては実用の足としての使用は不可能であろう。しかし、何故にコブラよりもGT40なのか。単に屋根があるか否かの問題なのか。ならばデイトナクーペは良いのか(私の経験からすれば耐えられる限界を超えている…) コブラのほうが粗野な雰囲気が強いだけに、よりスパルタンでレーシーな印象があって扱い難さを感じるらしい。コブラをそれなりに足にしていた私にとっては不可解極まりない判断基準である。まあ私の場合、オープン>クローズドだし、FR>RR>ミドシップなので、むしろ私の判断基準のほうが普通ではないのかもしれぬ…とほほのほ。
さて、実車はともかくモデルの話である。Mk-1/Mk-2/Mk-3/Mk-4/ガルフカー、そしてシークレットにJカーとくれば申し分なし(このラインナップは全く根拠のない話であるので念の為…)まさにエンスーの極み、なんという夢のようなラインナップ!…などと白昼夢にひとり悦に入りつつ、日がなGT40P/1035の細部に亘るまでネチネチとファインダーを向け続けた私ではあった。ふーむ、こうしてガバとカウルやドアを開いて眺めていると、またぞろIMC1/25フォードGTプロトタイプが作りたくなった…しかし何故にプロトタイプ? といったようなお話はまたこの次のこころだ〜!…って、またかよ…。
投稿者 平野克巳 : 2005年08月05日 17:25 | トラックバック
2005年08月02日
花より団子、プラモより食玩?
時には自動車の話をしよう…って、モデルカーズのサイトなので本来はクルマの話題が本道なのではあろうけれども、別にそんなにしゃっちょこ張る必要もあるまい。第一、人間余りひとつのことにのめり込んでしまわぬほうが精神衛生上も宜しかろうと考える。実際、私は雑食性なので全方位網羅を基本としている。○×○をプラモデルにするのではなくて、プラモデルで何が作れるかという感性のキットも好きだ。だから屋台も鎧甲冑も城も剣道も、錦鯉だって昆虫でさえも好きだ。友人は「変なモノ好き」と笑う。私自身もつくづくそう思う。だが要するに私はプラモデルそのものが好きなのである。だから例えアナクロと嘲笑されようとも私は生涯プラモデルにこだわって生きていたいと思う。そんな私にとって近年の状況は決して喜ばしいものではない。プラモデルはどちらかといえば斜陽化の傾向を辿っているし、その替わりといっては何だがダイキャスト製のミニカーが急速に台頭して来ている。とみに最近の傾向としてミニカーと呼ぶには語弊のあるような1/12や1/18などの大型スケールの登場が顕著であり、アイテムもその昔では考えられなかったようなマニアックな車種が目白押しだ。本音をいえば私だってそうしたモデルには喉から手が出ている。しかしプラモデルじゃないからと必死の痩せ我慢をし目を逸らしているのが実情なのである。しかし食玩となると話は違う。中には気休め程度のラムネさえ入っていない食玩とは呼べない商品もあるが、今やコンビニという強力な流通市場が確立しているので、食玩であろうが玩具であろうがメーカーも強気である。食玩系の自動車はダイキャスト製ボディ、1/64ないし1/72スケールが主流となっている。勿論キットフォームではなく塗装完成済みミニカーである。これは不動の人気を誇るトミカから派生した現象で、今や食玩系ミニカーは完全に大人向けのアイテムと化している。トミー、エポック、コナミ、ヨーデルなど各社入り乱れて、次々と新シリーズをリリースしては30代以降のおぢさん世代を狂喜乱舞させているのだ。その鍵は国産旧車、'70年代以降のネオヒストリックカーである。少年時代に憧れたクルマ、あるいは困窮する青年時代に欲しかったクルマを、今改めてミニカーで所有して満足感を得る…そういう事ではないのか。私のように「それより古い世代に属す年齢層」だと苦労覚悟で実車へと向かってしまうのだが、クルマがステータスではなく日用家電となってから生まれ育つた世代では、わざわざしんどい思いをしてまで旧いクルマになぞ乗りたくはないのだろう。ミニカーで充分、というところか。
私は昔の括りでいうところのミニカーはやらない。やらないというのは手を出さないという意味だ。当然トミカも一切買わないし集めていない。なのに食玩のダイキャストミニカーを避けて通れない。それはリアルな出来映えなのと極小モデルである事が大いに起因しているが、それよりも何よりも食玩だからである。プラモデルと同じように食玩という分類それ自体が好きなのである。もしそれらがプラスチックの透明ケースやトミカのような箱に収まって玩具店に並んでいたら、恐らく私は買わないだろう。あの食玩という形態そのものが好きなのである。だからモデルをチョイスしたりはしない。勿論好き嫌いはあって、この車種だけあれば良いななどとも思うが、やはりシリーズはフルコンプしてしまう。それでなくては気が済まないし、そうする事で初めて食玩を買った満足感を得る。だから名指しで恐縮だがエスティマだのRAV4だのが混ざっているとテンションが下がる。それにフェアレディだのスカイラインだのも既に食傷気味で、新たなシリーズがリリースされると「え〜またあ〜! もうGT-Rだの240ZGだの欲しくないよ〜」などとぼやく事しきりである。だがしかし…買ってしまうんだなコレが…。大箱10個入りなど買ってしまい「おーっ、シークレット出たぢゃーん!」などとつい喜んだりもしてしまう。ちなみにシークレットがZ432警視庁パトカーだったとしても…(大きな声ではいえないが別に欲しくはないのだ…) その上、サファリブラウンのZ432が未入手だとオークションに血道をあげてしまったりもするのだ。厳密にはその車種そのものが欲しい訳ではなく、そのシリーズが揃って我が手中に収まる事が嬉しいのだ。ちなみに箱も大箱も大事ですう…あな恐ろしや、知らず知らずのうちに我が身に巣食ったコレクターという名のスピーシーズ。既に取り替えしのつかないほどに世間には伝染しているに違いない…。
S30系といえばオオタキがZ432、ニチモがZ-L 2by2、ナガノが240ZG、フジミが240Zラリーだよね、なんて話題に「そうそう。でもノーマルのZ-Lが無いんだよなあ」などと思わず答えてしまうような貴方は、もはや四半世紀も昔のモデラーだったりする訳だが、実際のところは今さらS30系でもないような気がしている事だろう。むしろSRよりSPを、それよりいっそフェアレデーをモデル化してくれても良いんぢゃないのか? などと密かに願っているのかもしれない。なのに食玩となると「ステレオタイプなフェアレディやスカイライン」でも財布の紐を思いきり緩めてしまう…あ、それは自分の事であったか。全く食玩という魔物には抗せない。どこまで続くぬかるみぞ、である。だが、今や食玩は無視できない存在となっている。プラモデルに取って代わってしまうとは思わないが、ユーザーの気持ちをそちらに向けてしまうだけの魅力は充分に持ち合わせている。ただ今後の展開としてはもう少しマイナー指向、エンスージァスティック指向でも宜しいのではないか…と。初代サニーや初代カローラなどのベーシックな大衆車、360ccスーパー軽時代、桜号、富士号から240Zなどのラリー車、オースチンやヒルマンなどのノックダウン車からクラウンRSなどの戦後復興時代、エトセトラエトセトラ…駄目かなあ、駄目だろうなあ…。こうしたマニアック路線を突っ走って世の中から消滅してしまったメーカーが過去には幾つもある訳で…。あっ! '50年代から'70年代辺りのGPカーなんて想像するだに泣けちゃうねえ。鼻水出ちゃうねえ…「出ないっ!」(すんません…) ホンダF1なんて気絶しちゃうよなあ。RA271/RA272/RA272改/RA273/RA300/RA301/RA302、それでもってシークレットが黄金のプロトタイプ RA270だよ! どーだい! 「うるさいよっ!」(あ、すんません…) 思わず我を忘れてひとり夢見ちゃいました…。まあ食玩道にどっぷり浸かってしまっている私ではありました。それでプラモデルそのものが好きだという話の本筋はどこいっちまったんだ…ま、それはまた次の機会に…ってそれで良いのか、おいっ?
投稿者 平野克巳 : 2005年08月02日 17:41 | トラックバック
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