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初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

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2006年03月

2006年03月31日

ショート・しょーと「猫が行方不明」


【模型友達のにゃんこつながり 不定期連載 其の七】
ばばちゃんちのねず美ちゃん

 ねず美が帰らなくなって二週間が過ぎた。帰り道を見失いどこか遠い所で震えているのではないか。怪我をして身動き出来ず助けを求め鳴いているのではないか。物言わぬ小さな生き物だけに、つい良からぬ方向にばかり想像を逞しくしては涙ぐんでしまう。まさか惨たらしい姿を地に晒しているのでは…などと最悪の光景さえ頭をよぎる。ただ傍らに居るだけで何かを語らい合う訳でもなく、しかし日々を寄り添って生きていたものの居なくなった空虚さは余りにも大きい。
 いつも飽く事なく寡黙に外界を見つめていたガラス戸の定位置には、主を失った古びた座布団がぽつねんと取り残されたままだ。その座布団の手触りを何度も何度も確かめては、ねず美の温もりと匂いを私は想った。その度、熱いものがこみ上げては視界を虚ろにさせる。たかが猫一匹、そう自分に言い聞かせようとして、如何にそれが無駄な努力である事かをこの数日で私は知った。猫が傍に居てくれる事の幸せ、それは何の変哲もない平凡な日々の幸せに似ている。互いに何かを期待する訳ではなく、互いに分かり合い助け合って生きている訳でもない。ただ同じ処と時を共有しているに過ぎない。それでいて密接に寄りかかって生きているのだと実感させられる猫との暮らし。それがある日、断ち切られたようにして失われた。突然、見失った平穏に侘びしさが追い討ちをかけ、心に棲んでいた温もりが凍り付く。
 パソコンのモニター越しにぼんやりと庭を眺めれば、いつものように垣根の隙き間からねず美がひょっこり帰って来る気がしてならない。あの見慣れたゆったりと優雅な足運び。嬉しげにぴんと尻尾を立てているくせに、ちっとも嬉しげでない黄色い瞳。その幻影を探しては心に冷たい汗をかく。気付けばただ幻を追い求めているだけの空虚な時の浪費。ねず美の居ない庭の片隅には哀しみだけが巣食っている。
 ねず美は冷たい雨の晩に拾われた。全身が濡れ鼠となって小刻みにぷるぷると震えていた。濡れて毛がぺったりと張り付いてしまった尻尾はネズミのように頼りなく、「なんだ、ネズミみたいだな」と父が笑った事からねず美の名がついた。手の平に乗ってしまうほど小さかったねず美も、やがて大人猫へと成長し我が家の一員として認められる存在となった。誰も猫っ可愛がりなどしないが、だれからも疎まれる事もなく。ねず美は物静かな猫で滅多に鳴く事もなかった。日々ガラスの向こうの世界を眺めて過ごし、時々思い立ったように表に出掛けるのだが、小一時間もすると帰って来るのだった。汚れて帰る事はいつもの事であったものの、怪我をして帰る事はなかった。ねず美は温厚な性格なんだねえ、と母がいつも語りかけていた事を思い出す。
 ねず美が消息不明になったとはいえ、父も母もさして気にかけている様子を見せない。ぶっきらぼうに「そのうち戻って来るでしょ」と取り合わない。「ねえ、どっかで死んでたらどうするのよ」と食い下がっても、つまんない事言ってんじゃないわよ、と素っ気無い。だが父が散歩と称してはあちこち探して回っているのを私は知っている。母が毎日、キャットフードと水を取り替えているのに私は気付いている。私だけがただおろおろと騒いでいるだけで、ねず美の無事を信じてやっていない。まるで内田百軒のノラやのように、じたばたと我が身をよじって苦悶している。きっと私はねず美が心配なのでは、可哀想なのではないのだ。ねず美を心配している自分が可哀想なだけなのだ。ただ一時も早く楽になりたくて、ねず美の帰りを待ち詫びているに過ぎないのだ。何て自分勝手なのよ、と私自身を叱ってみる。でも自分勝手でも何でも私にはねず美が居なくては駄目なの、と哀れみをかけてみたりもする。私も父や母のように静かで強い人になりたい。寡黙な鎧の中に全てを包み込んで少しも動じない逞しさが欲しい。そういう人に私はなりたい。それならこんなにも仕事にも恋にも迷走しないで済んだろうに。
 今日も私はパソコンの前で庭の片隅を見つめ、ぼんやりと時をやり過ごしている。ねず美を想っては自分自身の腑甲斐なさと対峙している。猫は私に哲学させる生き物のようだ。あの黄色い瞳で「あんたはどうなの?」といつも問いかけられている気がするのだ。猫は何も望まず何も期待しない。ただ今を受け入れて無理強いも高望みもしない。きっと人もそう出来たらもっと楽に生きられる。私は人間である事の苦しさを、女である事の切なさを、日々鬱積する鬱憤を、手の届かないもどかしさを、ねず美の生まれながらのスローライフな生きざまを見つめることで癒し昇華させていただけなのかもしれない。だったらお前がこの家を出て行きもう帰らないと決めたのだとしても、それはとても自然な事で、私がとやかく言う筋ではないのだろう。どこかに元気で暮らしているかもしれないねず美、もしかしたら猫の神様に召されてしまったのかもしれないねず美、どうあれ、それはお前が受け入れた運命であり自然の摂理なのね。もう私は何も思い患ったりしない。だから私の愛したねず美、帰って来るまではさようなら…って、アンタいつからそこに居るのよっ。しかも、しれっと脚伸ばして毛繕いなんかしてんじゃないわよっ!

投稿者 平野克巳 : 2006年03月31日 13:03 | トラックバック

2006年03月29日

模型作りがはかどらない訳・日々の会話編


【模型友達のにゃんこつながり 不定期連載 其の六】
もも姫さんちのセラビーちゃん



 これまで模型作りがはかどらない理由として、散々ぱら目が見えないだの筋弛緩剤を妻に投与されてるだの(ちょっ、ちょっとお! それは冗談としてもマズいっしょーっっ)ご託を並べて来た私であるが、そうしたブログの文面を読んで「あ、これはボクにお鉢が回って来るのだな」と自ら達観した(む)印粗品クン/http://members.jcom.home.ne.jp/mujirushi_soshina/が我が猫屋敷に来訪、有り難くも賢くも彼が一手に引き受けてくれる事と相成った。1/76チハ車の戦車長ハッチを開閉可動させてしまう男であり(だからーっっ!!)、オートアート1/18メルセデスベンツ190Eのエンジンに4個のピストンを入れてクランクさせてしまう男なので(あくまでも湘南妖怪村の噂である)、1/24スーパーカブなど「あんでもねーよ。朝飯前の夕飯抜きだよ」と豪語、日々の猫手チョップ攻撃で慢性激症怠惰症を患う我が身にとっては濡れ手に泡…違うって…瓢箪から豚コマ、おぢさーん、300グラムおくれえ~、ってそーでなくて…渡りに船、渡りが哲也、磯野はフネ、はいはい、わかったから。つまんねーから。とにもかくにもエフトイズ1/24モペットコレクションの命運は(む)印粗品クンの手に全てが託されたのであった。「え? ちょっとちょっと。聞いてないですよ、そんなハナシ」「言ってねーもん」「あ、ひっどお~い…」
 そんな訳でホンダ・スーパーカブ一族が1958/C100、1960/C102、1961/CD105、1962/CA100、1964/ハンターカブCT200、1964/ポートカブC241、1964/CM90、1965/C65、1966/C50の大盤振る舞い。これに加えて1960/スポーツカブC111、1960/スズキ・セルペットMA、1960/カワサキ・ペットM5、1960/ヤマグチ・オートペットCP50、1961/ミヤペットB、1962/ヤマハ・モペットMF2、1962/イセキ・タフ50K、1962/ヤマグチ・シンクロペットSP50、1962/三笠ヘルス・ベビーツインAA、1963/ブリヂストン・チャンピオンホーマー、1965/ヤマハ・メイトU5D、1966/スズキU50がズラリと勢揃いして、近々「鉄の馬歴史館」に登場予定…「って、こ、ここ、こらーっっ! ただ思い付くまま羅列してるだけぢゃないですかっ」「いや。(む)なら出来るかと思って…」「イセキなんてサナエしか知りませんよ~」「それも充分古いね…」 以上、一部願望と憶測でお送りしました。待たれよ、いつか!
 レベル1/8ホンダCB72カスタムスクランブラーは、CB72を“なんちゃってスクランブラー”に手直ししたバリエーションキットだが、あのキットをそのまま組む気にはなれないものの、あのアップマフラーを見るにつけ、ついふらふらとCL72を作りたくさせてしまうキットである。フレームなどは所詮、丸パイプの構成体だから作り替えてしまう事はさほど難しくはあるまい。フューエルタンクは初めから自作する心積もりなので問題ない。問題なのはタイヤとホイールである。CB72よりはワンサイズ大きく、前輪が3:00-19、後輪が3:50-19である。昔だったら合いそうなモノを他のモデルから流用するところだが、今や1/8スケールのキットはどれも入手困難なものばかりで簡単には手に入らない。このサイズでは旋盤で挽いてなんて訳にもいかぬ。蒲田くんだりのロケットの弾頭部を作るような町工場にでも頼まねば出来そうにない。そこで登場するのが「愛国二輪車保存連盟中華公司」代表の髭ことシゲタ博士/http://geocities.yahoo.co.jp/gl/tands_garage/である。「エレール/ナガノ1/8マッハスリーのものは使えなかったですかね?」「って、アレが既にコレクターズアイテムだよ、あーた」「今なら1万円も出せばケリついちゃうぢゃないですか」「い、いいい、いっ、いちまんえんっっ!!(関西芸人の口調で)」
 「ハセガワ1/10ヤマハXS650は良いキットなのでそのままイケちゃいますねえ」「フロントフォーク手直ししてグリーンのXS1も作りたいよねえ」「拝み倒せば友達がキットひとつ譲ってくれるかも」「でもXS650Eも捨て難いんだよねえ」「え? だってアレはフロントディスクぢゃないですかー」「それこそ1/8みたいにデッかくないんだから、なんか他から転用出来んぢゃないかな~」「だって1/10でしょ?」「どーにかなんぢゃねーの? クローム部分はクレオスのなんたらシルバーと云う強い味方があるしさ」「ぢゃ、3キットも必要って事ですか?」「プロトタイプのブルーの塗色も魅力あんだよねー」「そんなにキットが工面出来ませんて。ちなみに何故にそこまでXSなんですか…」「ワシが好きだから…」「説得力ねーっっ」
 日々、かくも無益かつ絶望的な会話を重ねつつ、無作為にいたずらに時は過ぎて行くのであった。「んな事ばっか言ってないで、ちゃっちゃと作っちまえよー」「ぢゃ、はい」「へ? は、ははは、はーれー? す、すすす、すぽーつすたー? だ、だれ作んの?」「だから、はい」「はい、って…ああ?」 ♪ネコ、甘えてばかりでごめんね。ネコはとっても寂しかったのお~。「分かったよ…」
しーでー250とすぽーつすたー1200Cでハメられる男、その名はかっぱらけ一族最期の生き残り、河童大魔王たけちゃん。そのようなお話はまたこの次のココロだあ~。

投稿者 平野克巳 : 2006年03月29日 15:06 | トラックバック

2006年03月20日

模型作りがはかどらない訳・自転車編




 春の嵐の名残りなのか轟々と山鳴りがしている。だが街の喧噪は此所までは届いては来ない。春未だき、僅かにほころび始めた桜の蕾みの下で、椿と辛夷、木蓮が春の到来を告げている。しゃーこしゃーこ。例によって私の紅白に塗られた目出度いばかりの“ままちゃり”号は颯爽と爽快に、スローモーションのごとくに疾走する。そう言えばこの日溜まりでとんとあの子猫たちを見かけぬな、と思っていたら、その思いが通じたのか、久し振りにその猫一団と出逢った。暫く見ぬうちにすっかり大人になっていた。しかし、やはり自由猫、決して栄養状態が宜しくないのものか、はたまた彼ら彼女らのDNAが為せる業なのか、体格は酷く小柄で頼りないほどだ。ウチの猫どもと較べたら犬と猫ほどの違いがある。勿論、ここで言う犬とはチワワとかシーズーとかの事ではなく、私たちが幼少の頃から見慣れているあの「犬」たちである。ウチの猫たちは自由に路地を歩いたり、気ままに日向ぼっこしたりは出来ないが、その代償として雨露をしのげ、寒暖の厳しさを知らず、腐りを心配する事もなく腹一杯のバランス栄養食とアルカリイオン水にありつける訳だ。そのせいか毛並みの色つやも良く、発育状況も彼ら彼女らと比較すると格段に良い。昭和20年代の小学生と現代の子供たちのように、その姿形の違いは余りにも顕著である。まあ大きいイコール幸せとは限らないので、それで私たちが勝手に猫生を云々する訳にはいかないのだが…。ウチで一番年嵩のジェム姐さんはアイスクリームやカスタードクリームなどの甘味系が大好きである。勿論、そうしてしまった私たち家族が悪い。だが今さら「身体に毒だから食べちゃ駄目」などと言い聞かせて分かる訳もない。私たちの誰かが食べている間中、おこぼれをせしめるまで、僅か数センチの距離に貼り付いて「食べたい光線」の攻撃を加え続けるので、大抵の場合、根負けしてしまう。次女のキャル姐さんは対照的に人間の好むスナック菓子やらケーキなどには目もくれない。但し、魚の干物だの野菜の煮物だのには勇猛果敢な突撃も厭わない。過去の反省から現在生後6ヵ月のチビどもには人間の食べ物を一切やらない事にしている。その代わり、ジャーキーなどの猫スナックや煮干しをおやつに与える事にしているが、煮干しは猫用ではなく、無塩、添加物なしのちょっと高めのものを選ぶ事としている。大きく強く逞しく育てよ、の親心である。そのおかげなのか、ところ狭しと家中をどっかんどっこん激突する轟音を立てながら爆走する日々だ…。そんな猫たちに窓辺で見送られながら、自分ひとりだけは自由に勝手気ままに今日も“ままちゃり”散歩と洒落る訳である。全く人間とは独り善がりでいい気なものである…。
 そんな麗らかなある日の午後、藤沢東急飯ズとか云う名のファンシーショップ(関係者が見ていたら怒られそうだ…)で偶然にもK沢氏に会った。モデルカーズで見事なモデルを披露しているプロモデラーである“あの”K沢氏である。頃は折りしもホワイトデー直前。K沢氏はその商品ディスプレイの前で途方にくれたような風情で立ち尽くしていたのだった。業界に踊らされているようで何とも割り切れぬ悪しき習慣のごときバレンタインデーやホワイトデーには困ったもんだ、などとひとくさり、二人の中年おやぢには哀愁が漂っていたに違いない。ともかく貰っちゃったもんは仕方ないよね~などと結局は肯定してしまう二人のおやぢ。でも最近はギャグったオモシロ商品が無いんだよね~などと更に愚痴るおやぢ二人。なんかモノ哀しい絵柄だよなあ…。そしてK沢氏もまたミニサイクルでしゃこしゃこと去って行ったのだった。私がしゃーこしゃーこなら、K沢氏はしゃこしゃこ。すおっしゅのZIPP S藤くんのしゃーっっ!!とはえらい違いである。自転車も違えば歳も違う。かっちょ悪いぞ、おやぢぃ!!…などと自らを鼓舞しつつも、最年長のワタシ…。
 さて家路を急ごう。自宅に近付くにつれて増えるだんだら山坂はおやぢには辛い。ペダルを漕ぐ足が鉛のようだ。せめて内装3段でも買っときゃ良かった。目先の値段についつられ…安物買いの銭失いとはこの事だな。その昔乗っていた15段変速のマウンテンバイクが懐かしいったらありゃしない。ここいらまで来ると行き交う自転車の勢いがやたらといい。結構なじーさんもおばちゃんも颯爽と疾駆している。それもその筈、ここいらで行き会う自転車の殆どは大概が電動アシストなのである。ありゃ楽でいーねっ!(横山 剣の物真似で) ウチもあれにするか…って、それじゃ運動不足解消を目的とした本来の意味合いがねーぢゃん。だけど負荷がかかり過ぎて、自転車行脚も今では難行苦行、へろへろに疲れてしまって指先も腑抜けのように力が失せる。最近は膝の関節も痛むようになってしまった。若い頃、ぶちネコ武蔵の宅急便で痛めた古傷がぶり返しているのである。これではその後の模型作りも侭ならない。目が見えない上にこれでは二重苦である。だから一向に模型作りがはかどらない。そんな時は弛緩した全身を地球の重力に任せるに限る…なんとも苦しい言い訳である…。要はそれが言いたかったのか。オメエに喰わせるタンメンはねえっ!
 
 

投稿者 平野克巳 : 2006年03月20日 18:14 | トラックバック

2006年03月17日

医者三昧、猫三昧、増々惑う50坂




 今年になってこっち、すっかり医者三昧である。かなり以前から抗圧剤と低糖剤は常用しているのだが、今年になってから主治医を代えた。その医院はいつ行っても待合室の患者が2~3人しか居らず、来院患者が必ず書き込む来院名簿も一日の終わり近くなっても10数人しか書き込まれていない。まあ、患者の身としては待つ事もなく通院のストレスが無く結構な事なのだが、こんなに患者が少なくて経営上、大丈夫なのかしらなどと、いらぬ心配をしてみたりもする。しかし先日、薬を待っている間(この医院は薬も出す昔ながらの運営をしている)に配送業者が耐火金庫を搬入にやって来た。おお、金庫に入れるほど銭はあるねんな…と密かにひとりごちてみたりした。ウチにも耐火金庫はあるが、銭かねなど一銭も入ってはいない。精々土地家屋の権利書くらいなものである。 この医院、通常の診療中に看護士さんの姿を見た事がない。数部屋の入院施設があるので居ない事はないとは思うのだが、血圧でも心電図でもエックス線でも注射でも何でも先生がこなす。私の血管は身体の表面に出ておらず、いつも大変な思いをするのであるが、先日も採血の段になって血管に針が入らない。腕に突き刺した針を上下左右に探り、しまいにはシリンジをぐるぐる回した挙げ句、先生がひと言…「また次にしよ」…ちょっ、ちょっとおお。そんなに簡単に諦めないでよおお。まあ、血管注射の実習で私に当ったばっかりに、わんわん泣いた見習い看護婦さんも居たくらいだから仕方ないっちゃあ仕方ないか。
 歯医者にももう2ヵ月通っている。被せたところの歯茎が腫れたのだが未だに腫れと痛みがひかない。場繋ぎに歯石を削るばかりなのだが、血まみれになったその後はかえって歯茎全体が痛んでちょっと哀しい。若い歯科衛生士さんは無表情だし消え入るような話し方で何を言っているのか何時も聞き返してしまうし、先生はピンク色でつやつやな「戦艦大和の主砲弾」のような頭だし…余り関係ないけど、ちょっと通うのに疲れたかもしれない。
 整形外科にも行った。手の指が俗に言う「ばね指」、平たく言えば腱鞘炎にかかって、突き指をしたように痛むし、曲らないし伸びないし、時々ぱちぱち音を立てるようになっているので完全治癒を目指した。取り合えず投薬よりは注射が速効性があるとの事なのでお願いした。するといかにも外科系の先生らしい立ち振るまいと口調で「どうする? 注射やる? ほんとに痛いよ」とにっこり笑った。医者が患者にそんな事言うか、ふつう…しかし治るのなら痛いくらいは何ともないので注射をした。手の指は肉が少ないので確かに結構痛い。しかも針を垂直に突き立てるのは中々にインパクトもあった。それでも帰り道はるんるん気分である。去年の暮からずっと痛みに耐え続けていたので、これですっきりする。そう信じた。でも効かなかった…痛い損である。
 脳卒中で倒れ半身麻痺になった母の通院に付き添って、新しい医院にも行った。遠近感に微妙な錯覚を起こしそうな立派な顔の女医さんは優しかったが、泣いちゃいそうな顔の看護士さんが、その表情のままでごく普通の会話をしているのが不思議に思われた…。最近は街中がそうなのだが、キャシャーンのような烏天狗のような大きなマスクから目だけが伺える薬局のお姉さんは、表情が読めないので、いくら優しい言葉をかけてくれたとしても少し恐かった。
 何やら会う人会う人を小馬鹿にしているようだが、別にそんなに悪気がある訳ではない。中流以下の小市民のせめてもの浮き世の憂さ晴らしみたいなものである。言い方は悪いがちょっとした気分転換、レクリエーションみたいなものなのである。こうして私は密かに日々、人間ウォッチングを楽しんでいる。しかもどちらかと云えばブラックな傾向でだ。ちょっとだけ楽しい。でもちょっとだけ「下らなねーな、オレ」とも思う。その昔なら、日々、こんな人間観察をして、それをフィギュア造りに活かしたものだ。だから私の造る人形たちはひと癖もふた癖もあるような人形が多かったかもしれない。しかし最近ではフィギュアからもすっかり手が離れてしまった。1/35スケールで顔を描いていた事なぞ、今となっては信じられない事である。なにしろ目が効かないのだ。今、無理矢理造ろうとすれば、恐らくは土偶や埴輪になってしまうだろう。いや、そんな立派なものではない。泥人形である。そう云えば猫も表情がない。犬は瞳が語るが、猫にはそれもない。クールである。鉄仮面である。昔の人は猫を称して「何を考えているのか分からないから気持ちが悪い」と言った。それが化け猫を生み、悪魔の化身などにまでされてしまった所以だ。しかし永く一緒に暮らすと、それとなく感情が伝わるようになったりするから不思議なものである。ウチの14歳になんなんとするシャム猫のジェムとはある程度の感情の疎通なら可能なように思われる。だが、未だ6ヵ月の三式戦と夜戦のチビどもではそれが難しい。「おっちゃん、何言うとんねんな?」 そんな表情で見返される事度々である。やはり動物とのコンタクトは難しい。まして宇宙人では更に難しかろう…。だが最近は同種の生き物にも関わらず、人間同士も難しくなりつつある世の中のようだ。煩わしい事である。

投稿者 平野克巳 : 2006年03月17日 14:25 | トラックバック

2006年03月15日

昨今のクルマ事情に疎い


机の中にこんなん転がってた…そんなんばっか後生大事にとっとくんぢゃねーよっ!


 自動車がステータスでなくなって既に久しい。今や小型セダンかミニバン、あるいは軽四輪ばかりが幅をきかせている時代だ。クルマはテレビや電子レンジと同じ家電扱いとなりつつある。スポーツカーなぞ遠い追憶の彼方の存在でしかない。ならばクルマの模型はどうなのか。家電品のプラモデルなど余り欲しくはないしテンションもあがらない。だからすっかり低迷を続けている。プラモデルにステータスを求めるなら昔のプラモデルにしかない時代だ。セドリックやクラウンがステータスであった時代。鳥の羽根の着いたチロルハットとツイードのオドジャケットの山村 聡が「いつかはクラウン」などと言ったのは何時の事だったろう。大企業の役員クラスでないと乗れない高級車は確かにステータスではあった。誰もがそんな社会的地位と自分とは無縁と考えていた頃、やはりクラウンは生涯乗る事の出来ないクルマだと漠然と思っていた。そう云う意味においてステータスであった。ヤマダのセドリックや三共のクラウンとはそんな時代のプラモデルだった。やがてスバル360やパブリカ700、カローラ1100やサニー1000が登場し、もしかして我が家にも自家用車がやって来るかもしれないと淡い願望を抱くようになった時代 。夢がちょっとだけ現実味を帯びただけ、むしろステータスとなった。アオシマやオオタキのパブリカ、三共1/32のサニーなどはそんな時代のプラモデルだ。やがて国産車が日の出の勢いで世界を席巻し始めた時代、自動車の社会的地位は公用、企業を超え、更には一家の自家用車である事も超え、個人の為のプライベートカーにまで到達した。バンダイ1/20セリカGTやニチモ1/20マーク2GSSなどはそうした時代の産物だ。世の中が実態のない好景気バブルに躍り、フェラーリやランボルギーニが社会的勝者の象徴となった時代、エキゾチックカーはステータスとなった。マルイ1/24ランボルギーニ・カウンタックLP400などはそんな時代のプラモデルだ。その後、バブルがはじけて世情は混迷した。今もその延長線上のままのような気がする。昨今はクルマもステータスに彩られるような存在ではなくなってしまい、その分、古いクルマにそれを求める傾向が強まったように思える。スカイラインGT-RだのフェアレディZだのが改めて脚光を浴びるような時代だ。それらのキットを求めて一時は昔のプラモデルに人気が集中したが、最近では1/24スケールでそうした所謂“国産旧車”が次々と新しいキットとなって登場して来ている。それを喜んで良いものやら悲しんで良いものやら、思いは複雑で微妙ではあるのだが、少なくともヴィッツだマーチだイストだワゴンRだムーヴだ…などが店頭で群れを成しているよりはナンボかましのような気はしている。
 ところでその昔、街中を走る自動車の車名が分からなくなったら老人だと思っていた。自分にそんな事は起こらないとも信じて疑っていなかった。だが最近分からない…昨今の大衆セダンやミニバンは見分けがつかない。更に弱った事にはリアに車名のエンブレムさえないものが多い。メーカーズエンブレムとて単純にトヨタ、ニッサン、ホンダ、ミツビシ、マツダ、スズキ、ダイハツの時代ではない。やれネッツだのレクサスだの一寸気を抜いていると見慣れぬものが増えていたりする。更にありゃ何だあ? などとよくよく見れば韓国製だったりと、すっかり浦島太郎状態である。これぢゃあ、うっかり事件でも目撃してしまったらエラい事になってしまう。え〜っと白っぽい、うしろが角張ったクルマでした…自動車を生業にして生きて来た人間が、警察や報道の聞き込みにこんな証言しか出来なかったら恥曝し以外の何者でもない…。嗚呼、どうか事件の目撃者になぞなりませんように…。もう暫く前の事であるがトヨタ・マークⅩが発売になった時、自動車屋(ジドウシャ屋の、である)の友人とこんな会話を交わした。「あれってマーク・テンなの、それともマーク・エックス?」「知りませんよ、そんなこと」「例えばX型サブフレームの補強があるとか…」「さあ、最近のクルマのことは…」「何でいきなりツーからテンに飛んじゃったんだろうねえ」「RA273からいきなりRA300になっちゃったようなモンぢゃないんですか」…この会話の相手である自動車稼業の男(彼の名誉の為に実名は伏せる。決して某シゲタ博士などと暴露したりは…)は私よりもひと回りほども若い。しかも自動車業界人の現役である。86レビンでサーキットを走らせればブッちぎりに速い男である。でも最新自動車事情にはとんと興味がない。そんなもんだよね。一線から身をひいてはや10年、歳だって50過ぎのロートルだよ、オレは。ヤツが知らないんだからオイラが知らなくたって、ぢえーんぢぇん不思議はないよねえ〜、と妙な納得の仕方をする私ではあった…。しかし、だからと言って、自分の時代、自分の守備範囲と云う殻に閉じ篭る訳にはいかない…とか言いつつ、だって仕事なんだも〜ん、の苦しい言い訳と共に古典キット倶楽部の世界に今日も逃避する私ではあった…。だめぢゃん。

投稿者 平野克巳 : 2006年03月15日 16:18 | トラックバック

2006年03月11日

桜の季節を待ちわびる

 何時からだろう。桜の季節を待ちわびるようになったのは。こちらの方ではテレビの開花予想から凡そ半月余りで満開になるのが通例のようだ。川端や住宅地の並木など桜の名所と呼ばれる場所は多々あれど、私は毎年、墓場の桜を楽しみにしている。♪げっげっげげげのげ~…そうでなくて。近年は住民やクルマの往来などの邪魔になってしまうため、桜と言えども遠慮会釈なく伐採してしまう。剪定などと云う可愛いものではない。まさにばっさり太い枝から切り落としてしまうのだ。だから桜の旧所名跡などと謳われている所ほど無惨な状態となってしまう。その点、とある大型霊園は古い桜が少ない分だけ、ばっさり切り落とされてしまう事もない。しかもひと山が霊園なので、広大な敷地に数千本の桜が植えられていて壮観である。などと喜んでいたらこの霊園にも環境整備の魔の手が伸びて見事に寂しい景観になってしまった。かつては見渡す限り薄紅色のベルトがパノラマで望めたのだが、剪定されたお陰で隙き間だらけになってしまった。広大な敷地が災わいしてしまった訳だ。何しろ広いので敷地内は自動車で移動するようにレイアウトされている。どこの区画に行くにも桜並木があるので、やはりここでもクルマの通行に邪魔にならないようにとの配慮なのである。
 桜は散り際が最も美しい。春の囁くような風に舞う桜吹雪の世界はまさに夢の桃源郷である。あ、桜だから桜源郷か?…まあいい。その咲いて散る風情は余りにも儚いが、一年にたった一度しかそれを見るチャンスが無いのも、時の流れを感じさせてくれる。ああ、もうこの季節が来たのだな、ああ、もう一年待たねば見られぬのだな、などとしみじみ季節の移ろいを思い、人生を立ち止まって見つめたりもする。酒宴を催してどんちゃん騒ぎする訳ではない。ただ薄い紅に染まった風景の中で普段は忘れている諸処の事柄などを反芻するようにして考えてみる。思えば地味な花見もあったものである。桜の花は人に何かの啓示を与えてくれるようだ。だから神代の昔から日本人は桜に何か神秘的なものを感じ、特別な想いで愛でて来たのかもしれない。
 少年の日、私の住まう商店街は川に添っていて桜の並木が続いていた。その下をどれだけ10円玉を握り締めては走った事だったろう。駄菓子屋からの帰り道、家まで待ち切れずに桜散る木の下で小さなプラモデルの箱を開けたあの日。
 ひたすら仕事に追われ続け、季節よりは締め切りで日々時間の経過を計っていたあの頃。ふと気紛れに世田谷の桜の古木に寄り添って、失いかけた自分を取り戻そうと努めたあの日。
 私はとりたてて自然愛好家ではないけれど、桜の季節だけは特別に思ってこれまでの人生を生きて来たように感じる。古来、ぱっと咲いてぱっと散る桜は潔く美しい。人生かくあるべし…などと言われてきたが、私も散り際くらいは桜のように潔く綺麗に散って失せたいと思っている。ますます高齢化が進む現代社会にあって、ただ細く長く生きていても致し方あるまい。いや、人にはそれぞれの考えがあろうかとは思うが、私は少なくともそう思う。ましてや不自由になった身体や疲弊しきった心を抱えて、それでも強く逞しく生きて行く、などと云う勇気も気力も私にはない。だから人生おちゃらけ、ちゃいちゃい。遊びをするとや生まれけん。自分なりに楽しんで、満足したらほな、さいなら、といきたい。無責任極まりないかもしれぬ。だがそれが私の生きざまである。いや、少なくともそう願いたい。自分の死を怖れず、ただつまんねえなと思いたい。果たしてあとどれだけ生きられるのか、いや、あとどれだけ身も心も自分の思い描く人生の現役で居られるのか、最近は密かにそう思う。万年ちょい悪不良おやじも既に今年は53。未だ老け込む歳でもないし、その気もない。だが、あとどれだけのキャパシティーが残っているのかを計算しておかないと、やり残した事ばかりの無念さで死んでも死に切れないような気がしている。
 抹香臭い話題ばかりでは読んでいる方もたまったものであるまい。桜つながりで別の春へと話題を変えよう。春ともなれば虫も暗い土中から這い出して来る。隠れバイク乗りもそぞろむずむずする季節だ。街でハーレー・スポーツスターを見かけると少しだけ血が沸き肉が躍る。の、のりてーっっ!! そんな季節がまた近付いている今日この頃、ヤマハのお膝元浜松のF島親方から「おらおら写真」が送られて来た。おらおら写真とは申しても…ご当人にしてみれば昨年暮に逝去された恩師と直接会われた最期の夏のスナップとの事で、にこやかな笑顔とは裏腹に感慨深い写真であるらしい。その恩師の安曇野にある別荘へDT1でロングツーリングに出掛けた際のスナップだそうだ。しかしきれいなDT1である。私にしてみればXS1と共に今も憧れのDT1! おらおらと誘い水をさされているようでたまらない、しんぼーたまらん。よっしゃああっっ、清水の舞台から身投げしたつもりで…模型で我慢しとこう…。ハセガワ1/10DT1でもまたぞろ作るとするか…これならRT1も夢ではない。やるかー!! ちっちゃいってオレ…。

投稿者 平野克巳 : 2006年03月11日 20:23 | トラックバック

2006年03月08日

本とに困ってんだから…


こんなモノまで後生大事にとってあるから収拾がつかないのである(偉そうに言うなーっっ)


 かつて住んでいた家で蔵書の重さに耐えかねて部屋の床が抜けたことがある。プラモデルならいくらカサばったとしても重量的にはたいしたものではないが(まあ、それも程度問題である…プラモデルがギッチリ詰まった段ボールの大箱は結構な重さがあるにはある…)、書籍、雑誌の類いとなるとそうはいかない。なにしろ本と云うヤツは元はペラペラな薄い紙だが密度が半端ではない。既にこのブログでも記したように少年時代から愛読していたカーマガジンに始まり、多種多用な本を永年蓄積し続けて来た訳であるからたまらない。家が悲鳴をあげたのもむべなるかな、であった。それを契機として蔵書を整理処分することを決心した。当初は広告ページを破り捨てて…などと消極的かつ踏ん切りの悪いことをしてみたが、そんな非効率的な対処法ではとても根本的な解決は覚束なかった。そこで将来的にも必要と思える情報だけを切り取ってファイルし残す方法を実行した。だが、豈図らんや、世の中は自分の思い通りには決してコトが運ばないもので、「これは要らんな」などと捨てたページに限って、あとから必要になったりした。結局、万全な策はないと思い切った。先ずはカーグラフィックをまとめて処分した。'60年代から'70年代にかけてはツカも薄かったが、'80年代バブル期になると広告も倍増し一気に厚みを増していたからだ。一年分だけでも相当な分量でカサばること著しかった。それにここだけのハナシだが内容も年を追うごとにツマラナクなっていた。大量のCGが我が家から消えただけで随分と家の中は広くなった。それに勇気を獲て更に続けてモデルグラフィックスも処分した。中とじの本は蔵書保管には向かない。ミッチリ詰めずに一寸でも隙き間があったりするとズルズルと傾いだり折れ曲がったりしてしまう。そうしたおさまりの悪さが実はずっと嫌だったのである。それでも創刊号だけは捨てる気になれず残した。今はどこに在るのか分からないけれど…。こうなると人間勢いと云うか弾みがつくものである。更にはオートスポーツも処分した。ただ今も私にとっては原点の時代である'70年までは処分するに偲びなく、それ以降の号をゴッソリと廃棄することとした。次には4×4マガジン、コンバットマガジン、宇宙船、その他諸々も処分対象となった。古今東西、津々浦々のゴジラ関係だけは最期まで決断する勇気が持てなかったけれど。また雑誌ばかりでなく文芸書の新書や文庫本も山のように破棄した。'62年頃からあった航空ファンはまとめてハセガワ(当時は長谷川製作所)に引き取っていただいた。日頃の御礼もかねて無論、無償供与である。こうして我が家からは私の人生の蓄積である(たまった垢と云う見方もある…)思い出たちが去って行った。反面、気分がすっきりした。人生のリセット、破壊のカタストロフである。
 あれから10数年、雑誌は極端に買わなくなった。自動車専門誌などは殆ど読まないに等しい。それでも本と云う魔物はじわりじわりと生活圏を侵蝕しつつあって、知らぬ間に壁だ廊下だ、しまいには部屋の中だと加速度的に積み上げられていく。しかも二重に三重に…これでは関西圏の違法駐車である。よく昔、大地震が来たら平野さんはプラモに埋もれて死ぬに違いない、などと笑われたものだが、大量の書籍ではそんな冗談にもならぬ。洒落にもならぬどころではない。本当に圧死してしまう。それでも文庫本などは定期的に処分を繰り返しているのだが、プラモデルと一緒で減るより増える度合のほうが遥かに優っているのである。それでも「んむむむ」などと「取り合えず見ないでおこう」方式の逃避を続けていたのだが、同居する母が脳卒中で倒れてそうも悠長にも構えていられなくなった。身体が不自由になってしまった母の為には室内空間は少しでも広いに越したことはないからである。そこで膨大な蔵書量を誇った猫関係(動物の猫である。ネコパブのことではない)の書籍と、新書判、文庫本を再び処分することにした。取り合えずとダッとまとめてブックオフに持ち込んだ。全228册で4,760円也…一冊2千円以上の本も多い。文庫本とて昨今は千円近い価格だ…それがこの買い取り価格…腹は立たなかったが何やら無性に哀しかった。喜びいさんで買って大事に保管して来た本には愛着もひとしおである。それがゴミと一緒の一冊見当20円かい。しかも後日、店頭では新書定価の半額のプライスタグが付けられて並べられていた。買い取りが20円なのは良い。だが最近の古本は高すぎないか。精々定価の3分の1までぢゃねーのか。私は読み飛ばして捨てるタイプではないから、半値で古書を買うくらいなら気持良く新書を買うわな。しかし、自身が携わっていて言うことぢゃないけれど、最近の本は高いねえ…。千円札一枚で買えない雑誌はいけねえやな。購買意欲を削ぐってもんだぜ(何故にここだけべらんめえ?) さて、そんな訳で古典キット倶楽部でランチア・ストラトスの仕込みを始めたところ、資料がてんで手元にはない。'76年のサファリラリーなんてオートスポーツ見れば…って、とうの昔に捨てちまったい。全く人生は思うようにいかない。ぢょーだんぢゃねーや、ってキレてないすよ、キレてないす(別にパラパラは踊らない)

投稿者 平野克巳 : 2006年03月08日 18:40 | トラックバック

2006年03月03日

追憶と忘却の狭間で




 「しゃーこしゃーこ」日頃恒例にしている健康エクササイズの為に自転車を今日も漕ぐ。擬音が「しゃーっっ」でないところが52歳のおやぢである。この数日、垂れ込めた灰色の雲の隙き間から僅かに差し込む陽射しの中に春の匂いが感じられるようになった。心なしか空気も暖かくなったような気がする。前回も書いたように街のあちこちで梅が満開である。TVのニュースでははや桜の開花予想なども伝えられ始めた。気が付けば今年も既に3月。あっと言う間に60日が過ぎてしまったかっこうだ。日々が過ぎ行くのは早い。そして人生の日々はとても短い。目まぐるしく、しかし着実に変化して行く四季の中で、凡庸と過ごしてしまうと何も見ずに何も知らずに人生の時間を浪費してしまいそうだ。だから自転車を漕ぎながら目は犯罪者のように落ち着きなくキョロキョロしてしまう…。綺麗な2匹の自由猫 (元は捨て猫に違いないのだ…)が暮らしていた市営住宅も某企業社宅も永らく廃墟となっていたのだが、この冬の間に更地になってしまっていた。恐らく近々、どれも見分けが付かないほどにそっくりで隣との境界が数10センチほどの寄り添った姿の小洒落た分譲住宅の群れが出現するのだろう。その先にあった県営住宅は保育園の建設予定地と看板が掲げられた。更にその向こうにあった某企業の寮跡地も既に分譲工事が始まっている。かつて小さなアクセサリーショップ(家主の娘が趣味でひらいていたものか)のあった一戸建て跡地には、小さなマンションが建ち一階には日本蕎麦屋が開店するらしい。旧国鉄官舎は2棟を残して廃墟のままだが、これも遠からず高層マンションへと景観を変えてしまうだろう。360度見渡す限り、山の稜線が見えていた畑の中の一本道にも造成の手は伸びていて、昨年、一件の住宅が建ったと思った途端に、雪崩れ式に沢山の建て売り住宅と幼稚園で埋め尽されてしまった。かつて広大な畑と野原の中にぽつねんと打ち捨てられていたガンメタルのフェアレディZが、今では小さな空き地に過ぎない一画に今も取り残されたままだ。もう、この畦道で青大将や鬼ヤンマを見る事もないのだろう。それどころか畦道も拡張されて市道へと格上げされる予定のようだ。
 街は生きている。日々通る街並でさえ、その変貌に気付くほどであるから、暫く行かなかった所など劇的に変わってしまって驚かされる。そうかと思えば驚くほどに景観を変えない街並もある。私が中学3年生から世田谷上野毛で一人暮らしを始めるまでの数年間を過ごした鎌倉の某分譲地は今も変わらぬ佇まいを残している。当時、私が住んでいた家も何も変わらずに建っていて、見知らぬ家族の生活の場となっていた。かつてはバスの終点だった場所なので、小さいながらも商店街がある。酒屋も化粧品屋もそのまま商いを続けていた。ただ店内の様子は余りに侘びし気で、かつての繁栄のよすがは既にない。そしてご多聞に漏れずにここも時代の流れか、シャッター通りと化していた。半分以上の店鋪が明らかに廃業してしまっている風情であった。ガラス戸の中ががらんどうで植木鉢がぽつりと置かれていたりすると哀しさがこみ上げる。私が中学生時代は足げく通った本屋も中華ソバ屋も無くなっていた。残されて今も営業を続けているのは肉屋と八百屋と乾物屋だけだったが、店を覗くと明らかに店主の高齢化が進んでいた。それに人通りもなく活気もない。時代なのだ、とひと言で済ませてしまうのは容易いが、街に生活感が溢れていた昔から較べると、現代の家と云うのは本当にただ寝に帰って来るだけの場所なのだな、とふと思う。ソバ屋のベレー帽のおじさんも本屋の親切なおじいさんも中村屋のおねえさんも化粧品屋の奥さんも今はどこで何をしているのだろう。時が経った事を痛感せざるを得ない。
 生まれてこのかた、私は転居また転居、引っ越しに次ぐ引っ越しを繰り返して来た。だから今も自分の地域的ルーツを追い求めている。果たして自分が生まれ育った場所とはどこなのだろう。自分はどこに属する人間なのだろう。断片的な思い出と記憶を抱えたまま、私は今も故郷を求めて流浪しているような気がしている。当然、友人たちも各地に点々となってしまっている。今では無二の親友とも年賀状のやり取りくらいでしか接点が無くなってしまった。鎌倉の街並と海岸べりが私の故郷と思う事にしたものの、それも刻一刻と変貌を続けていて、いつしか馴染みのない別の街になってしまいそうだ。ウチの庭の梅の木に毎年律儀にやって来るメジロを見ていると、この梅の木は枯らさぬようにちゃんと残してやらねばと思う。だが自分ひとりではどうにも出来ない事のほうが世間には多い。それが人生、ケセラセラ…まさに歌の詩のとおりである。前だけ向いて生きて行く。それは正しい。だが、それだけで良いのか。突き進むだけが人の生き様なのか。がむしゃらに必死に生きる事で何かを置き忘れたりはしていないのか。変わり行く街並を見ても取り残された街並を歩いても、私の人生の安泰の場所は未だ見つからない。

投稿者 平野克巳 : 2006年03月03日 17:17 | トラックバック

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