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2006年03月31日
ショート・しょーと「猫が行方不明」
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【模型友達のにゃんこつながり 不定期連載 其の七】
ばばちゃんちのねず美ちゃん
ねず美が帰らなくなって二週間が過ぎた。帰り道を見失いどこか遠い所で震えているのではないか。怪我をして身動き出来ず助けを求め鳴いているのではないか。物言わぬ小さな生き物だけに、つい良からぬ方向にばかり想像を逞しくしては涙ぐんでしまう。まさか惨たらしい姿を地に晒しているのでは…などと最悪の光景さえ頭をよぎる。ただ傍らに居るだけで何かを語らい合う訳でもなく、しかし日々を寄り添って生きていたものの居なくなった空虚さは余りにも大きい。
いつも飽く事なく寡黙に外界を見つめていたガラス戸の定位置には、主を失った古びた座布団がぽつねんと取り残されたままだ。その座布団の手触りを何度も何度も確かめては、ねず美の温もりと匂いを私は想った。その度、熱いものがこみ上げては視界を虚ろにさせる。たかが猫一匹、そう自分に言い聞かせようとして、如何にそれが無駄な努力である事かをこの数日で私は知った。猫が傍に居てくれる事の幸せ、それは何の変哲もない平凡な日々の幸せに似ている。互いに何かを期待する訳ではなく、互いに分かり合い助け合って生きている訳でもない。ただ同じ処と時を共有しているに過ぎない。それでいて密接に寄りかかって生きているのだと実感させられる猫との暮らし。それがある日、断ち切られたようにして失われた。突然、見失った平穏に侘びしさが追い討ちをかけ、心に棲んでいた温もりが凍り付く。
パソコンのモニター越しにぼんやりと庭を眺めれば、いつものように垣根の隙き間からねず美がひょっこり帰って来る気がしてならない。あの見慣れたゆったりと優雅な足運び。嬉しげにぴんと尻尾を立てているくせに、ちっとも嬉しげでない黄色い瞳。その幻影を探しては心に冷たい汗をかく。気付けばただ幻を追い求めているだけの空虚な時の浪費。ねず美の居ない庭の片隅には哀しみだけが巣食っている。
ねず美は冷たい雨の晩に拾われた。全身が濡れ鼠となって小刻みにぷるぷると震えていた。濡れて毛がぺったりと張り付いてしまった尻尾はネズミのように頼りなく、「なんだ、ネズミみたいだな」と父が笑った事からねず美の名がついた。手の平に乗ってしまうほど小さかったねず美も、やがて大人猫へと成長し我が家の一員として認められる存在となった。誰も猫っ可愛がりなどしないが、だれからも疎まれる事もなく。ねず美は物静かな猫で滅多に鳴く事もなかった。日々ガラスの向こうの世界を眺めて過ごし、時々思い立ったように表に出掛けるのだが、小一時間もすると帰って来るのだった。汚れて帰る事はいつもの事であったものの、怪我をして帰る事はなかった。ねず美は温厚な性格なんだねえ、と母がいつも語りかけていた事を思い出す。
ねず美が消息不明になったとはいえ、父も母もさして気にかけている様子を見せない。ぶっきらぼうに「そのうち戻って来るでしょ」と取り合わない。「ねえ、どっかで死んでたらどうするのよ」と食い下がっても、つまんない事言ってんじゃないわよ、と素っ気無い。だが父が散歩と称してはあちこち探して回っているのを私は知っている。母が毎日、キャットフードと水を取り替えているのに私は気付いている。私だけがただおろおろと騒いでいるだけで、ねず美の無事を信じてやっていない。まるで内田百軒のノラやのように、じたばたと我が身をよじって苦悶している。きっと私はねず美が心配なのでは、可哀想なのではないのだ。ねず美を心配している自分が可哀想なだけなのだ。ただ一時も早く楽になりたくて、ねず美の帰りを待ち詫びているに過ぎないのだ。何て自分勝手なのよ、と私自身を叱ってみる。でも自分勝手でも何でも私にはねず美が居なくては駄目なの、と哀れみをかけてみたりもする。私も父や母のように静かで強い人になりたい。寡黙な鎧の中に全てを包み込んで少しも動じない逞しさが欲しい。そういう人に私はなりたい。それならこんなにも仕事にも恋にも迷走しないで済んだろうに。
今日も私はパソコンの前で庭の片隅を見つめ、ぼんやりと時をやり過ごしている。ねず美を想っては自分自身の腑甲斐なさと対峙している。猫は私に哲学させる生き物のようだ。あの黄色い瞳で「あんたはどうなの?」といつも問いかけられている気がするのだ。猫は何も望まず何も期待しない。ただ今を受け入れて無理強いも高望みもしない。きっと人もそう出来たらもっと楽に生きられる。私は人間である事の苦しさを、女である事の切なさを、日々鬱積する鬱憤を、手の届かないもどかしさを、ねず美の生まれながらのスローライフな生きざまを見つめることで癒し昇華させていただけなのかもしれない。だったらお前がこの家を出て行きもう帰らないと決めたのだとしても、それはとても自然な事で、私がとやかく言う筋ではないのだろう。どこかに元気で暮らしているかもしれないねず美、もしかしたら猫の神様に召されてしまったのかもしれないねず美、どうあれ、それはお前が受け入れた運命であり自然の摂理なのね。もう私は何も思い患ったりしない。だから私の愛したねず美、帰って来るまではさようなら…って、アンタいつからそこに居るのよっ。しかも、しれっと脚伸ばして毛繕いなんかしてんじゃないわよっ!
投稿者 平野克巳 : 2006年03月31日 13:03
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