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2006年04月04日
ショート・しょーと「桜咲く頃に」
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春の訪れは艶やかな花々の色で彩られ、それまでのモノトーンな冬景色は一気に華やいだ景観へと姿を変える。そして桜咲く頃には頬を撫でる風に春の優しい匂いが感じられるようになる。古都鎌倉は今年も桜が満開である。古来、桜は弔い花と呼ばれているが、かつては古戦場の歴史を持ち現在も寺社や霊園の多いここ鎌倉は、そうした意味において最も桜が相応しい都かもしれない。
見渡す限りを薄紅色に染めた桜に誘われて、私は街道から川べりの桜並木の元へとバイクを乗り入れた。そこは花見客のクルマの渋滞でごった返す街道とはうって変わって静謐な空気に包まれていた。思わずエンジンのキーをオフにする。弾けるようなDT1の排気音が止むと、あらゆる街の喧噪が遠く消えて無くなった。それは古木が並ぶどこか心安らぐ懐かしい風景だった。人気の絶えた静かな桜並木の午後、私はバイクを置いて薄紅色に染まった街路を歩いた。淡い空の蒼さに桜の儚い紅が映えて心地良い孤独感が私を包む。ふと振り返ると大きな古木の幹に寄りかかるようにしてひとりの少年が佇んでいた。小学校低学年くらいだろうか。白い開襟シャツに半ズボン、手には真新しいグローブをはめ、ゴムのボールをもてあそんでいる。妙に寂しげなのが気になった。
翌日、通勤の途中で再び、あの桜並木に立ち寄った。妙にこの並木の下は心落ち着くのだ。桜はそろそろ満開になろうとしている。昨日の少年がやはり同じ木の下でグローブとボールを片手にして所在なさげにうつむいていた。
「昨日もここに居たね。友達を待ってるの?」
「キャッチボールしてくれる人を待ってるんだ」
「友達は居ないのかい?」
少年は小さく首を振り、病気療養中で友達が居ないのだと言った。何の病気かは聞かずキャッチボールの相手を暫くつとめてやった。上手くはなかった。学校に上がって以来、一度も体育の授業を受けていないに違いない。それでも少年は瞳を輝かし満面の笑みでボールを投げた。
「お父さんは? キャッチボールの相手はしてくれないの?」
「お父さんは居ないんだ…」
余計な事を聞いてしまったと思った。私と少年は無心でボールを投げ合った。
次の日も少年は桜の木の下で私を待っていた。小さな箱を大事そうに持っている。プラモデルだった。それも三共の1/150一式陸攻である。何とまた古いプラモデルを持っていたものか。私は感心してそう言うと、少年の瞳がこの上もないほどに輝いた。
「お兄さんもプラモデル好きなの?」
「ああ、大好きだよ。それ一式陸攻だね」
「そう。ボクの一番好きな飛行機なんだ」
「オレもハセガワのナナニイのキットを作ったことあるなあ」
「それどんなキット? かっこいい?」
「知らないかい? タミヤのヨンパチはもっと凄いぞ」
「へええ。ボク、そんな凄いプラモデル見たことないや…」
なぜか一式陸攻で話に花が咲いてしまった。死ぬことを宿命付けられた桜花の母機もまた、桜花に殉ずるように撃ち落とされていったことが「やさしい飛行機」なのだと少年は力説した。子供にしては不思議な感性のようにも思われたが、戦争の理不尽さをそうした形で感じていたのだろう。恐らくは病身の我が身を投影して非運な境遇に共感していたのかもしれない。
こぬか雨のような春の雨が二日ほども続き、私はバイクではなく電車とバスで通勤した。少年のことが気にかかった。私を日がな待って濡れて立っていはしまいか。あの寂しげな横顔が放ってはおけない気にさせた。どこか幼い頃の私を思い出させるのだ。いつも寂しくてつまらなくて誰かを待っていた自分を…。三日目に雨は上がった。桜吹雪が舞い降りてはヘルメットのシールドに張り付いた。あの並木の桜もまるで雪のように辺り一面を薄紅色に染めて舞い散っていた。少年は立っていた。あの一式陸攻を愛おしげに持っている。
「お兄さん、タミヤのヨンパチの一式陸攻作ってるんだ。まだ作りかけだけどウチに見に来ないか?」
たちまち輝いた少年の瞳だったが、しかし直ぐに哀しげな色をたたえた。
「見たいけど、ボク、行かれない」
「お母さんに怒られるのか?」
「違うんだ。もう時間がないんだよ。桜の花が散っちゃうじゃない…」
少年はそう言うとあの古木の幹に寄りかかった。初めて会った日と同じように。無言で少年の手がバイバイと振られていた。いつしか少年の姿はうっすらと消えかかっていた。少年がこの世の者ではないことに気付いた…。
「ボク楽しかったよ。もっと一緒に遊びたかった…でも、お兄さんも帰らなき ゃ駄目でしょ…」
私はまっぷたつに裂けたヘルメットを見つめた。そしてヘルメットを持つ私の両手も、桜吹雪に溶け入るように次第に色を失っていった。
投稿者 平野克巳 : 2006年04月04日 13:47
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