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2006年04月28日
男と女の間には
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先日、テレビでかぐや姫の「神田川」誕生秘話のようなものをやっていた。あの情感溢れ悲哀に充ちた歌詞は実は男性の心情を綴ったものだそうで、出演者皆が「へえー、意外ですねえ」などと驚いていた。だがああした女々しく切ない心象風景は実は男性の専売特許なのである。女性の本性はもっとずっとドライでさばさばしている。一度決めた事は決して振り返って懐かしんだり哀しんだりはしない。その点、男はどうもいけない。何時までも過ぎ去った事を引き摺って懐かしんだり愛おしんだりしてしまう傾向にあるようだ。
私も若い頃、神田川のような生活を経験した。3畳ひと間ではなく4畳半ひと間の安アパートであったし、窓の下には神田川ではなく私鉄の線路が走っていた。改札口で君のこと何時も待ったものではなかったが私鉄沿線であった。電車が通る度にがたごと揺れる部屋には、何時からか住みついてしまった彼女が居た。イギリス留学から帰ったばかりのアクティヴな女性だった。カメラマンを目指していて、三社祭などにはカメラ片手に御輿の群れに飛び込んで行くような女性だった。ダークグリーンのランサー1400SL5で真夜中でも飛び出して行ってしまうような女性だった。そんな彼女がある晩、私の安アパートの外階段に座って私の帰宅を待っていた。その頃の私は駆け出しの編集者として日夜残業残業の日々であったので、その晩も真夜中はとうに回っていた。そんな姿に男は弱いものである。情にほだされてしまうのだ。その晩以来、一緒に住むようになった。小さな石鹸をかたかた鳴らして横丁の銭湯にも通った。24色のクレパスは買わなかったが、一緒にプラモデルを作ったりもした。プラモデルを作るのが巧い女性と云うのは比較的珍しいのだが、彼女は何をやらせても如才なくこなした。
互いに身の上は忙しかったが、貧しく慎ましい4畳半の生活はそれはそれで楽しかった。久し振りに二人揃っての休日、私はこんな部屋にくすぶっていないで、渋谷に出て映画でも観ようと言った。彼女はこの部屋で二人きりでゆっくり過ごしたいと譲らなかった。喧嘩になった。朝から鉛色の空がどんよりと立ちこめ冷たい雨の振る朝だった。日常に変化と刺激を求めていた私と日常を愛おしんだ彼女と。若い日の男と女は譲歩する事は出来ても決して分かり合えない。雨の日曜日には今もあの日の切なさを想う。
本当に金が無く貧しかった。月給11万7千円の二人の暮らしは楽ではなかった。だからあの頃の私の愛車フロンテクーペGXCFはセルモーターが壊れたままで、始動は何時も押しがけだった。それでも二人で八ヶ岳などに遊びに行った事を覚えているが、日々の殆どはただあくせくと働いた。ある時、彼女が真っ赤な長靴が欲しいと言った。小洒落たブーツなどではない。ただのゴムの長靴である。そんなものひとつ買うにも大変な決断がいった。鬱陶しい梅雨の季節を真っ赤な長靴があったら楽しく乗り切れると思ったのかもしれない。だが私は反対した。赤い長靴なんて使い道がない。ベージュか何か無難な色のほうが良いのだと強硬に反対した。言い合いになり、やがて彼女は泣いた。そして赤い長靴はそれきりになった。私は今でも後悔と共に赤い長靴を思う。あの時、何故気持良く買ってあげられなかったのか。つまらぬことに意固地になって、さも分かったふうな顔をした私自身が愚かしく思えてたまらない。
あれから随分と永い年月が過ぎて行った。しかし今でも私は赤い長靴を思っては、居たたまれぬ気持に心が沈む。気持良く笑って買ってあげれば良かったではないか、と今も思い出しては後悔し続けている。もう彼女は赤い長靴の事などとうに忘れてしまっただろう。何故欲しかったのかさえ覚えてもいないのだろう。なのに私は今もあの頃の青く幼かった自分自身に腹を立てては、切なさに胸が締め付けられるのだ。赤い靴履いてた女の子は異人さんに連れられて行っちゃったけれど、赤い長靴を履けなかった彼女はあれからどうしただろう。こんな心にしみ込むような冷たい雨の降る日には、柄にもなく遠い日々に想いを寄せては、今でも赤いゴムの長靴って売っているのかしら、などと考えてみたりする。かくも男とは遠い過去の詰まらぬ事まで愚図愚図と覚えていては、嘆いたり哀しんだりしてしまう生き物である。少しは女性のバイタリティを学べばよさそうなものだが、現実論者である女性と理想論者である男性とではどこまでいっても人生哲学において接点はなさそうである。男と女の間には深くて暗い川がある。誰も渡れぬ川なれどえんやこら今夜も舟を出す、なのである。男はロマンティストなのよ、などと言えば聞こえは良いが、要するに体裁ばかり強がって芯の部分ではガラスのように脆く危ういのだろう。タフである事に憧れそう装おうけれど、その実は密かにめそめそしてしまうのだ。いや~ん、おぢちゃん可愛い~。アタシが守ってあげた~い、などとうそぶかれて、にまにましてしまうおやぢが多くなってしまった昨今、スティーブ・マッキーンやトム・ベレンジャーのようなタフでニヒルでストイックで、しかし孤独で寂しい男性像は古臭くなってしまい流行らない。あんな男は映画や小説の中だけなのか。ちょーっっ、トシちゃん52さーい! えいえいっ、涙なんか飛んでいけっ! なんだかなーっ…。
投稿者 平野克巳 : 2006年04月28日 16:22
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