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2006年05月05日
訃報来たりて
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敢えて実名で書かせていただくが、雑誌編集者でありモータースポーツ・ライターでもあった日本モータースポーツ記者会会員、三田正二さんが急逝された。逝くには早すぎる未だ54歳という若さであった。三田さんはかつてネコ・パブリッシングに在籍していた事があり、実はモデルカーズの隠れた影の立役者であった。創刊号の立ち上げは私と三田さんの二人で成したもので、まさに二人三脚の共同作業によって創り上げたという思いが強い。アイディアを二人で話し合い、私が具体的な形とし原稿を書き、彼が編集作業を引き受けるというやり方でモデルカーズ創刊号は生まれた。未だネコ・パブリッシングが社名を企画室ネコと名乗っており、編集部が世田谷の用賀にあった時代の事である。膨大な仕事量をただ黙々とこなすその姿は常に編集部内にあって、幾晩も帰宅する事なく徹夜で作業に従事するようなタフな男であった。彼のデスクの引き出しには常にグロンサンアンプル液が常備されていて、私も良く奨められたものだった。「ちきしょー。なんだよコレーっ」などと作業をしながら独り喚いたり呟いたりしていたかと思うと、妙に静かなのでそっと覗くと、自分のデスクの椅子に胡座をかいて座ったまま、イナバウアー状態で爆睡していたりする。上背は高くはなかったが大柄な体躯で、50ccのスクーターに乗った姿はまるでボリショイサーカスのクマちゃんのようでもあった。シニカルな笑みをいつも浮かべているような男だったが、世を斜に構えるようなところはなく、大声で喚くような事も滅多にない気の優しい穏やかな男だった。
セダンのツーリングカーが好きで、ネコを辞してからは雑誌レーシングオンの創刊に参加、その後WRC取材の為に1年の半分ほどを海外の取材活動に費やすなど、根っからのラリー好きでもあった。モデルカーズの創刊に立ち会った事からも想像されるとおり、模型、取り分けプラモデルも大好きで、エレール/ユニオン1/24ルノー・ゴルディーニやアルピーヌA110を後生大事にコレクションなどもしていた。ネコでは暫くの期間、一緒に仕事をしたので、彼の担当する長期リポート車、シトロエン・ヴィザで、随分と日本中のあちこちへと取材に出かけたものだった。ネコを訳あって退社してからは、時々我が家にもふらっと現れては「もう作らないからあげるよ」などと言っては、幾つものプラモデルを押し付けていった。何か一緒にやりたいねえ、が何時も彼の口癖のようだったが、結局、何も実現はしなかった。定期的に我が家に現れるので、私の娘や息子の成長を赤ん坊の時から良く知っているが、つい最近の彼らの激変振りを彼は知らずに逝った。何時もベージュのコットンパンツを履き、ショルダーバッグを袈裟掛けにし、バイザースタイルの跳ね上げ式サングラスの付いた眼鏡をかけたあの慣れ親しんだ姿ももう見られない。生涯独身を通したが、それゆえ遠慮してか、近年は私の所へやって来る機会も段々減っていた。
私が関わっていた時代のモデルカーズの強力なブレーンであり良き理解者でもあった仲間が、櫛の歯が零れるようにして逝ってしまうのは言葉には表せない哀しみである。永くモデルカーズのカメラマンを担当してくれた岸さん、業界におけるモデルカーズの最大の信奉者であり理解者であった天賞堂の三上さん、そして今度は三田さんである。皆50前後と、逝ってしまうには余りにも若い。戦友のような仲間を失う度に寂しさと切なさと空しさに心が痛む。胸にぽっかり大きな穴が開いてしまったように空虚な気分でやるせない。だが三田さんの訃報を伝えてくれたネコのA山羊カメラマンが、昔と少しも変わらぬ元気な声であったのが少しだけ救いであったろうか。
ミスタークラフトのN岸さんが「あと2年したらオレ、赤いちゃんちゃんこだぜ!」とぼやくのを聞き、時の移ろいを改めて今思う。モデルカーズの創刊が1984年暮であるから、あれから既に20年以上の月日が過ぎ去った訳である。諸行無常、世はちょんわちゃんわである(意味わかんねえし…) 私も既に50を幾つか過ぎてしまったが、人生おちゃらけちゃいちゃいを合言葉とした、真情溢るゝ軽薄さ、の人生哲学には何の揺るぎもない。微動だにない(強調してどーする…) 旧友たちの訃報に接する都度、自分だって明日はどうなるか分からないと改めて思う。突然の病魔に蝕まれるやもしれぬし、不幸にも交通事故に巻き込まれるかもしれぬ。家でひっそりして居たところで猫にみぞうちを蹴られて窒息死してしまうやもしれぬ…それは無いな…。ともかく人生明日の事なぞ皆目見当もつかないのだ。だからやれる事は今日やっておこうと思う。やり残して悔いを残したまま死にたくはないものだと思う。「オメエに明日喰わせるタンメンはねえ」くらいの心積もりで、今日を、今を精一杯、しかし肩の力は抜いてやっていこう、そう思う。最期に改めて三田正二さんのご冥福を心よりお祈り申し上げる。今頃は空の上でご両親、妹さんと久し振りの対面を果たしているのだろうか…合掌。それにつけても何時も人の顔を見れば「元気?」が口癖だった三田さん。年賀状には何時も「元気?」の一言しか添えられていなかった三田さん。なんだよ! 自分はちっとも元気じゃなかったじゃん…。
投稿者 平野克巳 : 2006年05月05日 20:24
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