ミニカーホビダス(ロゴ
TOP	ショッピング ミニカーニュース ミニチャンプス ホットウィール モデルカーファイル ホビダストップ
 

初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

« ようやく巡り逢った感傷
| トップ | 「できんボーイ」なプラモライフ
»

2006年05月30日

あのときキミは若かった




 皆様の迷惑も顧みず「やって来ましたデンセンマン、♪それチュチュンがチュン…」(もう誰も覚えてねーって…) 前回までに今井科学1/36米つき水車小屋と山田模型プロペラボート・フェザーについて個人的感傷に浸ってしまったので、モノはついでと山田模型1/555大阪城天守閣もやっつけてしまうことにした。城と言えば相原模型と緑商会、そしてそれを引き継いだ童友社と相場が決まっているが、生来が本道、王道から微妙に外れたところの好きな私(子供の頃からサブカルちゃんなのである)、城のプラモデルで真っ先に連想するのは山田模型の大阪城天守閣である。勿論、天上の存在でずっと憧れて来た、などと云うことはない。その昔、買って作った記憶があるから懐かしいのである。だがしかし…何故に山田の大阪城なのだ。何ゆえにそんなモンを買ったのだ、と疑問に思われる方も多いかもしれぬ。昨今なら店鋪が減ったとはいえ模型専門店などでは、国内、海外を問わず発売されているもの全てとは言わないまでも、結構な種類のキットが店頭に並べられている。しかしその昔はプラモデルを売っている近所の駄菓子屋、文房具屋、雑貨屋などの店先では、精々20~30個も置いてあればいいほうであった。しかも現在のようにカタログや専門誌があった訳でもなく、情報も氾濫していたりはしなかったので、自分の行きつけの店に仕入れられているものが全てであった。つまり欲しいキットをどこかで探して買うのではなく、店先で売られているキットの中から欲しいキットを選ぶのである。おいおい「つまらない品揃え」の店で買おうとすれば、妙ちきりんなキットや馬鹿馬鹿しいキットを選択してしまう結果となる訳だ。恐らく私が山田の大阪城を買ったのもそんな事情からだったろう。ただ奇妙にも明解に記憶しているのは、そのボックスアートに酷く「ぐっ!」とキタことである。山田模型らしく絵本などの児童画的なタッチのものであったが、金の千生瓢箪を先頭にして鎧甲冑の軍勢が雄々しく出陣して行くさまが描かれたもので、その背景に勇壮にそびえ立つ大阪城天守閣が子供心にもたまらなく魅力的に思えたのである。現在なら小学校低学年がお城に心奪われるなどちょっとありえない。だがその昔は「ちゃんばらゴッコ」が流行ったように、侍の闊歩する日本の戦国時代は、今よりずっと身近なものであった。現代なら城を見て歩くのが好きだ、とか、城の研究をしている、などと云うのはじーさまの専売特許のように思われがちだが、その昔は「白鷺城の美しさ」を滔々と語ってしまうような少年好事家も居たのである。まあ、そこまではいかないまでも、少なくとも城は年寄りの好むものなどと云った偏見は余り無かったように記憶している。
 当時、プラモデルは大人たちの「ウケ」が悪かった。子供たちが不良になる有害玩具として忌み嫌われていたところがある。PTAでも漫画雑誌やプラモデルが問題視されるような時代であり、当然親にとっても少年サンデーや少年マガジン、そしてプラモデルは我が子に与えたくないものの筆頭であったような時代だった。だから我が子が戦闘機や戦車のプラモデルを買って来るよりは、大阪城を掴んで帰って来るほうが、まだちっとはましな気分がしたのだろう。別に何の根拠もないものの「そこはかとなく」アカデミックなイメージが感じられたのかもしれなかった。そんな訳で第一の関門である親の叱責を潜り抜けた私は、早速大阪城天守閣の製作にとりかかる。四角い枠を組んでは積み上げていく積層パズルのような要領で子供心にも結構楽しめた。白と灰と緑のモールドなので、着色せずとも取り合えず城らしくは見える。完成してしまえば他愛もないようなものなのだが、文机(学習デスクなぞ存在しなかった)の上に置いてちょっとしたタイムスリップを楽しむ。何とも長閑な時代であった。
 ところで城の天守閣と云うのは実は玩具の定番である。マルサン製のブリキの城など、この形態の玩具は沢山あった。たいがいは貯金箱になっていたが、貯金箱が玩具であったと云う辺りが、いかにも大人の倫理感を押し付けようとするもののようで胡散臭い。子供の日常は現代からは想像も出来ないほどに統制されていたのである。だがプラモデルが登場してそうした箍が外れてしまう。玩具が玩具である事に開き直り子供の世界の中で勝手に暴走したのである。だからプラモデルは大人の論理を振りかざす正しい社会の中では嫌われたのだった。しかし、そんな偏見の目も今は昔となった。今では大阪城天守閣のプラモデル、などと云うとむしろ「異端なプラモデル」のように思われてしまう。何れにしても私は大人社会への反抗で山田模型の大阪城天守閣を選び買った訳ではない。どんなプラモデルでも楽しかったし、欲しかったし、作りたかった。子供の観念は何時の世も固定概念に捕われる事もなくフレキシブルである。その時「グッ!」とキタか否かだけが判断基準なのだろう。私にもそんな時代があったのだ。そう思うと、このキットの存在がただただ懐かしいのである。

投稿者 平野克巳 : 2006年05月30日 18:32

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hobidas.com/blogmgr/mt-tb.cgi/9416


« ようやく巡り逢った感傷
| トップ | 「できんボーイ」なプラモライフ
»

モデル・カーズTOPへ

最近の記事

  • モデルカーズ的こころ(13)
  • モデルカーズ的こころ(12)
  • モデルカーズ的こころ(11)
  • モデルカーズ的こころ(10)
  • モデルカーズ的こころ(09)
  • モデルカーズ的こころ(08)
  • モデルカーズ的こころ(07)
  • モデルカーズ的こころ(06)
  • 日本模型人が書いた私的昭和史
  • モデルカーズ的こころ(05)
    • > もっと見る

月ごとの記事一覧

  • 2007年10月
  • 2007年09月
  • 2007年08月
  • 2007年07月
  • 2007年06月
  • 2007年05月
  • 2007年04月
  • 2007年03月
  • 2007年02月
  • 2007年01月
    • > もっと見る
ホビダストップ|ショッピング|ニュース|ブログ|ホビダスオート|鉄道ホビダス|ミニカー|ペット|雑誌サイト|趣味の本
ホビダス
ご利用ガイド|会社案内|求人情報|広告について|出店する|プライバシーポリシー|サイトマップ|ネコ・パブリッシング
Copyright (C) 2005-2008 NEKO PUBLISHING All Rights Reserved.