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初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

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2006年06月

2006年06月30日

梅雨時の近況


ワタシの仕事場を占拠する夜間戦闘機「海乙型」 どうやらここが一番涼しかったらしい。


 相変わらず蒸しますですねえ。いくら梅雨時だとは申せ、まるっと照っては貰えぬセーターを寒さ堪えて編んでます…って…ど、どこから文脈が変わったのだ? まあいいや(よくなーいっっ) ともかく急速に気温が上昇しつつあって、夏も間近いことを予感している。海っぺりでは既に海の家が建ち始めていて、嗚呼、またサザンとチューブの季節、季節真っ盛りの海岸物語なのね、などと思わせてくれる。「はまゆう」だの「うらら」だのって古臭くてダッさい名前がやっぱり海の家らしくていいやね。すいか?…微妙な名称の家もあるね…。まだまだ静かな湘南海岸の春から夏への季節またぎ。もう直ぐ半裸の(全裸が居るわきゃあない…)おじょーちゃんたちで賑わう夏がやって来る。そうなると鎌倉市街はひっそりとしてイー感じになるのである。
 だが、そうしたこととは関わりなく、我が家の近辺は常にひっそりとしている。ご近所で一番幅をきかせているのは人でも犬でも猫でもなく、多分台湾リスだろう。最も最近では「新・日本の里の鳥」であるカラスのほうが目立つようになっているかもしれない。その次に幅をきかせているのはデイパック背負った元気なおっちゃんおばちゃん、そしてヒップハンガーのジーンズなんかはいた修学旅行の小学生たちである。酷い時はくりいむ上田が「ここは竹下通りかっ!」と突っ込みそうなくらいの混雑となり、クルマやバイクが立ち往生するなぞ日常茶飯事である。何しろ部外者である旅行者は強い。「何さ、こんな観光地にまでクルマなんかで乗り込んで来て」と超攻撃型光線で一瞥、露骨に不快な表情で応酬して来る訳である。それに決してどかない。いや、どかないと言うよりは、正確に言えばどけない。どこも狭い裏路地のような通りばかりである。そこにわんさか老いも若きも雪崩れ込んで来るのであるから、エスケープゾーンなど期待できない絶望的状況なのだ。しかし、こちらは此所で暮らしている。今、アンタらが嬉々として寺社巡りに勤しんでいる道路は、私らにとっては生活道路なのだ。銀行に銭をおろしに行くのにも、焼き立てクルミパンを買いに行くのにも、里芋耳鼻咽喉科医院に通うのにも、ここを通らねばならないのだ。せめて気持良く通してくれってば。昨今は世情が殺伐としているから、自動車はおろか自転車でさえもおいそれとはクラクションを鳴らさない。だから余計に気付かない。いや、本当のところは気付かないふりをしている。以前に思ったのだが、鎌倉で乗るにはプリウスやインサイトは相応しくない。クラクションを鳴らさぬのでエンジン音が警告音となるからだ。以前、コブラに乗っていた時は、半径20m四方に歩行者の姿は無くなっていた。これはこれで考えものではあったが…。ん~してみるとハーレーなら鎌倉は安全に走れるのか…?? XS1でもいーね。DT1でも大丈夫だろう…話が歪んで別のところに向かい始めたな。まあいいや(いいのか?…)
 我が家の中に目を転じると、家の中で最も目にする確率が高く、しかも好き放題し放題で幅を聞かせているのは、家人ではなく猫どもである。縦横無尽に家中の価値観も秩序も踏みにじっては崩壊をもたらしている「悪魔のけものたち」である彼奴らにとって、梅雨時はやはり辛いらしい。ひたすら涼しい場所を探しては「ぼろ雑巾」のようになって落っこちている。お前、猫だからいーけどさー。そんな大股開きで伸びきって爆睡してんぢゃねーよー。人間のおねーちゃんだったら犯罪よ犯罪。でも猫だからいーのか…。文脈が空回りしているな。まあいいや(よかーねーだろーっっ) って言ってる先から、なんでマウス握ってる手の上にしれっと座るかなあ…。
 おおっ、鳥の鳴き声が止んだね。たちまち深閑(閑散なのか?)とした山の中のような風情となるね。一番大きく響いているのはパソコンの機械音だったりする訳で。あ、自衛隊のヘリだ。結構うるさいね。でも米海軍のホーネットの比ではないな。奴らは平気で超低空でアフターバーナーふかすからたまったもんじゃない。以前はよくPS-1の重厚な響きも耳にしたものだけど、今ではオライオンしか見られなくなって寂しいね。その昔、九州をバイクで走っていて、築城基地のF-86Fセイバーに目の前を超低空でフライパスされた時の凄さを思い出すね。こっちを見ているパイロットの顔が見えたもんなあ…ジェットエンジンの轟音は機体の後からやって来るんだよねえ。ってガッシャンガッシャンって何の音…?? ああー、子供の部屋のCDジャケットの山を蹴散らして進撃している黒猫が居ったわ…ま、だらしなく積んどくほうが悪いのさ。そんなこんなで蒸し暑く鬱陶しい梅雨のこの時期、皆さんは如何お過ごしでしょうか。

投稿者 平野克巳 : 2006年06月30日 15:18 | トラックバック

2006年06月27日

自然と共棲するとは言っても…



 梅雨真っ盛りの平日の昼下がり、通院の帰り道を散歩と洒落こんでみる。何であっても歩く行程と時間は一緒である。ただ必要に迫られて歩くよりは散歩気分で歩くほうがなんぼか楽しい。今に始まった事ではないが、この時期の鎌倉は紫陽花が咲き乱れる。山にも家々にも至るところに涼しげな色合いがあふれかえり、もはや市内一円が明月院状態である。紫陽花は色々に色を変える事でも有名だが、ひとくちに紫陽花と言っても様々な種類がある。私はより自然の山紫陽花に近い額紫陽花が好きだ。みっちりとした大輪の華やかさとは対照的な、楚々とした風情が梅雨時のしっとりとした空気には良く似合う。
 古い屋敷街を歩く。傘を打つ雨の音と小鳥のさえずりだけに包まれていると、これが本当の鎌倉なのだなあ、と今さらながらにそう思う。いつもなら観光と史跡巡りの老若男女と修学旅行生で埋め尽される小路だが、今日はことのほか広く遥か彼方まで見渡せる。静まり返った路地の真ん中で濡れた石畳が鉛色の空を映していた。何もかもが水墨画のような世界である。ふと自分の足元のスニーカーが場違いなように思えてきたりする。犬は小屋の小さな入り口から顔だけを覗かせて、所在なさげに道行く人の足元を見つめている。猫は雨のかからぬ車庫の下で威を正し、じっと瞑想して雨のあがるのをただ待っている。こんな日にはあくせくしても始まらない、まるでそう言っているようだ。ちくしょう、雨かよ、○○できねえじゃん…などと傲慢にも自分勝手な事を言っているのは人間ばかりなのかもしれぬ。
 自宅に近付くにつれて山紫陽花が増え、同時にドクダミの白い花が目立つようになる。この辺りは本当に山だ。勿論、山と云っても大した標高がある訳ではなく、海抜数十mがとこがいいところではある。源氏山と云って古戦場跡なのだそうだ。現在も使われている切り通しは鎌倉攻めの際、実際に斬り合いの死闘がなされた要路そのものである。今は元気なおばちゃんとネコばかりが行き交っている。
 我が家の庭は山からひと続きのようなものである。庭に面した山の傾斜地は国有保護林なのだが、元気だった頃の父が「造園」と勝手に称しては好き勝手のし放題をしたので、妙な塩梅に色んな花や樹が咲き乱れていたりする。我が家の庭は端から端まで歩けば5分はかかる(嘘、うっそーんっっ!) 僅かばかりの敷地ではあるが、昆虫は勿論のこと、モグラ、トカゲ、ヘビの行き交う自然界では大切な主要行路であるらしい。ときにはカエルがのそのそと這っていたりして驚くが、それどころかサワガニが横歩き(当たり前だ)していて驚かされる。さほどしょっちゅう見る訳でもないのだが、毎年必ず見るのでどうやら代々定住しているらしい。山であるからどこかに小さな沢でもあるのだろうかと思うのだが、住居の近辺に清流の湧く場所があるなど、何だかとても嬉しい気がする。うーん、さすればもしかしてオオサンショウウオなんか居たりして…そんなやつぁおらんやろおぉ!
 なんて言っていたらまたぞろサワガニが庭に居た。脚までいれて体長6センチ程度だから余り大きな奴ではない。時には10センチ以上の大物も居たりするのである。源氏山に棲息しているのであるから、平家蟹ではなく、正真正銘の源氏蟹である。正真正銘って…。折角だから写真撮っとこう、などと捕まえて家の中へ。あ、しまった。ウチには動くもの大好きな、カニにとってみれば「悪魔のような狩人たち」が4匹も住まわっていた。幸い、腹も一杯なのか、どいつもこいつも鬱陶しい天気に嫌気がさして、ふて寝を決め込んでいた。家のあちこちにぐたーっと落っこちている。ひとつでも起きていたら大騒動である。「なになに? ソレなに?! 」と強引に人を押し退けて、パンチの嵐をお見舞いするに違いない。哀れカニ君、暫くすればバラバラ殺人事件の被害者へと相成ってしまうだろう。慌ててシャッターを切り、ちゃっちゃと家から退散していただくことにした。
 それにつけてもウチの猫どもは幸いなことに室内飼いであるのだが、もし屋外も自由にさせていたら、恐らくはしょっちゅう家の中にバッタだトカゲだ鳥だなどと生き物の屍体が転がっていたに違いない。その都度、誰かがきゃあ~と絶叫しては処理班を出動させなくてはならなかったろう。ウチではあり得ないことだが、鳩までくわえて揚々と凱旋されてはたまらない。ウチのハンターたちもたまに小さな蜘蛛とは格闘しているが、良質なタンパク質とばかりにむしゃむしゃやられると、一寸ヒク…。しかもその直後に口をなめに来たりするので、慌てて天を仰いだりしなくてはならない。自然と共棲するのは好きであるが、別に自然児ではないのだ(苦笑) 我が家の中には小さな虎や豹が居るのだと思うと、嬉しいような恐いような…。

投稿者 平野克巳 : 2006年06月27日 17:28 | トラックバック

2006年06月23日

山中の庵から




 梅雨の季節には身体の中にまで黴が生えるような気がする。連日続く鉛色の低く垂れ込めた空の下では、心の有り様までもが陰々滅々として、バイオリズムが悪いと云うかテンションが沈む。別に厭世的になって人生の何もかもが嫌になった、などと云うこともないのだが、さりとて日々が楽しいとも思えない。世情の暗いのもそんな心情を助長する。未成年者の犯罪が激増し、昨今は子が親を殺し、親が子を殺すような絶望的な事件が連日のように多発している。人は何を道標として何を求めて生きて行くのだろうか。人生の大半を生きて来た私にとってもそれは避けては通れない命題のひとつのように思える。
 私は多くの挫折を繰り返しながら今日までを生きて来た。若い時分は自分に正直であれと日々言い聞かせて過ごした。後悔とは行なってしまったことの為にあるのではなく、行なわなかった事の為にあるのだと信じ、自らの行動規範として科して来た。だからやるだけのことはやった、と云う思いは強く、これまでの半生にさしたる悔いは残っていない。自らの為に、自らの人生の為に、家族の為に、そして不特定多数の身も知らぬ多くの人々の為に、私は必死に誠実に生きて来たつもりだ。それでも生きていれば全てが自分に報いてくれるとは限らない。むしろそうでないことのみ多かりき、である。だからと云って自分の腑甲斐なさを哀しんだり世間を恨んだりする気持などさらさらない。所詮人生とは、世の中とはそんなものよ、と常々考えるようにしている。それだからこそ、人の一寸した優しさが心に染みたり、小さな幸せが宝物のように大切だったり思えるのだ。
 私には4人の子供が居る。長男は既に30を超えているが、近況は知らない。それと云うのも十代の頃より家を出て独り住まいをしているからである。長男は中学から高校にかけて荒れた。家庭内暴力が激しく、一時は我が家の窓と云う窓のガラスが全て無くなり、家具と云う家具が壊れた。一時は私自身も精神の安定を欠き、真剣に離婚を考えた時期もあった。既に小さな子供も居たので下の子供たちの身を案じ、多くの話し合いの結果、独り住まいをさせた。しかし仕事は何をやっても長続きしなかった。人との協調性が維持出来なかったのだ。結局、生活保護を受けるようになった。私はそれを恥ずかしいとは思わない。人の心の病は現実に深刻である。次男は中学生の頃、将来は自動車整備士になってお父さんのクルマの面倒を見る、と言った。子供の言うことであるから初めから話半分として捕えてはいたが、心底嬉しかった。もしかして本当にそうなってくれるのではないか、と心の底では密かに期待した。だが工業高校を出たのちは飲食関係をいくつか経て現在の通信企業へと転職した。仕事以外はガンダムと格闘技のDVD三昧の日々である。まあ、それも人生だ。娘は成人を迎えた途端に40男と同棲する為に家を出て行った。親の心情としては呆れてものも言えなかった。憤りなどより空しさで心が充ちた。私は子供と云うものは別人格、親の付属物などではあり得ないと昔から思っているので、どこで何をしようが構わない。誰と恋愛をしようが自由だと思っている。しかしやっと育ててようやく大人の入り口に差し掛かった途端にそれではあんまりだと感じた。本人の希望で美術系の学校へ通い、未だ将来の展望さえ定まらぬのに、仕打ちはそれかよ、と密かに思った。親など本当につまらない。一番下の息子は県内有数の進学校を卒業しフリーターとなった。ただ彼の場合は明確な目標がある。ミュージシャンを目指している。私自身も好き勝手な人生を過ごして来たのであるから反対出来よう筈もない。ただそうした生きざまは海千山千である。成功を夢見ているだけではならぬ。挫折し失敗したと感じた時はすっぱりと見切って、例え日雇い労働者としてその後を過ごすこととなろうとも人生に絶望してはならぬと言い聞かせてある。
 子供とは所詮そのようなものだろう。昔から「ひとりで育ったような顔をして」とは良く言われるがそれで良いのである。友人たちからは「一人娘だから溺愛しているのだろう」などと言われるが実際にはそんなことはない。とうの昔に子離れはしてしまっている。だが二十歳の声を聞いた途端におっさんと暮らすからと家を捨てられれば、それはそれで結構愕然とせざるを得ない。それまで張り詰めていたものが一気に弛緩して全ての気力が萎え失われた気がした。そしてその途端にがたがたと身体のあちこちが変調をきたすようになってしまったようだ。実際かなり鬱な状態かもしれぬ。喜怒哀楽が失われ希薄になってしまったような気もしている。それでも人生は続く。日々の暮らしは休むことがない。生きるとは何だ、などと自問自答している暇などない。ただ最期の日、俺は何の為に生きて来たのか、などと自らに問いかけるのはまっぴらである。自分の生きた証は例えひとつであっても確たるものとして世に残したいと思う。ただその為にだけ切磋琢磨する毎日でありたいと思う。
 

投稿者 平野克巳 : 2006年06月23日 18:14 | トラックバック

2006年06月20日

はっちゃんはどこの家庭にも居る…??


はっちゃんthe.movie(シンフォレスト/税込2,100円)
動画系はやってませんけどウチも一応猫系雑誌NEKOを出しているので、これ以上は宣伝になっちゃうのでやめときます…。



 今年になってからと云うもの身体に急激にガタが来た。そりゃそうだよ、50年落ちだもの、なんて笑ってられればイーのだけれど…なんだかんだと並行して4ケ所もの病院の世話になり、毎日飲まねばならぬ薬はまるでジジイのように沢山ある…ってジジイか…既に整理しておかないといつ何を何錠飲めば良いのかも分からなくなりそうなので、100円ショップで薬を区分けしておけるボックスをふたつも買った。実はこれでも足りない…ともかく1日1回から3回、更に食前と食後とバラバラなので、薬を飲むだけでも大変な労力を必要とする。昨日は耳鼻咽喉科で中耳の切開手術を受けた。手術と云っても局部麻酔をして、中耳に穴を開けて溜まった膿を出すだけだが、なんと今年になって2回目である。確かに子供時分にはよく中耳炎になったが、この30数年と云うもの耳に水が溜まるなど全くなかったことだ。若い時分の無理が祟ったのか、それとも若い頃の悪さに罰が当たったのか…。クルマで喩えるなら「アッチを直したらコッチが悪くなり」で次々と修理を重ねなくてはならぬような状況だろうか。こうなると次々と露呈する各部の故障部位全ての修理が一巡しないと、そこそこの安定したコンディションは戻っては来ない。ええい、いっそレストアかけてリビルドしてしまえ、が出来れば良いのだろうが、生身の身体ではそうもいかない。ならば思い切って捨ててしまって新車に替えてしまえ、が出来ればすっきりもしよう。だが私にそんな財力はない…って、財力があるなしの問題ではないな、そんなこたあ。
 医者通いの合間になんとはなしにCDショップ(もはや誰もレコード屋とは呼ばなくなった今日この頃…)や本屋などをぶらついてみる。CDショップとは云っても近年めっきり音楽CDは買わなくなった。私の中では10cc辺りで時が止まっている。ひたすら期間限定激安DVDコーナーばかりを見て回る。こんなコーナーにイージーライダーが並んでいたりすると、かつて12,000円も出してVHSを買ったことを懐かしく(口惜しく)思い出したりもする。ちっ、ジュラシックパークも今や980円かよ。バカ高いコレクターズボックスなんぞを買ってしまった我が身にとってはむしろ悲しいね。それ以前にはVHSのワイドスクリーン版と通常サイズ版なんか両方買っちゃったりしたしね…。あ、アトランティスの心も安くなったね。これは少年時代の郷愁に訴えてジンとくる映画だよねえ。原作本も面白かったし。むしろスタンド・バイ・ミーより好きだよ。スティーブン・キングは良いやね…などと眺めていると…見つけてしまった。“はっちゃんthe.movie”…か、可愛い。あのブログで有名な、写真集がバカ売れしていると云う(本当なのか!?…)猫のはっちゃん初のオフィシャルDVD。2,000円…ん~微妙な値段だね。でもそのジャケットを見ていると辛抱たまらずムンズとつかんで、いそいそとレジに向かっているワタシであった。
 買っちゃったよ。はっちゃんDVD …それでも勝手に期待はいやが上にも盛り上がる。早速そそくさと再生!…なんか期待したほどぢゃないね…確かに可愛いけど、はっちゃんの可愛さって「となりのマリちゃん」(喩えが古くていかんでわや)的アイドル性で、ハリウッド的雲の上の美女とはちゃうねんな…なんで関西弁?…してみると、はっちゃんレベルならウチにも走り回っている訳で…「え? 親バカですか? でなくて猫バカですか…」 まあ、正直監修、演出が今いちってえのはあるのだけれど、はっちゃんの仕草や表情なども格段可愛いって訳でもないような…だって、ウチでも毎日こんなん見てるし…ウチのふうちゃんの「ニャー!」のほうが絶対可笑しい。わが子可愛さ、手前味噌汁、だったらオメエやってみろや、のお叱り覚悟で言っちゃいますけど、期待したほど抱腹絶倒、阿鼻叫喚、森羅万象(相変わらず喩えがおかしい…)ではなかったのは、ほぼ似たようなのがウチでも連日繰り広げられているからで…猫の住まうご家庭は大体そんなモンぢゃありゃせんでしょうか?…なんかもっと「可愛いーっ」とか「凄ーいっ」とかを期待しちゃってたので、ちょっと「ひゅっひゅっひゅっ」なワタシではありました。ちなみにはっちゃんジャンプを観ていて思ったのですが、ウチのふうとかいは空中で激突して取っ組み合います。お前らサンダ対ガイラかっ!!って感じです…。さて、気持を本来のレベルに戻そう。要するに猫を楽しむ極意とは、日々そこにあると云うことである。今そこにある嬉々、なのである。平凡なおばか猫ほど愛しいし面白い。奴らと暮らしていると「ほにょにょん」とした幸せがいつも一杯である。どいつもこいつも鼻の頭が可愛いし…。ただ勘弁して貰いたいのは、夜に3匹も4匹もずでで~んと伸びて私の身体の上で寝て欲しくないことか…などとキーボードに向かっている私の腕を、夏になると出没する「なめ猫」が、手首から二の腕まで丹念に舐めている…うーむ、正しい塩分の摂取法なのだな…。まあ、後味はさっぱりして悪くないんですけどね…。え? あとの3台ですか? みっつともそこいらに落ちてます。今日は夏日なのでね…。

投稿者 平野克巳 : 2006年06月20日 16:20 | トラックバック

2006年06月16日

私的クルマライフ回想




 自動車と云うものに興味を持つようになって40年余り。その間には自動車もそれを取り巻く環境も随分と様変わりした。今ではクルマに乗ると云うことはごく日常的なこととなってしまったが、その昔はそうではなかった。私が自動車に乗った最初は一体いつのことだったろう。両親ともに免許を持たなかった私の育った環境では、クルマは余り身近な存在ではなかった。だからタクシーあたりが最初の自動車経験だったかもしれぬ。少なくとも私が物心ついて記憶にあるタクシーは、埼玉県のJR浦和駅、駅構内タクシーであったすずめタクシーだ。多分ブルーバードの310系か410系だったと思う。前後ベンチシートに白い布のカバーがかかっていたのが、私が記憶するタクシー原風景の印象のひとつである。
 私が自分でクルマを運転した初めは多分中学生の時だったと思う。親戚の叔父が乗っていたマツダR360クーペを千葉大グラウンドで走らせた。グラウンドと言っても舗装などされていない土のままで、トラック以外は夏になれば草が鬱蒼と茂るような場所であった。その土のトラックコースをグルグルと走らせたのである。叔父は身障者であったので選択の余地なくトルコンのR360クーペに乗っていた訳だが、アクセルとブレーキの手動操作レバーは新設されているものの、元々のアクセルとブレーキのペダルは残されていたから、私にも簡単に運転出来た訳だ。叔父の水色のR360クーペは走行距離が少なく、整備が行き届き、車庫保管であった為、10数年経っても実に程度が良かった。その後、転売されたらしいが、今なら是非譲り受けたいと思ったろう。その後、叔父からはホンダライフ・スーパーデラックスを譲り受けて何年か乗った。2ドア、シングルキャブ、オートマのスーパーDXは珍しいと聞いたが、これも実にコンディションが良く10数年落ちにも関わらずまるで新車のようだった。三菱ジープH-J59を買う時に15万で売れたのには自分でも驚いたが。
 その他に記憶に残っているクルマは沢山ある。日産サニー1000/B10は、軽く素直な操安性でとても運転の楽しいクルマだった。今ならKB10なんて乗ってみたいクルマのひとつだ。パブリカ700/UP10も走らせて楽しいクルマだった。独特の空冷のエンジン音は小気味良かったし、意外なほどにスロットルレスポンスも良く、自在に軽やかに振り回せる感じが何とも楽しかった。ただ私の乗ったパブリカはコーナーを回る度に助手席ドアが開いてしまうので、コーナーでは常に左手でドアを押さえながらのコーナリングを強いられた。昔の車幅のない小さなクルマだから出来た芸当である。当時の若者の憧れのひとつは日産サニー1200クーペ/KB110だったが、私はサニーよりもチェリーが好きだった。チェリークーペX-1/KPE10Tは日産のセールスマンと交渉して、購入の直前までいったことがあるほどだ。当時のFF車は非常にクセのある挙動を示したので、それによって好き嫌いが極端に二分された時代だったが、チェリーの場合はそれに加えて個性的なボディスタイリングでも好き嫌いがはっきり分かれた。メインカラーが茶色のメタリックであったことから、嫌う向きからは「茶羽根ゴキブリ」などと蔑まされたが…全くそのとおりであった…しかし私は今でもチェリークーペを見ると「なんてカッコイイんだっ!」と感嘆してしまうのだった。三菱コルトギャランHTも本気で欲しかったクルマだ。ギャランGTOが欲しいと一度も思ったことはないが、セダン系のほうのハードトップにはシビれた。私の欲しかったのはマイナーチェンジ後の丸型4灯ヘッドランプで白いボディのHT・A2 GSであった。既に生産終了後のことで関東一円の在庫を探して貰ったが1台も無く、逆提案(?)としてギャランFTOを奨められてしまった…だがABCペダルの感触がオモチャのようにペコペコで、一瞬にして嫌気がさした。今にして思えば中古車でもいいから白いギャランに乗っておくのだったと一寸だけ後悔している。
 その昔は自分の愛車を模型で作りたい、あるいは自分の車歴を模型で残したいなどとも思ったものだったが、なかなか自分の乗ったクルマが模型になることはない。そんなことはとうに諦めてしまった私だが、かつてそんなつもりで集めたキットは今も納戸で眠っている。フジミ1/24VWゴルフ1、フジミ1/24トヨタマーク2、ハセガワ1/24ギャラン、ニチモ1/20バモスホンダ、ニチモ1/24三菱ジープ、モノグラム1/24コルベット、モノグラム1/24コブラ427S/C、それに大改造を前提とするがイマイ1/20スズキセルボ、クラウン/オオタキ1/20ホンダZ、精々そんなところだろうか。もちろん、それらもグレードなどの仕様は違う。同じドンガラがあるだけマシと云う程度の話である。マイナーな車種やたまたま模型にはならなかったなど諸般の事情から、私の車歴の大半は模型では再現出来ないようである。まあ、皆さん、大体が似たり寄ったりなのではないだろうか…。模型になるようなクルマに乗れる人は裕福かつ幸福な人なのだろう。模型人には縁遠い世界らしい。

投稿者 平野克巳 : 2006年06月16日 20:21 | トラックバック

2006年06月13日

舞台裏では四苦八苦




 古典キット倶楽部に大滝1/12ホンダS800を採り上げようと考えた。これはずっと昔からオープン、クーペのどちらのキットも持っている。さあて、それでは仕込みにはいるかあ、かっぱらけ大魔王に発注だな、とキットの捜索を始めたところ…キットが見つからない…んあ。ど、どこ? もう10年ばかしは見てないけど、ウチの中のどこかにはある筈なんだけど…。な、ない。あんなにデッかい箱なのに、こんなにチッちゃい家なのに、何故にないのだ? 捜せども捜せども我が暮らし楽にならざり、そっと肉球を見る…いや、くっだらねーこと言ってる場合ぢゃねーぞ。捜索機を我が家のバミューダトライアングルに飛ばすこと数日、結果はくたびれ果てただけで成果なし…あーもう、新たに買ったほうが早い。全くもってトホホである。そんな訳で某模型店へと走る。白い犬が店番をするとある模型店は、絶版キットの宝庫なのである。言い方をかえれば不良在庫の山とも言えるのだが…ともかく、私にとってはありがたいショップである。そこには永く鎮座まします童友社1/12ホンダS800が今もある。童友社版は大滝版と何ら変わっていないので、作ってしまえば同じである。ある意味、姑息な手法であって、厳密に言えば読者に対する裏切り行為と言えなくもない…。だが無い袖は振れないのだ。そんな訳で取り合えずは問題解決である…でも…しかし…本当にそれでいいのか、オレ…やはり気持がすっきりしない。押っ取り刀でネットオークションを覗いてみる。んあ? 大滝のキットのほうが安価に流通している節がある…なんですと。えい。しゃーない。入札だあ…しぐしぐ…そして無事落札。6,000円でカタがついちゃったよ…。喜ぶべきなのか哀しむべきなのか…微妙。翌々日 、郵便屋さんの真っ赤なトラックに乗って大滝1/12ホンダS800はやって来た。はああ、良かった良かった。早速、箱を開けて検品してみる。ん? なんかパーツがやたらに少なくないか? あっ! インストが入っていない。そ、それだけじゃなくて、フロアパンもないっ。おあっ、エンジンもホイールもダッシュボードもないぞ。なな、なんと、大きなランナーの固まりがふたつも入っていないでねーの…。嗚呼、欠品だらけの模型選び…読者を騙そうとした罰が当たったのか…。
 やっちまったことは致し方ない。立ち直るのも早いワタシ…。大滝の1/12ホンダS800と言えば、'68工作ガイドブック(科学教材社刊)の表3広告で強いインスパイアを受けたことを今もはっきり記憶している。見て、買って、遊んで楽しい 大滝の傑作自動車ビッグ3!のキャッチコピーに飾られて、1/12ホンダS800、1/16ニッサンR380-2、1/16トヨタ2000GTの完成モデルが並んでいた。特に“新製品 1/12内外とも完全スケール”と謳われたS800には目を奪われた。私が中学3年生の時である。1,500円の定価は決して安いものではなく、遂に一度も買うことなく、そして勿論作ることもなく、時は過ぎて行ったのだった。あの時の想いを今になって実現するのだ。ならばボディはあの広告を飾っていた黄色いボディでなくてはならない。多分、一般的なイメージとしては赤なのだろうが、今回は何としても黄色である。インパネは残念ながらブラックアウトされていて、S600までのアルミではない。実車がそうなのだから仕方ない。ん? ホイールは星形(エア抜き部分が5箇所、いわゆる5穴)だな…後輪の駆動部分を改めて調べるとチェーンではなくリジッドである。つーことは十字形ホイール(4穴)ではないのか? S800はリジッドになった時点でホイールが5穴から4穴になった筈である。確認の為にシゲタ博士経由で「ホンダエスについては変態的に詳しい」と噂されているエス名人にお伺いをたててみた。すると、やはりリジッドで4穴になったとの回答であった。大滝のキットは果たして何時の時点で企画開発がスタートしたのだろうか。あの頃のホンダは矢継ぎ早に改良を施してはマイナーチェンジを繰り返したので、それに翻弄されてごちゃ混ぜになったのかもしれぬ。何しろ1/12スケールともなれば1年近くも開発期間が必要な筈だ。もしかするとS600、あるいはチェーン駆動のS800の時点で開発がスタートしているのか? しかし、だったら面倒な足回りのパーツを途中でチェーンからリジッドに改修するなど「あり得ない!」(梨花の口調で…)だろう。初めからリジッドのS800モデルを開発したのだが、うっかりホイールが5穴から4穴に変更されたのを見過ごしてしまった…と云うのが実際のところかもしれない。ちなみにかっぱらけ大魔王はキットの中身を検品していて「おっ、クーペのリアゲートとトランク底板のパーツ入ってんぢゃん! 折角だからこれからクーペ作るかあ」と血気盛んである…1/16マスタングと1/16シェルビーGT500を合体させてシェルビーGT350を作ってしまった妖力の持ち主なので、もしや古典キット倶楽部誌面ではS800クーペが登場する場合も…「ねえよっ! ぜったい、ぜえええっったいにねえっ!」(暗い沼からの咆哮)

投稿者 平野克巳 : 2006年06月13日 16:03 | トラックバック

2006年06月09日

梅雨時は空も心もいまひとつ晴れない




 朝から鬱陶しい雨空である。どうやら梅雨に入ったらしい。今年はまともに五月晴れらしい晴れ空もないうちに梅雨に突入してしまった。この時期の唯一の慰めは咲き乱れる紫陽花であろうか。我が家の庭でも白や青、紫のコントラストが、ぼんやりと煙る灰色の情景の中に潤いを与えている。雨降りが続くようになるとバイクに乗れない、自転車に乗れない、散歩するのが億劫になる、そんな塩梅で次第に家に引き蘢りがちとなる。だが窓から望む空が青く抜けていない分だけ精神的には落ち着くので、自宅仕事ははかがゆくようになる。もの書きや模型作り(湿度の問題はあるものの)にはうってつけの時期でもある。だが、お日和は良かろうとも視力の衰えは模型作りに深刻な影響を及ぼしていて、とにかく「見えない、焦点が合わない」ことがこれほどにまで物理的にも精神的にも圧迫感をもたらすのだと云う現実を改めて思い知らされる。もうとうに眼科医で作った老眼鏡の度は合わず、文庫本の活字もパソコン画面も、勿論携帯の画面も「あにゃまむねな」見え方になってしまっている。私の場合、近視、乱視、遠視はないので、最近ではすっかり百均の老眼鏡専門になってしまった。20代から続く腰痛は相変わらずであるし、最近では無理な負荷が祟ったか膝の関節までおかしくなり始めた。痛い注射も効を発せず右手小指のバネ指は治らずパッチンパッチン音を発しているし(ゆーとぴあかっ!!)、被せものをしてあった歯は歯茎まで腫れるし、知覚過敏にはなるし、それらの治療がやっと終わったと思ったら、今度は突発性難聴にはなるし…。更に加えて天候不順の為なのか風邪までひく始末だ。血圧、血糖、内蔵脂肪、コレステロールと成人病の宝庫でありつつ、なかなか改善が見られない私としては、より一層の知力体力の衰えはダメージも大きい。つい最近、CTスキャン、MRI検査で、私の脳では既に何回かの軽度の梗塞がおきていて自然治癒していたことも分かった。断酒に続いて禁煙も迫られる結果となったが、どのみち煙草をやめたいと考えていた昨今なので、ちょうど良いチャンスかもしれない。これまでも値上がりする度に何度やめようと思ったかしれないのだが、これがなかなかどうして…。近頃はどこに行っても自由に喫煙出来なくなって、むしろ煙草を吸うことがストレスとなりかけていた。いっそ海外のようにべらぼうな価格になってしまえば諦めもつく。ひと箱千円なら買わない、と言うか…買えない。しかし、そうなったらそうなったで、中国産煙草を買うのか?…いや、しまいには北朝鮮産の不味いマイルドセブンにまで手を出してしまうのか?…あ、いやいや、それは犯罪に加担してしまうこととなるからNGである。いしいひさいちのマンガで「大麻/たいま」を「おおあさ、おおあさ」と言って誤魔化すのと一緒である。「占~いでおも~てなし」なんて駄洒落を言っている場合でもない。お前たちのやっていることはえぶりしんぐ、まるっとお見通しだっ!
 病気の話題ばかりになったらじじい・ばばあになったシルシだそうだが、今月が終われば目出度く53になる私としては、もはや他人事とばかりは言っていられないのかもしれぬ。さかつう目的でなく巣鴨に行く日も近い…のか?? 身長176cm、体重80.5kg、体脂肪率23.1%、至って健康!と云う訳にはいかないようだが、とりあえず未だ「くたばる」訳にはいかない。なにせシゲタ博士からは「主要案件の検証」が終わらぬ限り安眠してはならぬの厳命が下されているし、かっぱらけ大魔王からは借金返してから土に還るよう言い含められている。ちなみに私は「借金返しちゃいけない教」の湘南支部長である!…。 S村けん笑いの金メダリストからはマルサンに片を付けてゆけと怒られそうだし、仮名俊一医院長には「かんこ」をちゃんと嫁入りさせ後継総裁を指名してからにせえと叱咤されそうだし、F島親方にはヤマハもカワサキもぜーんぶ一般公開「よろしくねっ!」と期待されているし…まあ、ともかく俗世のしがらみがある以上、安穏と材木座の平野家の墓に入ってしまう訳にもいかないようだ。だから、さあて、こんな雨の日は懸案の模型に手を付けるかなあ…などと先ずは煙草に火を着け…ってまた煙草吸っちまったよ…。こんな小雨に煙る谷戸の午後は俗世間から隔離されてしまったように静かだ。時に静か過ぎて精神の平静を失いそうになる時さえある。ん~、取り合えずキングコングのDVDでも観ちゃおうかなあ…あ、今日は三丁目の夕日の発売日だねえ。ネット上だと25%引きだけど送料入れると安くないし、○○○でなら1,000円引きくらいで買えるかもしれないねえ。どこが一番安いかなあ…あ、そんなこと考えてないで、仕事しないとね。うーむ、山田模型の赤いプロペラっていくつも余ってジャンク箱に在った筈なんだけどなあ。この三和Mタンクシリーズ、FV603サラセン装甲兵員輸送車の銃塔だけが、今でも残ってるんだよねえ。あっ、車輪もひとつ残ってた! でも、これからサラセンを復活させるのは無理だよなあ(トカゲかっ!いちから作れ、いちから)…そんな不毛な時間が今日もまた流れ続けて行くのであった…。よろしくねっ!

投稿者 平野克巳 : 2006年06月09日 15:54 | トラックバック

2006年06月06日

「がきデカ」なプラモライフ




 真っ当な半生は送って来なかった。良く言えば波乱万丈であり、悪く言えば支離滅裂であった。そしてここまで辿って来た私の記憶の中のプラモデルも、そんな半生を反映しているような気がしている。時にアナーキーであり時にマイノリティーであり、またある時にアッチョンブリケである。それでよかったのかオレ、どーなのオレ、である…。

スーパーマリン・スピットファイアMk-1(レベル1/32)
別にキット自体は悪いキットではない。ただ余りにも固執する私がどーなの、と云う話である。レベル1/72B-17同様、ボックスアートにシビれた。のちに映画「空軍大戦略」(なぜにここまでダサい邦題なのだ…)で、そのビジュアル版を見せつけられて、なおさらこの箱絵には魅せられた。キット自体も勿論素晴らしいものだった。あれほどに芸術的な表面モールドのキットが他にあったろうか(あるかもしれないが、私はコレがNo.1と信じて疑わぬ) しかし世の趨勢はハセガワ1/32のほうが評価が高いのだろう。それでも私にはレベルのスピットなのだ。あの戦闘機とは思えぬような古典的な優雅さにも関わらず、常にオイルで汚れた機首や腹のみすぼらしさ。一国の存亡を預かる荒鷲とも思えぬ貧弱で短足な主脚。P-51のスマート感、Bf-109のマッスル感、零戦の悲愴感とも違う、いかにも英国らしく古めかしい、それでいて実は革新思想なのに、頑固なジョンブル魂の権化のようなスピットは、ハセガワではなくレベルでなくてはならぬ(ハセガワさん、どうもすみません…) パーツはあちこち歪んでいるし、プロポーションだって問題ないとは言えぬ。それでも私はことスピットに関してはレベル1/32に固執し続けている。しまいには「だってさあ、ハセガワのってストレスなく作れちゃうぢゃん。やっぱりガシガシ削ってごてごてパテ盛らないとサンニイって気しないぢゃーん」などとホザいてしまう…。たぶんタミヤが1/32で素晴らしいマーク1をキット化する事があったとしても、やっぱレベルだよなあ~などと「呆言」してしまう私が居るのだろう。アフリカ象が好きっ!…。

トヨタ2000GT(イマイ1/16)
国産車の至宝たるトヨタ2000GTは古今東西、様々なキットが存在するが、私の最も好きなキットはイマイ(のちバンダイ)1/16である。直接のライバルとしてはオオタキ1/16があり、こちらの方がキット内容はデラックスで凝った造りとなっていた。イマイのほうはオオタキと比較すれば単に大きいだけのようなキットなのだが、ガッシリとしたボディの佇まいやボディフォルムが良い雰囲気である事からこちらの方が気に入っている。最大の欠点は丸くふくらんだルーフ形状で、それ以外はオオタキよりイマイの方に軍配が上がると私は思っている。まあ前後期モデル、スケールを問わなければ、グンゼ1/20、ナガノ1/20、ニチモ1/24、ハセガワ1/24と、より優れたキットはいくつもある。それでも今だに古いイマイ1/16に惹かれるのだ。何よりも完成した時の姿が良い。これに似た感覚は他にもあって、例えばタミヤ1/12ポルシェ910は今でもそこはかとなく好きだ。タミヤの1/12ビッグスケールシリーズとしては、より先に挙げるべきキットは多い。例えばローラT70 Mk-3はこのシリーズ初期の究極であり、精密な再現性やプラモデルとしての完成度は及ばない。大型キットを組み上げる楽しさと云う点ではフェアレディZにはかなうまい。それでも完成後の姿に厳然たる説得力があると云うのか、実にいー感じの雰囲気なのである。イマイ1/16のトヨタ2000GTもこの点において、私の中では今も色褪せないと云うか永遠となっている。八丈島のきょんっ!

マートラMS11(イマイ1/12)
これまたタミヤとバッティングした1/12大型精密モデルである。イマイの1/12スケール最期の作品であり、ごく短期間に少数しか出回らなかったらしく現存数の余り多くないキットである。'68年から本格的にF-1に参戦したマートラはオール自社製のマートラ・フランス(マートラ・スポーツ)とコスワースDFVを用いたマートラ・インターナショナル(ティレル・ティーム)とティームを二本立てとしたが、当然注目されたのはオール・フランスのマートラ・フランスであった。実際にはティレルのマートラのほうが好成績を残したのだが、当時模型化されたのはやはり純フランス製マシーンのMS11だった。タミヤのモデルはより実戦仕様となっていたが、イマイのモデルは初登場時の仕様をそのままモデル化してしまったので、格好は良いのだがそのままではどのグランプリ出場車にもならない。一応デカールは車番17のオランダGPであるが、次々とモデファイされてしまったマートラの場合、このデカールは大改造でもしない限り使えない。マートラ自社製V12エンジンはなかなかに圧巻で、タミヤに迫る精密さであるのだが、マウント位置が高過ぎてそのまま組むとひどくバランスを崩してしまう。こうした全体のバランスではやはりタミヤにはかなわない。だが飛行機でもプロトタイプが大好きな私の場合、マートラF-1は現場で段々と収拾のつかないような不様な格好になっていってしまった実戦マシーンよりも、先走ってしまったが故に発表時のマシーンをモデル化してしまったイマイのキットに心惹かれるのである。確かにフランスらしいシンプルな美しさはあるのだが、いかんせん実戦マシーンでないって云うのは…それに、それが敢えて好きだと云う私の嗜好も如何なものかと。死刑っ!

投稿者 平野克巳 : 2006年06月06日 18:00 | トラックバック

2006年06月02日

「できんボーイ」なプラモライフ


model cars Legend(創刊10周年記念号/'97年発行)より


 思い起こせば、これまでの人生、色んなプラモデルを作った。作っては壊し、壊しては買った。あとになって振り返ると、のちのちまで名作と謳われるような凄いキットや何でそんなモノをと云うような「とほほ」なキットや、とにかく種々取り混ぜて買っては作った。一体いくつのプラモデルを作ったのだろう。ただ、ひとつ言える事は、意外と数十年も前の記憶が、今も擦り込まれてこだわりになっていたりする事だ。時には訳が分からなかったり理不尽だったり不条理だったりもする。だがそんなこだわりが捨てられない。雀百まで喇叭を放しませんでした、である(その比喩は間違っているな…) そんなあほんだらではあるが今も固く信じて疑わない「少年の日の記憶」を回想してみると…。

ボーイングB-17Fフライングフォートレス(レベル1/72)
以前にこのブログでも触れたが、なにしろボックスアートにシビれた。まるでカーキのような色調で機体が塗られているのだが、説得力充分なので間違っているなどとは微塵も感じなかった。私は今でもレベルのB-17を作るならオリーブドラブではなくこの茶色のようなカーキで仕上げたいと思っている。最初に作った際もボックスアートを参考にしたので茶系の調色をして塗った。当時のマルサンカラーではそのものズバリの特色など存在していなかったし、未だピラーカラーも知らなかったので、茶色から調合してカーキっぽい色を作ったと記憶している。勿論筆塗りであった。レベル1/72のB-17は全身これ「おろしがね」のごとき無数の凸モールドリベットに覆われていたり、機首やカウリングの形状などの不自然さが気になるモデルなのだが、今に至ってもB-17のモデルとしては最も好きなモデルである。E型やG型でなくF型と云うところも良い。E型ほど古臭くなくG型のように無骨でない。あくまでも個人的な意見でしかないが顎に銃座を備えているのは気品に欠ける。キットはかの有名なメンフィスベルだが、頭上の敵機(グレゴリー・ペックの映画版もTV版のどちらも)の大ファンであった私は、サベージ准将の愛機を連想して作った思い出がある。のちに雑誌ボーイズライフのカラー塗装図で機体はオリーブドラブにダークグリーンの斑点迷彩と知った時には目眩がした。あのボックスアートが擦り込まれてしまっている私には、迷彩なぞ「なんとも野暮ったく」感じて致し方なかったのだ。だから今でもレベル1/72のB-17Fは機体上面はカーキ単色と心に決めている。

アストンマーチンDB5(イマイ1/24)
ご多聞に漏れず当時の少年たちはこぞって007(ゼロゼロセブンである。ダブルオーセブンなどとは誰も呼ばなかった)ジェームズ・ボンドにシビれた。尤も映画は贅沢な娯楽であったから、東京で封切られるロードショー(にぎにぎしい正月興業だったように記憶している)などには滅多に行けない。雑誌や模型でのみ触れられる世界ではあった。たいがいの少年たちはMGCの1/1モデルガン、ワルサーPPKやアタッシュケースが欲しかったものだが、劇中車のアストンマーティンDB5までは興味がいかなかった。なにしろ雲の上のような遠い存在でしかなかったのだから。それでも今井科学がプラキットを出したので、それによってDB5のファンになった少年は多い。私は学校のバザーでなにげなくこのキットを買った。他に買うべきものが無かったから、その程度の理由であった。だが、キットはべらぼうに面白かった。劇中車のギミックが再現されていて、あたかも自分が007になったかのような疑似体験が味わえたからである。ライセンスプレートがクルクルと回転して3種のナンバーが偽装出来る。ただステッカーがプレートのベースよりひと回り大きくて、回すと引っ掛かって剥がれてしまうのだったが。前後バンパーのカツオブシとホイールのスピナーハブが飛び出し(つーか、引き出すのであるが)、後部防弾版もせり上がる。極め付けは助手席がルーフを突き破って(ルーフパネルが開く)スプリングで飛び出すギミックが再現されていた事だ。当時のこととてオーロラのキットなど知らなかったから、イマイは何て凄いキットを開発したのだろうと驚嘆したものだった。このキットひとつで劇中の興奮が全て味わえた。今では「とてつもなく」プレミアがついてしまい、とてもでないが入手出来るようなキットではなくなってしまったが、今一度作ってみたいキットのひとつではある。

ロータス33クライマックス(コグレ1/12)
精密モデルだと思った。ただ子供心にもあのロードローラーのごとき巨大なタイヤは違うんじゃないかとは感じたが…。実車のようにバスタブ型のモノコックとボディカウリングの上部とエンジン部が取り外せるのに感動した。メーターの裏側にはリード線を用いて配線を再現した。固定するのには油粘土を用いて(とほほ…)。ステアリングホイールをハンブロールの赤で塗装した。菓子の空き箱を伏せて埃よけにして乾燥に二日半待った。もういいだろうと触ったらグニャリとした感触があって皺になった…ハンブロールは乾かない。その時以来、そう信じて疑わない。後年、焼津のワラシナカーズでこのキットと再会した。とてもとても欲しかったが、手の出るような価格ではなく涙を飲んだ。数年前に「古典キット倶楽部」で作った完成品も、現在では行方が分からなくなっている。どうもこのキットには縁が薄いらしい。

投稿者 平野克巳 : 2006年06月02日 20:56 | トラックバック

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