« 2006年06月 | トップ | 2006年08月 »
2006年07月28日
湘南の夏、日本の夏、おかわり
![]()
雨上がりの陽射しの中にようやく夏の匂いが感じ取れるようになった。この歳になっても未だ私は夏の来るのが待ち遠しい。山の稜線や水平線に沸き立つ積乱雲を見るだけで心が逸る。もはや別にしなくてはならないことがある訳でもないのに。だが待ちわびていた夏の訪れを告げるものたちとの出逢いはことの外嬉しい。ヒグラシに続いてアブラゼミが鳴き出したのを聞いて真夏の到来を実感する。目の前をオニヤンマが飛び抜けて、トウモロコシ畑の向こうに入道雲の沸き立つ光景を空想してしまう。金と黒の縞模様、そしてメタリックブルーの尻尾が美しいニホントカゲの幼体を庭先で今年初めて見た。昔ならふん捕まえて尻尾を切って遊んでしまうところだが、今ではもうそんなことはしない。「お前、きれいやねえ…」などと呟きながら、そっと静かに見送ってやる。子供の頃は「かまんちょろ」と呼んでいたことを思い出す。恐らく千葉県地方の方言だと思うが、他府県で何と呼ばれていたのかは知らない。
葉山まで用向きがあった帰り道、夏の匂いに誘われて海岸通りへと足が向かった。夏休みが始まったとはいえ未だ平日は人もクルマも疎らで心地良い。鎌倉、逗子、葉山はこんなまったり感が良く似合う。ただ昨今、葉山森戸の近辺も微妙に街の景観が近代化しつつある。あの昭和40年代のような街並みが何とも魅力的であったのだが、時代の移ろいと共にそれも確実に失われつつあるようだ。最近ではビーサンとビーチボール、浮き輪のげんべい商店の店先がむしろ違和感を発し始めているきらいさえある。佳き湘南の風景は確実に死滅しつつあるようだ。
そんな湘南の風景を走り抜ける私の普段のアシは古いカブ。元をただせば庭に1年以上も放置されていた倅のもので、屑鉄直前に私が拾い上げてタイヤ、ブレーキ、オイルを新品に交換し、キャブをこじったら、それ以来、屑鉄からバイクに昇格し、トラブルフリーで走っている。以前事故ったことがあるらしく、フロント回りが交換されてグリーンメタリックなのだが、車体はグレーメタリックと云う前後にツートーンなお洒落(?)なカブである。バイク屋で車体番号から調べて貰ったところ'87年式らしいのだが、色々混然となっているので詳細は不明だ。ただ3速なので直ぐに頭打ちになってしまうエンジン特性からして絶望的に遅く、最近のかっとび原チャリスクーターの敵ではない。残念ながら…。その3速のカブでブイイ~ンと気持良く逗子の134号線添いを走る。夏に走れるのは嬉しい。大抵は渋滞で走るよりすり抜けることしか出来なくなるのだ。この季節ともなれば。
渚橋から浪子不動尊辺りまでの逗子海水浴場の浜には「鄙びた日本の夏」の風景を今も見ることが出来る。海の家はさすがに一寸ばかり小洒落てしまったが、丸太、ベニア板、波トタンが今も健在である。決して上手くはないペンキの刷毛塗りでラーメンだの焼そばの文字が書き殴られている。全く雑誌グラビアなどとは世界も次元も違うビキニ姿が闊歩し、風に乗って陽焼け止めオイルと焼きイカの混ざった匂いが流れ来る。嗚呼、夏やねえ。湘南の夏やねえ。もう自分には縁遠くなってしまった夏の海の風景。ずっとずっと遥かな昔、ラジカセを抱えて(ラッパーか!)、身長170cmで超ビキニの彼女と過ごした長者が崎、浮き輪で繋がった我が子たちアヒル艦隊を率いて遊んだ由比が浜、脳裏に懐かしい光景が浮かぶ。そんな夏はもう二度とはやって来ないけれど、それでも湘南の夏が今も大好きだ。あの嬌声溢れる楽しげな海岸の風景の中に自分もこそっと混ざりたいな、などと密かに思ったりもするが、もはや「無い物ねだり」をするような歳ではなし。今一度、サンオイルと焼きイカの匂いを胸一杯に吸い込んでグッとスロットルを開く(って既にフルスロットルぢゃん…)
海岸を抜け、江ノ電の踏切を渡り、長谷寺、大仏を横目に走り抜け、山に向かって分け入れば自宅である。海岸ぺりとは別世界のような谷戸の情景が拡がっている。夕暮れともなればヒグラシの合唱が山あいに木霊して、独りきりで居ることの切なさ、寂しさも募る。嗚呼、人生における魔の時。ふとこんな時には心の隙き間に何かがうっそりと忍び込んで来るのだ。にゃおにゃおにゃお…ああ、分かったよ。このペットボトルのキャップが欲しいんだね。飲み干したら今やるから…忍び込んで来たのは黒猫の海ちゃんだった…風ちゃんは? ああ、暑くて腹出し、大の字で寝てるのね…じゃジェムは? 定位置のテレビの上だね。じゃキャルは? あ、相変わらず窓辺からアンニュイな眼差しでこっち見てるのね。海で戯れることもない暑い海辺の夏は、猫と共にぐったりと午睡を貪るに限るんだねえ…仕事しろよ…。
投稿者 平野克巳 : 2006年07月28日 19:10 | トラックバック
2006年07月25日
猫な人々
![]()
私の周辺には余りに猫が好きで好きで、遂には自らも猫になってしまったと云う人が居ります。それはお前のことではないのか? との仰せでございますか? …いえ、そうではございません。なれるものならなってみたいものではございますがそうは参りません。そこで色々と疑似体験やらに精を出す訳でございますね。などと云う要領得ない前振りをしたところで、猫な日々とは如何なるものかのお話である。私は映画青年であった。決して文学青年ではなかったが、映画は死ぬほど観た。にも関わらず近年は劇場に通うことも滅多にない。最近では“ALLWAYS三丁目の夕日”と“明日の記憶”を観た程度である。レンタルで観る機会も激減し、かと云ってDVDも高いのでそうは買わない。おいおい、資料庫の奥に残っている古いVHSなど引っぱり出しては観たりしている。既に数100本ばかりも捨てたので、幾らも残ってはいないのだが、今でも大事にしている1本を久し振りに観た。それはキャット・ピープル、1981年に制作された'42年版のリメイク、ロマンティック・ホラーである。猫族と云う人間以外の半人半獣モンスターの悲恋物語なのだが、主演のナスターシア・キンスキー(あの怪優クラウス・キンスキーの娘である!)が優雅さと獰猛さを併せ持った猫族の女を好演している。大体からしてナスターシア・キンスキーは私が若い頃にぞっこんだった女優である。決してモデル体形などではなく、適度に足の太いところもたまらない。これにマルコム・マクダウェル(時計じかけのオレンジの怪演が有名)などアクの強い俳優が絡む。そして何よりも全編に亘って流れるテーマがエキゾティックでミステリアスなムードを盛り上げる。ハミングで歌うのはデビッド・ボウイ…これがまたたまらない。音楽がジョルジォ・モロダーなのもイイ。地味な作品ではあったが、私には忘れられない作品のひとつなのである。そんな訳で思い立って観るキャット・ピープルである。数年振りであろうか。ううーむ、アップになった黒豹の瞳は何とも美しい。ビロードのような全身を包む漆黒の体毛。美しい。なんて美しい生き物なんだ。おお、私の目と鼻の先にもキャット・ピープルが! 劇中の黒豹よりはちょっと小振りだけど…あの 真っ黒な毛並み、あのトパーズのような黄色く輝く瞳。それは優雅な野生の…大股開きで長く伸びちゃってるね…欠伸しちゃってるし…。そうだね。ここに居るのは正真正銘のネコだね…。
猫な人々は猫を見た瞬間に激変してしまうのが特徴である。それまでどれだけ厳格な姿勢で居たとしても、いきなり声のトーンが数オクターブ上がり、なりふり構わずしゃがみ込んでしまうのが常である。相好を崩すなどと云う表現では足りないほどに顔の筋肉は弛緩してしまい、でれでれになってしまう。しかし当事者たる猫のほうは「なんやねん」みたいな真面目くさった顔をしているから、傍目で見ている分にはやたらと可笑しい。だが、そんな他人の目なぞ気にもくれず、なりふり構わずラブコールしてしまうのが猫な人々である。私の友人、知人にはそうした猫な人々が多い。別に意識して愛猫家を募った訳ではなく、たまたま知り合った人々に猫好きが多かったと云うに過ぎない。なので齢50を過ぎて骨密度は次第に低くなっているようであるのだが、猫密度のほうは結構高くて意気軒高なのである…。ところでお向かいで生まれたメグちゃんと云う猫がある時から行方不明となった。雑種だがラグドールの可愛い猫であった。そのメグちゃんにひょんなところで巡り会った。クルマで5分ばかりの八百屋の店頭に居たのだ。果物や野菜の合間にちょこなんと座って、しっかり溶け込んでいる。まさしくその八百屋の招き猫と化して新たな猫生を過ごしているらしい。それからと云うもの、その八百屋の店先を通る度に、今日もメグちゃんは居るかしら、と期待してしまう。ある時はきっちりとお座りをして、またある時は三越のライオン像のように伏せをして、はたまたある時はせっせと顔を洗いながら、八百屋の看板猫を勤めているようだ。許されるものなら脱兎のごとくに駆け寄って「ひゃあ~メグちゃあああ~んっっ」と頬ずりのひとつもしてしまいたいところだが、もはやメグちゃんの名は捨てた身であろうし、第一、メグちゃん自身が私を覚えているとも思えない。もはや叶わぬ激情を抱えつつ、八百屋の前を通る都度「あっ、メグちゃん居たあ。かっ、かわいい~っっ!」と悶え叫んでいる私ではあった。猫族であるが故に悲恋に身を窶し、人より獣で居ることを選んだキャット・ピープルと、猫好きであるが故に猫バカに身を落とし、人でなしと蔑まれることを選んだキャット・ピープル。どちらもなんて猫な人々であることか…どーもすいません…。
投稿者 平野克巳 : 2006年07月25日 18:18 | トラックバック
2006年07月21日
湘南の夏、日本の夏、やっぱ謹聴の夏やろう…
![]()
全国的に梅雨と言うには余りに深刻な被害を伴う豪雨が続いている。ようやく雨があがっても、空は鉛色に低く垂れ込めて、夏間近とはとても思えぬ肌寒さだ。海岸べりは既に真夏本番準備も万端、海の家も営業を開始しているが、この涼しいを通り越した天候不良に人気も疎ら、ビーチパラソルとビーチチェアが寂しい風景を作り出している。海岸線の134号もクルマの姿は疎らで、ここが真夏になると絶望的な渋滞を引き起こす場所とは想像もつかない景観である。地元の住人としては嬉しい限り、ついつい用もないのに逗子、葉山、横須賀、三崎と足を伸ばしてしまったりもする。そんな中、なんとはなしに「げんべい商店」に立ち寄ってみたりする。げんべい商店とはビーチサンダルで有名な湘南の老舗である。店鋪の壁一面にぎっしり積み上げられた色とりどりのビーチサンダルは相変わらずだが、実を言って私はげんべいのビーサンを履いたことがない。もはや海水浴に行くこともなくサーファーでもない私としては、恐らくげんべいのビーサンを履くことはこれからもないだろう。だが人間の出来心と云うものは恐ろしい。つい「げんべい」のTシャツを買ってしまった。これは湘南エリア限定で密かなブームとなったアイテムで、Tシャツにげんべいを表わす◯げがプリントされたもの。◯げと云うロゴのダサさがウケて、葉山のセレブな若奥様たちご用達の隠れた逸品となっている。昨今は妙なもの、変なものが市民権を得て、Tシャツの模様や柄で「変な度」の覇を競っている感さえあるが、◯げは奇を衒った訳でもなくウイットに富んでいる訳でもない。ただひたすらダサい(げんべい商店並びにその支持者の皆様ごめんなさい…)のである。だが、それが地元でなら、ダサいならダサいなりにその意味が通じるので安心感がある。ああ、あそこのTシャツや、湘南を葉山を愛している人、もしくはその住人や、と云うIDのようなものなのである。だから日常的に安心して着て歩く。しかし、それはあくまでも地域限定であって、◯げTシャツで青山や渋谷を歩きたいとは思わない。多分、そぐわないであろうし、他所で見てもカッコイイとは思われないし、第一、湘南人のプライド(笑…)がそれを許さない…(ん~そんな理屈があるのだろうか…)
そんな訳で◯げTシャツにジーンズ、素足にサンダル(既に記したようにげんべいのビーサンではない)が私の普段の装いである。一寸前までは冬でもサンダル履きであったくらい私は靴や靴下が嫌いだ。靴下は仕方なく履いているようなもので、自宅に戻った瞬間には脱いでしまい、それは真冬でも変わらない。人様の家に伺う際は失礼なので靴下を履いているが、実を言って靴下を履いている間は気分的にはリラックス出来ない。肉球は常に直接床に触れていないと駄目なのである(肉球も水虫もないので念の為…) 小さなバイクやスクーターならそんな格好で乗ってしまう。あ、勿論ヘルメットは着用している。当然SGマーク、SNELL安全基準適合のものだ。本当なら'60年代のビンティージものにしたいところだが、これだけは安全に厳格でなければならないので、最新のモデルを使用する。だがあくまでジェットタイプである。フルフェイスの安全性は分かっているが、ベルスター以降被ったことがない。で、改めて繰り返すが足元は素足にサンダルである…とても元ナナハンライダーとは思えない…。
話を元へ戻そう。こんな天気の日は海岸の134号のみならず、どこへ行っても人もクルマも少なくてのんびりしている。やはり静かな鎌倉、ゆったりとした湘南は良い。陽が傾く頃にはヒグラシの合唱が山あいから溢れ、色を失ったシルエットとなって江ノ島の灯台がひっそりと立ち竦む。これで爆音ばかりで何時までも遠離らない「ぱりららぱりらら」(今どきそんなヤツはおらんやろ~)軍団がわいて出て来なければ湘南の夕べは実に平和で優雅である。昨今は地域限定の「ぽこぽこへっど」軍団と称するホンダCB、CL、CD部隊も出没するやに聞くが、それは山吹色の平和維持軍なので、彼らによって湘南の平穏が撹乱されることはないようだ。そして早いもので陽が落ちるとどこからか「どん! どん!」と花火の音が響いて来る。今では湘南近辺だけで10箇所ほどの花火大会があって、夏の風物詩となっている。しかし、こんな寒空の梅雨時では何だか花火もぱっとしない。私のところでは数カ所の花火大会の音が聞こえる(聞こえるだけで見られない…とほほほ)が、流石にこんな天候では気も逸らない。花火の音を遠く聞きながら、蚊取り線香の香りと盆提灯の灯りに包まれて、心穏やかに湘南の夏を過ごす。いいやね、日本の夏やね。遅い午後に三崎産のトウモロコシをぐぁしぐぁし喰い過ぎたので、冷茶茶漬けなんかで夕食を過ごし…どああ~バイクだクルマだ作らにゃなんねえモノが山積してるぢゃねーかあーっっ。優雅に涼んでる場合ぢゃねーぞーっ。どーすんだよー。どーすんのー、オレええっ!(またもやオチはこれかい…)
投稿者 平野克巳 : 2006年07月21日 20:22 | トラックバック
2006年07月18日
祭りだわっしょい
![]()
町のあちらこちらで紙垂(しで)のさがった注連縄を目にするようになった。「この辺も祭りだなや…」とある港町で鮪の赤身を頬張りながら、かっぱらけ大王がそう呟く。その昔は今時分になると全国津々浦々、村の鎮守のお祭りでにぎわったものである。僅かな小遣い銭を握り締めては、茜色から藍色へと暮れ泥む鎮守の森を目指して走った。やがて大人となってからも、子供が町内の御輿や山車に参加したりして地域の祭りには何かしら関係した。だが、子供たちも巣立って今はもうそれもない。夏の夕闇に遠く流れ渡るお囃子の音に耳を澄ますばかりだ。新聞紙の切れ端に載せられた焼そばのソースの匂い、高くて買えなかった地球ゴマ、茶封筒の中でがさごそ音を立てている真っ白な南京ネズミ、懐かしい夏祭りと縁日の想い出が甦る。今のかっぱらけ大王には町内の寄付を募られるのみで、祭りとは何も接点のない寂しさばかりが身に染みた。
平塚の七夕祭りも壮大な縁日が出ることで有名だ。一家で運営する素朴なお化け屋敷や決して噛み切れない牛串焼き、そして何年前からそのままなのだろうかと思わせる、色の褪せた箱のプラモデルやエアガンが商品の当てくじ、そうした怪しげな世界を覗いて回るだけでも楽しい。だがこの数年、平塚の七夕祭りにも行かなくなった。夕闇迫る山あいでヒグラシの声を聞きながら、寂しいことよ、などと独りしんみりしていると、懐かしい友からメールが届いた。小学校の同級生、しかも高層住宅(高層とは言っても昔のこととて5階建てだ)の5Fと4Fに住むご近所同士だったチ嬢(嬢とは言え私とは同年齢である…)からであった。明日から稲毛の浅間神社のお祭り、と近況報告の替わりに、懐かしい歳時報告が…するとたちまちあの頃へと戻り、二人で浅間神社の祭礼に(実際にはそんな事実はなかった…) ポニーテールに浴衣姿のチ嬢も私も中学1年くらいなのか。クラスの誰かに見られたらヤバいよ~などと一寸ドキドキ。「あの頃、ひらのくんとわたし、噂になってたんだよ。知らなかった?」…え? 知らなかったなあ…チ嬢はワタアメとラムネでもう縁日を堪能してしまい、境内の隅っこで線香花火を始める…紅い花火に照らされてチ嬢の頬も仄かに染まる。「ほんとはね、恥ずかしくて顔が赤らんでたんだ」 互いに盗み見る横顔は、大人になっても変わらぬままの優しさに充ちていた。一陣の風は夏の夜の悪戯、はだけた浴衣の裾からちらと見える白い内腿に心がざわめく…あ、すっかり妄想に取り付かれておりますた。真夏の夜の夢、遠い日の郷愁でありますた。互いに少年と少女だったのももはや遠い昔の話、恐ろしいことに40年も昔のことである。ふとそんな夏祭りの情景を空想してみる「おやぢな」私ではあった。
ところで我々人間一族には神聖な注連縄も、妖怪一族たるかっぱらけ大王にとっては結界であるらしい。白い紙垂が見える度「よぶくぼ~っっ」と悶絶、七転八倒し、ここから先は越すに越されぬ♪やだねったらやだね、の連続である。夏祭りの季節は妖怪一族には辛く鬱陶しいことである。「おんばさら~おんけんそわか~」 今日も今日とてかっぱらけ大王は自宅裏の甲羅沼で、じっと夏祭りの季節をやり過ごしている。ちなみに地元では昔からこの沼は「おいてけ沼」の別名で有名だ。プラモデルを抱えてこの沼の縁を通ると、沼の中から「おいてけ~おいてけ~」と無気味な声が聞こえ、恐くなってプラモデルを置いていくと、数週間後に完成品となって自宅に届けられるのだそうだ。あくまでも地元の古い言い伝えであるから信憑性のほどとなると甚だ怪しいが、私もダメモトで一度試してみようかと思っている今日この頃…。更にちなみに、かっぱらけ大王自宅裏手の甲羅沼には未だ昭和20年春に墜落した二式大艇の残骸がそのまま放置プレー状態の花と蛇。そして彼が今でも薪を割るのに使っているのは、その二式大艇から引き揚げられた軍刀なのだそうだ。凄い、凄過ぎるぞ、河童天国っ!
おやぢたちの夏祭り。それはもう遠い日の甘美な追憶でしかないのか。ついこだわる余り、30幾歳まで毎年、ゴジラのハッカパイプを買った。中学時代に浴びるほど飲んだにも関わらず、やはりつい飲みたくなってしまうラムネ。浴衣の胸元から微かに零れる汗と石鹸の匂い。白い指先であてどなく揺れる赤い水風船。全ては屋台の灯りに誘われて一夜限りのアバンチュール。なんてことは若い頃からまるでなく、夏祭りとは喰うもの喰って、買うもの買って、門限も気にせず夜の人ごみの中で遊ぶだけ遊んで…ただそれだけである。そんな想い出ばかりを引き摺って、かっぱらけ大王もワタシねこちゃん大玉も、今日も今日とて祭り囃子をBGMに「うーむ、夜になると更にピンバイスの穴なんて見えねーよなーっ。この眼鏡ももう度が合わねーしよ~」などと独り呟いている。あ~、だから横からぺしぺししないでくんねーか~海ちゃんっっ!!
投稿者 平野克巳 : 2006年07月18日 16:19 | トラックバック
2006年07月14日
となりの芝生
![]()
更新した新しい免許証…ではないので念の為…。
♪金も要らなきゃ女も要らぬ~あたしゃも少し背が欲しい~…確かにも少し背は欲しかったな…あたしゃ176cmである。昭和28年生まれとしては決して背が低いほうではないのだが、やはり理想を言えば180cmまで欲しかったところだ。しかしまあ、身長よりは座高と股下の比率の問題であるな…。あ、いや、そんなことが話題なのではなく…。クルマも要らなきゃバイクも要らぬ~あたしゃゴールド免許欲しい~…7月1日が誕生日であった私は先日、5年振りに運転免許証の更新をした。それまではゴールド免許であったのだが、今回更新した免許証は一般の青帯免許である。と云うのも前回の免許更新中に駐禁で切符を切られてしまったからだ。つまり満5年と云うもの無事故無違反の優良ドライバーであるにも関わらず、手続上は違反前歴ありと云う訳である。この次の更新まで入れると通算10年無事故無違反でもゴールド免許対象者ではない訳で、なんだか間尺に合わない気がしてならぬ。別にゴールドだからってどーってこともないんですけどね…更新時の講習が所轄警察署内の30分ビデオを観るだけで済む、くらいしか特典はないし…。
中型免許と云う区分も新設されるそうだが、それは正しいと思う。私はその昔、トラックドライバーであったのだが、私が主に乗っていたのは2.7tのワイドボディ、長尺であった。これは通常の2t車に較べるとべらぼうにデカい。しかし普通免許では4t半も許されていた訳だ。4t半は「普通免許で乗ったら駄目でしょう」と云うくらいデカい。普通と大型の間に中型が新設されるのは結構なことである。
現在では自動二輪で自動車専用道を二人乗りできるようになった。しかし、これはどうなのと思う。ただでさえ身体が剥き出しで無防備な二輪の場合、僅かなバランスの崩れや一寸した接触でも転倒などの大事故へとつながってしまいがちである。時速80km/hで道路に叩き付けられた時の衝撃を想像するだけで怖気が震う。確かに二人乗りが出来れば便利ではあろうが、何かあった時のことを思うと、手放しで「いーねっ!」とは言えそうにない。タンデムライダーは身を守る術がない。私はカブ90に乗れれば排気量無制限で自動二輪に乗ることが許された世代であるが、今でも後部座席に誰かを乗せることには抵抗がある。それほど二人乗りは危険との思いが擦り込まれているのだろう。そう云えば、その昔、仕事で女の子を乗せて原宿駅前を走ったことがある。そうした仕事では大抵の場合、ライダーはもちろんだが、うしろに乗る女の子も経験者が選ばれるものなのだが、その時の製作会社のスタッフはそこまで思いを馳せなかったらしい。当日になって「バイクに乗ったことがない」と言う。実際、ヒラリヒラリと車体を傾ける度に、恐怖感から体重を逆に寄せるのでとても操縦し難かった。それどころかうっかりすると転倒の危険性さえある。幸い、その時乗っていたのが無類の安定性と操縦性を誇ったホンダCB500フォアであって助かった。マッハ3だったら事故ってるぞ…。
バイクと言えば最近、私の身の回りでは'60~'70年代ホンダ・バーチカルツインが密かなブームとなっている。CB250、CL250、CD250(!)と、何かと黒くてメッキタンクばかりが集まりだしているのだ。もちろん(…なのか??)実際の排気量は325ccだったりする「お定まり」の非合法脱法組織に加担するメンバーでもある。「平野さ~ん、DTは諦めてSL350に宗旨替えきぼんぬ~。軽二輪登録してあげますから~ん」などの悪魔の囁きも漏れ伝わって来る…(以上、登録に関する話題は全て妄想であって事実ではないので念の為…) CD250は車体を山吹色に塗り替えて、わざわざOGKの「おっさんヘルメット」を購入、作業服で乗るなど、なかなかエンスーな者たちである…(コスプレマニアなのか
??…) だがしかし…やはりあの時代のホンダ直立ツインの♪ぽこぽこぽこと乾いた音質のエグゾーストノートがどうしても…♪いつまで経っても嫌なわたしねえ~なのである。理想を追い求め続けて現実を失うより、理想ではなくとも現実と折り合いをつけるほうが楽しくないすか?…とシゲタ博士には意見されているワタシではあるのだが、この歳になると「理想でないところで手打ちするつもりはない」のである。妥協したくないのだ。頑ななのだ。頑固なのだ。一途なのだ。アルツなのだ。脳軟化なのだ。どーだっ! ふむっ!(それ、駄目だろーが…) 何れにしてもとなりの奥さんは艶っぽい。お向かいの猫は可愛い。人の家の花は良く咲く。友達のクルマは程度が良い。それでもホンダのバイクには惹かれないワタシ…「それはとても健全なことなのですっ!」(F嶋親方、浜松よりのエール)…まあ、基本的にはみーんな、勝手にすれば良いんですけどねえ(笑)…それ言ったら元も子もねーか…。
投稿者 平野克巳 : 2006年07月14日 15:52 | トラックバック
2006年07月10日
50の手習い(?)禁酒禁煙やってます
![]()
某パーティーからの流れで久し振りの友人と、恵比寿のとあるスタンドパブで半パイントのギネス黒ビールを飲んだ。半パイントの訳は、既にその前のパーティーで振る舞いビールをたらふく飲んでいたからである。週末の書き入れ時のせいか余り冷えておらず、一瞬むっとはしたものの、懐かしい友人の顔を眼前にしてそんな些末なことは忘れてしまった。
夜のイルミネーション瞬くマカオの海岸通りのレストランで、ライムの切片を入れて飲んだコロナビールの味は忘れられない。日本でもコロナビールとライムを買って再現してみたがまるで旨くない。やはり味覚と云うものにはその場のムードが大きく影響を及ぼしているのだろう。第一コロナってどっちかっちゃー不味いビールだもんねえ…。
買い出しに行くスーパーで時たま辛抱たまらず湘南ビールを1,2本買ってしまうことがある。地ビールなだけに価格は一寸高めだ。でも未だに旨いのかそうでもないのか良く判らない自分の味覚が情けない。
私はビールが好きだ。だが実はもう10数年も前に酒はやめている。元々晩酌はしない。そして若い頃より僻地に住まわっているので、仕事が終わったら一寸一杯と云う習慣もなかった。帰りが山越えになってしまうので地元で飲みたいとも思わない。だから酒を絶つのは雑作もないことだった。今では古い仕事関係の友人と逢う時だけ、禁酒を一時的にやめることにしている。それでも痛飲はしない。ビールは飲むほどに旨くはなくなっていく。だから酒飲みは他の酒類へと流れていくのが普通だが、私は最期までビールで済ます。当然、それほどの量は飲めない訳だ。まあ身体の為には結構なことである。
私はかつて浴びるほどに酒を飲んだ。元々その道の仕事をしていたこともあって、ほぼ毎日朝まで飲んでいた。元来スコッチは余り好きではなく、むしろバーボンを好んだ。20~30代頃はもっぱらバーボンであった(バカボンではない) 日本酒では伯父と1時間で1升5合を飲みぶっ倒れたことがあるが、燗の匂いがある日突然に気持悪くなって以来、全く飲めなくなった。後年、夏になると涼しげな瓶に誘われて冷酒を買ったりもしたが、まともに飲みもせず冷蔵庫で冬を迎えるばかりであった。焼酎は元々好きでもなければ嫌いでもない。昔、撮影で九州佐多岬にロケに行ったことがあるが、連日の雨で1週間毎日、宿で地元の芋焼酎を飲み続けたことがあった。それでも別に焼酎は好きにはならなかった。ワインはもっと好きでも嫌いでもない。ワインを好むようなハイソでセレブな生活からは縁遠い暮らし向きで生きて来たからだ。
20年ほど前に肝臓を患い、それを切っ掛けに酒をやめた。今では風呂上がりの冷たいビールの誘惑もすっかり失せた。全くもってアルコールとは無縁の生活を送っている。昨年、脳出血で倒れた母も倒れる前はビールが好きで、1日中、食事替わりにビールを飲んでいた。瓶缶のゴミの日にはサンタクロースが何人居ても持ちきれないほどの缶を詰めた大袋が出たものだった。それも今はきれいさっぱり無くなって、缶と云えばネコ缶のみである。
さて、酒に続いて、今度は煙草をやめようと思っている。いや、既にやめて1週間以上にはなるのだが、未だ怪しいので「お試し期間」だと自分では思っている。既に30年以上も喫煙の習慣を続けて来たので、今更やめても遅きに失しているとは思うが、それでもやめぬよりはちっとはましかと…。まあ健康面の心配もあるにはあるのだが、実はそのこと以上に近頃の社会情勢が煙草をやめようと思わせる切っ掛けとなっている。昨今はどこに行っても禁煙で、ほとほと辟易してしまう。ひと休みするかと喫茶店に入っても禁煙、食事をして食後に一服したくても店内禁煙、喫煙可能な店を探して流浪せねばならない。そして喫煙出来る店があったとしても、喫煙席を選ぶと奥の暗い一画に押し込められてしまい、窓の外の風景が臨める明るい席なぞ望めない。最近ではスーパーの敷地内でも店外や歩道が喫煙禁止となり、喫煙室などと云うガラス張りの小部屋で立ったまま吸うことを強要される。これでは街に出て煙草を吸いたいと思うだけでストレスが溜まってしまう。喫煙の心理は気分転換や気持を落ち着ける為である。だが現状はその逆で、喫煙を望めば望むだけ気持が苛立ち落ち着きを失うのだ。こんなことなら煙草を吸うのも煩わしい。いっそ吸わずに暮らしたほうがすっきりしそうだ。ええい、やめちまえ。煙草自体だってじわじわじわじわ値上がりしていて、今では「煙草銭」なんて昔の表現では相応しくない金額負担になっているし。で、やめた。やたらと貧乏揺すりが増えているが、今のところ吸いたくて切羽詰まったと云う感じでもない。パイポもニコレットも嫌煙トローチもキシリトールガムも必要とはしていない。むしろ気分的には煩わしさがひとつ減って、すかっとしている…が、果たしていつまで続くことやら…。
投稿者 平野克巳 : 2006年07月10日 15:49 | トラックバック
2006年07月07日
ぼくらの小松崎茂展
![]()
世代を超えて少年少女たちを魅了し続けた画家、小松崎茂の作品展示会が、全国を縦断して開催されている。既にお馴染みとなっている絵物語や口絵の原画、メカデザインを担当した特撮映画関連資料、プラモデルのボックスアートなどの他、初公開となる初期日本画やスケッチなど、総点数600余点が一堂に展示される。既に愛知・刈谷市美術館('05/09/17~10/30)、函館・北海道立函館美術館('06/04/01~05/14)、旭川・北海道立旭川美術館('06/05/20~07/02)は盛況のうちに終了、今後は北九州・北九州市立美術館分館/'06年7月29日(土)~9月18日(日)、東京・逓信総合博物館ていぱーく(大手町)/'06年10月7日~12月3日(日)での開催が予定されている。
北九州・北九州市立美術館分館 http://www.kmma.jp/
東京・逓信総合博物館ていぱーく http://www.teipark.jp/
投稿者 平野克巳 : 2006年07月07日 17:20 | トラックバック
2006年07月04日
独りの誕生日に何を思う
![]()
私は戦後生まれだ。私たち昭和世代が戦争と云う時、大概において第二次世界大戦/大平洋戦争をさす。朝鮮戦争でもベトナム戦争でも、ましてや湾岸戦争でもイラク戦争でもない。あの昭和16年の暮に始まって、昭和20年の夏に悲惨な終わり方をしたあの太平洋戦争である。私がその戦争についての何かしらを学んだのは月刊少年雑誌、そして週刊少年雑誌が切っ掛けであったが、私の中では「遥か昔の時代の出来事」のように思われた。だが、良く考えてみれば私が生まれたのは昭和28年であって、戦争が終わって未だ8年しか経っていなかった訳だ。私にしてみれば戦争とは歴史の中の出来事に過ぎなかったが、今の若い人にとってみれば私は戦争体験世代と大して変わらない括りであるらしい…。勿論、私自身は兵隊に行った訳でもなく戦禍を被った訳でもないが、その時代に生きたと云う意味ではベトナム戦争が身近に思えた。最近ではヘリコプターの爆音の音質も変わってしまったが、今もたまに旧式なイロコイスのバタバタバタと云う爆音を聞くと、反射的に恐いと思ってしまう。
プラモデルの国産化が顕著になった'60年代初頭、日本の産業を支えていた労働者の大半は戦争体験者、それも兵隊経験者、つまりは軍人あがりだったろうと思う。三共ピーナツシリーズのパッケージの蓋ベロには“ピーナツシリーズ次は○○です”と予告されていたのが印象的であったが、あれを決めていたのも以前は陸軍や海軍のパイロットだったり整備士だったりした人ではなかったかと想像してみる。だからどうしても旧日本陸軍機ゃ海軍機が目立って多かった。そうした思いの中には現実的な感傷や郷愁や悲哀や憤怒や、恐らくそれは様々な思考が交錯していたに違いない。だが、それを買って作っていたボクたちは既に歴史の中の絵空事も同然に感じていたと思う。してみると戦後の僅か数年は、とてつもなく人々の思考を変貌させてしまった「変革の時代」だったろうか。ボクたちはそれまでの人生観や価値観が180度変貌してしまった敗戦ショックは知らないのだが、高度成長時代の中で欧米化に伴う生活の急激な変化は知っているので、やはりあの時代は激動の時代だったと言える事が出来ると思う。激変する時代の中でボクたちは物事を真剣に等身大に見つめる事をともすれば忘れてしまったのではないだろうか。先へ先へと進む余りに物事に対する見方が「その場限りな、その場凌ぎな」安直なものとなっていったような気がしている。そして過ぎ去ってしまえば絵空事のように現実感の乏しいものでしかなくなってしまう。だからリアルタイムに何かを経験した人には、それを後世に正確に伝える義務がある。それでも所詮は絵空事になる。時間の経過とは滅び行くものを無にする作業にすぎないからだ。
私も7月が来てまた新たにひとつ歳を取った。53である。織田信長の時代には人生五十年と詠われたが、平均寿命が延びた近年では50は分岐点のように思われている。だが現在の健康で元気な状態であと50年を生きられる訳ではないので、それとなくゴールと云うか終着点は見えている。もはや誰かに「おめでとう!」などと祝って貰いたいとも思わないし、デコレーションケーキやプレゼントを期待する訳でもない。だが、今年の誕生日は前夜、単車でコケた我が家の愚息を整形外科に連れて行くのでほぼ1日を費やした。親であるからそれは当然ではあるのだが、ようやくひと段落ついて仕事場から梅雨の合間のうっすらとした陽射しを見ていると、親として日々生きているのはつまらぬものだな、そんな思いがふと過る。別に今更アバンチュール(古いね形容が…)も望まぬが、何かたまには日常にはない潤いのようなものがないものか…ないか…。所詮子供はそうした存在ではあり得ず(育ってしまえば尚更だ)、やはり人生は個としての自分の中にこそ有るらしい。社会や家庭や友人に頼るのではなく、自分自身に確たるアイデンティティーを見い出さぬ限り、日々生きる事の充実感はもたらされないのだろう。50過ぎのおっさんになっても誕生日にはそんな感傷に浸ったりもする訳だ。こうして世の中ではそれとなく更年期障害に冒され鬱に陥り笑みを失って喜びを見失ってゆく人も居るのであろう。別に死にたいなどと思った事はない。だが誕生日やクリスマスや盆暮れ正月などが、年々鬱陶しいもののように思われて来てならぬ。なまじそんなものがあるから改めて考えてしまい、充たされぬ思いがあるような気になってしまう。心の隙き間が気になってしまう。たかが誕生日、365日あるうちの1日にすぎないにも関わらず、いちいちそんな煩わしい思いに浸るのも面倒だ。そーだよなあ。考えてみれば、子供の時から誕生日は「何かを買って貰える日だから嬉しい」くらいの認識しか持っていなかった気がする。買って貰えなくなった分、それを何かで充填したいなどと心のどこかで期待しているから、寂しい結論しか導き出せないのだ。窓辺の猫の向こうをリスが走って行く。いきなり猫の呼吸が早くなる。そんな眼前の光景は面白い。日々の潤いとは概してそんな所にあるものだ。人生スペシャルな事は期待するものではない。それがまた大人と云うものだ(笑)
投稿者 平野克巳 : 2006年07月04日 17:35 | トラックバック
« 2006年06月 | トップ | 2006年08月 »

