ミニカーホビダス(ロゴ
TOP	ショッピング ミニカーニュース ミニチャンプス ホットウィール モデルカーファイル ホビダストップ
 

初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

« 湘南の夏、日本の夏、やっぱ謹聴の夏やろう…
| トップ | 湘南の夏、日本の夏、おかわり »

2006年07月25日

猫な人々




 私の周辺には余りに猫が好きで好きで、遂には自らも猫になってしまったと云う人が居ります。それはお前のことではないのか? との仰せでございますか? …いえ、そうではございません。なれるものならなってみたいものではございますがそうは参りません。そこで色々と疑似体験やらに精を出す訳でございますね。などと云う要領得ない前振りをしたところで、猫な日々とは如何なるものかのお話である。私は映画青年であった。決して文学青年ではなかったが、映画は死ぬほど観た。にも関わらず近年は劇場に通うことも滅多にない。最近では“ALLWAYS三丁目の夕日”と“明日の記憶”を観た程度である。レンタルで観る機会も激減し、かと云ってDVDも高いのでそうは買わない。おいおい、資料庫の奥に残っている古いVHSなど引っぱり出しては観たりしている。既に数100本ばかりも捨てたので、幾らも残ってはいないのだが、今でも大事にしている1本を久し振りに観た。それはキャット・ピープル、1981年に制作された'42年版のリメイク、ロマンティック・ホラーである。猫族と云う人間以外の半人半獣モンスターの悲恋物語なのだが、主演のナスターシア・キンスキー(あの怪優クラウス・キンスキーの娘である!)が優雅さと獰猛さを併せ持った猫族の女を好演している。大体からしてナスターシア・キンスキーは私が若い頃にぞっこんだった女優である。決してモデル体形などではなく、適度に足の太いところもたまらない。これにマルコム・マクダウェル(時計じかけのオレンジの怪演が有名)などアクの強い俳優が絡む。そして何よりも全編に亘って流れるテーマがエキゾティックでミステリアスなムードを盛り上げる。ハミングで歌うのはデビッド・ボウイ…これがまたたまらない。音楽がジョルジォ・モロダーなのもイイ。地味な作品ではあったが、私には忘れられない作品のひとつなのである。そんな訳で思い立って観るキャット・ピープルである。数年振りであろうか。ううーむ、アップになった黒豹の瞳は何とも美しい。ビロードのような全身を包む漆黒の体毛。美しい。なんて美しい生き物なんだ。おお、私の目と鼻の先にもキャット・ピープルが! 劇中の黒豹よりはちょっと小振りだけど…あの 真っ黒な毛並み、あのトパーズのような黄色く輝く瞳。それは優雅な野生の…大股開きで長く伸びちゃってるね…欠伸しちゃってるし…。そうだね。ここに居るのは正真正銘のネコだね…。
 猫な人々は猫を見た瞬間に激変してしまうのが特徴である。それまでどれだけ厳格な姿勢で居たとしても、いきなり声のトーンが数オクターブ上がり、なりふり構わずしゃがみ込んでしまうのが常である。相好を崩すなどと云う表現では足りないほどに顔の筋肉は弛緩してしまい、でれでれになってしまう。しかし当事者たる猫のほうは「なんやねん」みたいな真面目くさった顔をしているから、傍目で見ている分にはやたらと可笑しい。だが、そんな他人の目なぞ気にもくれず、なりふり構わずラブコールしてしまうのが猫な人々である。私の友人、知人にはそうした猫な人々が多い。別に意識して愛猫家を募った訳ではなく、たまたま知り合った人々に猫好きが多かったと云うに過ぎない。なので齢50を過ぎて骨密度は次第に低くなっているようであるのだが、猫密度のほうは結構高くて意気軒高なのである…。ところでお向かいで生まれたメグちゃんと云う猫がある時から行方不明となった。雑種だがラグドールの可愛い猫であった。そのメグちゃんにひょんなところで巡り会った。クルマで5分ばかりの八百屋の店頭に居たのだ。果物や野菜の合間にちょこなんと座って、しっかり溶け込んでいる。まさしくその八百屋の招き猫と化して新たな猫生を過ごしているらしい。それからと云うもの、その八百屋の店先を通る度に、今日もメグちゃんは居るかしら、と期待してしまう。ある時はきっちりとお座りをして、またある時は三越のライオン像のように伏せをして、はたまたある時はせっせと顔を洗いながら、八百屋の看板猫を勤めているようだ。許されるものなら脱兎のごとくに駆け寄って「ひゃあ~メグちゃあああ~んっっ」と頬ずりのひとつもしてしまいたいところだが、もはやメグちゃんの名は捨てた身であろうし、第一、メグちゃん自身が私を覚えているとも思えない。もはや叶わぬ激情を抱えつつ、八百屋の前を通る都度「あっ、メグちゃん居たあ。かっ、かわいい~っっ!」と悶え叫んでいる私ではあった。猫族であるが故に悲恋に身を窶し、人より獣で居ることを選んだキャット・ピープルと、猫好きであるが故に猫バカに身を落とし、人でなしと蔑まれることを選んだキャット・ピープル。どちらもなんて猫な人々であることか…どーもすいません…。

投稿者 平野克巳 : 2006年07月25日 18:18

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hobidas.com/blogmgr/mt-tb.cgi/10985


« 湘南の夏、日本の夏、やっぱ謹聴の夏やろう…
| トップ | 湘南の夏、日本の夏、おかわり »

モデル・カーズTOPへ

最近の記事

  • モデルカーズ的こころ(13)
  • モデルカーズ的こころ(12)
  • モデルカーズ的こころ(11)
  • モデルカーズ的こころ(10)
  • モデルカーズ的こころ(09)
  • モデルカーズ的こころ(08)
  • モデルカーズ的こころ(07)
  • モデルカーズ的こころ(06)
  • 日本模型人が書いた私的昭和史
  • モデルカーズ的こころ(05)
    • > もっと見る

月ごとの記事一覧

  • 2007年10月
  • 2007年09月
  • 2007年08月
  • 2007年07月
  • 2007年06月
  • 2007年05月
  • 2007年04月
  • 2007年03月
  • 2007年02月
  • 2007年01月
    • > もっと見る
ホビダストップ|ショッピング|ニュース|ブログ|ホビダスオート|鉄道ホビダス|ミニカー|ペット|雑誌サイト|趣味の本
ホビダス
ご利用ガイド|会社案内|求人情報|広告について|出店する|プライバシーポリシー|サイトマップ|ネコ・パブリッシング
Copyright (C) 2005-2008 NEKO PUBLISHING All Rights Reserved.