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初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

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2006年08月22日

自転車散歩のように生きたいね


こんな打ち捨てられた線路を見ていると、この先に何があるのか確かめたくて、ずっと軌道敷きの中を歩いて行きたくなってしまう。でもあらかじめ決められた道筋は面白くないな、やっぱり…。


 自転車で走っていると既に降り注ぐ陽射しの中に秋の気配を感じるようになった。また胸に吸い込む風と空気の匂いにも真夏の激しさとは違うものが混ざっている気がする。梅雨がいつまでも明けなかった年の夏は本当に一瞬だ。今年も(つーか既に行かなくなって久しいのだが…)一度も海にもプールにも行かずに夏が終わろうとしている。やはり一寸寂しい。もう何年かすれば孫を海に連れて行ってくれ、みたいな事も言われるかもしれないが、冗談ではないと思う。その頃には既に気力も体力も衰えて、そんな事はご免被りたい気分である。
 こんな鎌倉の地でも年々開発が進み、蝉時雨も次第に音量が小さくなっている、と言うような事を先般書いたが、ここのところ目立って増えたのが蝉の屍骸である。畦道から山道、市街地の舗装路と、道と言う道の至る所に蝉の屍骸が落ちている。あるものは未だ生きていて「ジッ」と断末魔の鳴き声をあげながら脚を必死にジタバタしていたりする。その光景は「死にたくねーよー」と足掻いているようにも見えるが、実際には生存本能がそうさせているに過ぎないのだろう。一番多く見られるのはアブラ蝉なのだが、茶色い羽根を開き白い腹を出して転がっている姿は何とも哀れである。やがてアリにたかられ腹が空になっていき、羽根と黒い背中ばかりが残される。またあるものはクルマやその他諸々に轢き潰されて道にぺしゃんこになった姿を晒す。蝉は7年(最近は諸説あるようだが、私は学校でそう習った)もの間土中で過ごし、ようやく地上へ出て成虫となるのだが、それからの蝉の生涯は僅かに1週間から10日余りと短命だそうだ。7年もじっと暗い土中で我慢して、それはないだろうと子供心に同情もしたものだが、その上、あんな惨めな死に際は何とも哀しい。それが自然界の摂理なのだろうから致し方ないのだが、せめてもう少し優しい死に方はないものだろうか…。まあ、そんな甘チャンな事を言ってるのは人間だけなのだろう。生き物の死に際の本質は元来が野垂れ死にである筈なのだ。人間だけが変に文明など持ってしまったが故に介護されベッドの上で息絶えるようになってしまった。あ、いや、最近は犬や猫、その他諸々、人と暮らす生き物もその傾向があるにはあるようだ。などと言ってる先から、路上で猫が死にかけた光景に遭遇した。自転車で舗装路を横切ろうとしたその刹那、視界の端に猫が見えた。可愛い黒猫であった。赤い首輪が何とも愛くるしい。しかし、その黒猫はセンターラインの辺りに座って動かない。首輪からして近所の飼い猫で、余り外で恐い思いをしていないのかもしれなかった。その道を横切りながら、私は直感的に嫌な予感に襲われた。案の定であった。その直後、白いスカイラインGTが私の背後を走り抜け、軋むような金属的なブレーキ音を響かせて急停車した。狭い路地なので幸いにも余りスピードは出ていなかった。猫は轢かれる事なく無事であったが、何事が起こっているのか分からぬ様子で、ぼんやり座ったままクルマのグリルを見上げている。ドライバーは中年の奥さんであった。怒鳴ったりホーンを鳴らしたりする事もなく、じっと猫が移動するのを待っている。その間およそ10数秒…。やがてフリースから解けた黒猫はゆっくりと道端へと歩き出し、白いスカイラインGTも猫の安全を確認したのち、何もなかったかのようにゆっくりと動き始めた。結構な時間のように感じられた。しかし長閑でのんびりとした良い光景だと思った。去って行く黒猫の後ろ姿を見つめながら、ひとり微笑んでいた。ハレクリシュナ…。
 そんなこんなを哲学(笑)しつつ今日も今日とて自転車を漕ぐ。毎日のように自転車に乗ると、一寸大袈裟に言えば人生観も変わってくる。かつての自分が「なんて生き急いだ世知辛い奴だったのか」と思われる。それに道を間違えても何とも思わなくなった。かつてうっかり袋小路にでも迷い込んでしまおうものなら「ちっ。無駄な労力と時間を使っちまった」と腹を立て、来た道を引き返す間中、失望感と焦燥感のようなものでいらついたものである。そういうものが今はない。最近は迷う事が大好きで、知らぬ路地など見る度に入ってしまう。当然、変な回り道をしてしまったり他人様の家の玄関で回れ右をせねばならなかったりの確率も高い。そうした無駄に腹が立たない。リセットし直せば良いと思えるようになった。路地で遊んでいる幼児に「行かれません」と叫ばれても「ほんとだ。行かれませんだったね。ありがとう」などと笑って自然に言えるようにもなった。気負わず怖がらず進め。だけど時には失敗もあるから、そんな時はもと来た道へ一遍戻れば良い。人生もそんなものかと考えてみる。ただ50の坂を超えた今、そんな悠長な事を言っていて良いものかと思ったりもする。だが焦っても仕方あるまい。所詮人生とはそんなもの。地図もなく目的地まで一目散なんて出来よう筈もない。地図を見たって迷う時は迷う。ならば焦らずゆっくり行きましょうや。自転車を漕ぐがごとくゆったりのんびりと。辺りの風景を楽しみながら、疲れたら立ち止まって休むも良いし、坂道は無理せず押して歩けば良い。

投稿者 平野克巳 : 2006年08月22日 19:04

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