ミニカーホビダス(ロゴ
TOP	ショッピング ミニカーニュース ミニチャンプス ホットウィール モデルカーファイル ホビダストップ
 

初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

« 脳内にも秋風の吹く… | トップ | 昭和プラモデル物語(2) »

2006年09月20日

昭和プラモデル物語(1)


日本模型新聞 昭和33年12月15日号より転載


 ボクたちがプラモデルと初めて出逢ったのは一体いつのことだったろう。おそらく年齢や生活環境によってそれは随分と異なるものだったのかもしれない。プラモデルと通称されるプラスチックモデルの誕生は1930年代のイギリス、そして広く普及したのは1950年代のアメリカであった。'50年代に既に成人であった年代なら進駐軍のPXでその存在を知ったかもしれない。あるいは新橋のステーションホビィで手にしたかもしれない。東京オリンピック開催の年、1964年まで日本人の海外渡航は禁止されていたから、極めて限られた一部の特殊な人たち以外、一般庶民が外国でプラモデルを手に入れることは事実上なく、精々海外とやり取りの出来る人たちが通信販売によって取り寄せるくらいが関の山の時代であった。だから今では知らぬ人も居ないレベル、オーロラ、リンドバーグなどの初期プラモメーカーそのものを、当時のほとんどの人々は存在さえ知らなかった筈である。為替レートが1$360円もした時代でもあったから、いずれにしても海外のプラモデルは余りに高価に過ぎ、例え成人であったとしてもかなり恵まれた生活環境にある人でしか買うことは出来なかった。
 ボクたちがプラモデルを知ったのは'60年代以降のことである。高価で入手の難しい外国製品ではなく、国産キットの登場によってプラモデルは身近なものとなったからだ。日本製プラモデルの始祖は1958年にマルサン商店が発売した1/300原子力潜水艦ノーチラス号と言われている。そして、それに加えて1/25ダットサン1000、1/100PT212哨戒水雷艇、1/200B-47ストラトジェットが世に出て、マルサンは国内初のプラモデルメーカーの栄誉を担った。但し、これはあくまでも現在までの業界における公式見解であって、日本プラスチックの原潜ノーチラスや零戦、P-51マスタング(当時の表記ではムスタング)、日本模型(現ニチモ)の伊号潜水艦などが、国内初の(それはとりもなおさず国内最古の)プラモデルではないのか、とする論争も後を絶たない。しかし当時の日本模型新聞(我が国戦後最古の模型業界誌)で見る限り、やはりマルサンが国産プラモデルの始祖である可能性が極めて高い。正式に流通したものであるならば、必ず日本模型新聞に発売告知記事が掲載される筈であるにも関わらず、マルサンのノーチラス号発売記事の前後にそうした記述が見当たらないからだ。
 さてマルサンのキットが直ぐに全国に行き渡ったかといえばそうではない。最初の4点が比較的高価であったせいもあり、当初、マルサンの販売実績は決して芳しいものではなかったようだ。一般ユーザーがというよりは業界筋、つまり玩具問屋がプラモデルには難色を示したようだ。目新しいもの、物珍しいもの、それが革新的なものであればあるだけ、懐疑的になり容易には受け入れられないのが世の常である。玩具業界には壊れたゴミのようなものとしか映らなかったのだ。業界が商品価値を認めず仕入れなければ必然的に市場の販路は狭まる。当然、そうなれば情報の少ない当時のこととて多くの人の目に触れることも無かったのである。苦肉の策として翌'59年にはマルサンが提供して、新たなメディアとして注目されていたテレビ放送でプラモデル番組をスタートさせる。「陸と海と空」(フジテレビ)がそれである。しかし、それも莫大な宣伝費が嵩むばかりで、肝心のプラモデル販売実績には中々結び付かなかった。当初、マルサンのプラモデルは低迷したのだった。だが不発と思われたプラモデルが'60年代の幕開けと共に爆発的な増殖を見せる。マルサンに続き、新たに三共や三和、山田、にしきやなどの新たなメーカ ーが続々とプラモデル界に新規参入、プラモデルはたちまち街に溢れた。それは戦後経済再建に沸く国内新規産業の起業家たちによってもたらされたもので、新たな素材プラスチックとそれを用いた新たな玩具プラモデルの将来性を期待してのことであった。敗戦から未だ15年、街にはアコーデオンを抱えた傷痍軍人が行き交い、復員や特攻くずれなどの言葉が死滅していなかった時代のことである。昭和20年8月を境にして全ての世界観も価値観も、そしてそれまで在ったあらゆる物が消滅し一変した日本の社会の中で、しかし誰の心の中にも戦争の残滓が色濃く残されていた時代のことである。時代の必然だったか否かは判然とはしないが、プラモデルとは戦争の残像を哀痛と共に郷愁へと転化させたひとつの道具であったように思えてならぬ。それはあらゆる誇りと自信を失ってしまった日本人の心象風景であり、玩具というオブラートに包んだ往年の栄華を密かに懐かしむ手段だったろうか。とにもかくにも戦争を乗り越えて来た人たちは回想するかのように、プラモデルという玩具にかつて在った日本の姿を塗り込めて世に送り出したのだった。その筆頭が零式艦上戦闘機と戦艦大和であったことは言うまでもない。そしてプラモデルは、同様な感情によって突き動かされ編纂された少年雑誌が創り出した戦記ブームとの相乗作用により、たちまち少年たちを魅了して一気に少年文化の中心へと伸し上がってゆくのだった。(続く)                                       

投稿者 平野克巳 : 2006年09月20日 11:59

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hobidas.com/blogmgr/mt-tb.cgi/11977


« 脳内にも秋風の吹く… | トップ | 昭和プラモデル物語(2) »

モデル・カーズTOPへ

最近の記事

  • モデルカーズ的こころ(13)
  • モデルカーズ的こころ(12)
  • モデルカーズ的こころ(11)
  • モデルカーズ的こころ(10)
  • モデルカーズ的こころ(09)
  • モデルカーズ的こころ(08)
  • モデルカーズ的こころ(07)
  • モデルカーズ的こころ(06)
  • 日本模型人が書いた私的昭和史
  • モデルカーズ的こころ(05)
    • > もっと見る

月ごとの記事一覧

  • 2007年10月
  • 2007年09月
  • 2007年08月
  • 2007年07月
  • 2007年06月
  • 2007年05月
  • 2007年04月
  • 2007年03月
  • 2007年02月
  • 2007年01月
    • > もっと見る
ホビダストップ|ショッピング|ニュース|ブログ|ホビダスオート|鉄道ホビダス|ミニカー|ペット|雑誌サイト|趣味の本
ホビダス
ご利用ガイド|会社案内|求人情報|広告について|出店する|プライバシーポリシー|サイトマップ|ネコ・パブリッシング
Copyright (C) 2005-2008 NEKO PUBLISHING All Rights Reserved.