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初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

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2006年09月22日

昭和プラモデル物語(2)


月刊少年 昭和37年7月号より抜粋/高荷義之作画


 '50年代から'60年代にかけて情報文化は大きく様変わりしようとしていた。その最たるものがラジオに取って替わって、新たな娯楽と情報の伝達手段となったテレビである。昭和28年、NHKテレビが公共放送を開始、続いて日本テレビ放送網が民間放送を開始し、昭和33年には日本電波塔/東京タワーが完成して、いよいよテレビ時代は本格的に幕を開けた。その一方でテレビ受像機は未だ高価な電化製品であった為、一般庶民への普及率はさほど高くはなかったものの、テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機は三種の神器と呼ばれて大衆の憧れとなった。活字文化も週刊誌が主流の時代となり、少年雑誌も昭和34年に初の少年週刊誌である少年マガジンと少年サンデーの創刊によって月刊の時代に終わりを告げた。この時期の「少年」や「ぼくら」「少年画報」などの月刊誌から「少年マガジン」や「少年サンデー」、遅れて創刊された「少年キング」などの冒頭特集は大平洋戦争を題材としたものが大勢を占め、「連合艦隊のすべて」とか「これがゼロ戦だ!」「壮絶!戦艦大和の最期」などといった戦記ものが居並んだ。そして冒頭グラビアや絵物語の挿し絵には小松崎茂や伊藤展安、高荷義之、梶田達二など錚々たる面々がキラ星のごとくに名を列ね、テレビもビデオも知らぬ当時の少年たちを臨場感一杯の光景で魅了した。そして戦後世代の少年たちの多くはいっぱしの戦史兵器研究家へと育っていった。これが所謂「戦記ブーム」と呼ばれるもので、こうした少年文化の高まりの中でプラモデルは爆発的な人気を獲得することとなる。
 さて、ボクたちの初めてのプラモデルとの出逢いとはいつ、どこでだったろう。それはおそらく人の数だけあるのではないだろうか。ボクの場合を例にひいてみよう。記憶では近所の駄菓子屋「天野屋」で三共ピーナツシリーズのF-51ムスタング(PではなくFなのがむしろ時代を感じさせる)を見たのがその最初だと思っていたのだが、どうやらそれ以前に見ていたような微かな記憶もある。当時、ボクは埼玉県浦和市に住んでいたが、国鉄浦和駅まで出ると県庁所在地だったせいもあり大きな繁華街が拡がっていた。駅の近辺には大きな書店があった。吹き抜けの二階建てで、当時のボクにとってはまるで図書館のようにあらゆる本が何でも揃っている大店のように思えたものだ。その書店の一画に一本だけガラスケースが置かれていて、中には白い布が敷き詰められてプラモデルが幾つか並んでいたように思う。それが何なのか興味も知識も無かったので、並べられていたキットは覚えていない。ただ、ケース後方の柱にぶら下げられていたキットだけははっきりと記憶している。紙の台紙に透明フィルムで貼付けられたパラバラな飛行機の玩具。あれは間違いなく小さな高翼単葉の飛行機だった。そして赤と白の旭日旗のようなマーク…。後年になってあれは三和のセスナ180だったに違いないと判った。勿論、旭日旗のようなマークというのは朝日新聞社の社旗マークであったのはいうまでもない。それがプラモデルという玩具であることはあとになって気付いた。つまり見た瞬間から欲しくてたまらなくなった三共のムスタングと較べて余りにも温度差があることからしても、セスナとの邂逅はムスタングより前のことだろうと推測するのだ。やはり後年、今は東京五反田駅前でミニカーショップコジマを経営する小嶋慶三氏が、未だ中央区八丁堀で玩具店を営んでいた時分のお話を伺ったことがある。氏は記憶の中で問屋が「今度こんな玩具が発売された」と初めて持って来たのが三和のセスナだったことを覚えておられた。つまり三共も三和も発売時期はさほど差が無かったとしても、どうやら三和の商品のほうが手広く、そして早く流通したのではないかと想像されるのだ。それらの事実からしてあくまでも推測の域は出ないのだが、ボクがプラモデルを見た最初はどうやら三和のセスナだったようだ。
 浦和駅前の繁華街には小さいけれども玩具店もあった。間口の狭い古めかしい店構えであった。その店内の棚にプラモデルが積まれており、ボクはそこでコグレの黒船と相沢の戦艦三笠を買った記憶がある。駅前は滅多に行く所ではなかったし、そうそう玩具を買って貰える身分でもなかったが、縫いぐるみのウサギを買って貰った記憶もあるので、おそらくは幼稚園児から小学校低学年の頃であったろう。これまた天野屋で三共のムスタングを買ったのと時期的には微妙に前後しているようで正確なところは定かではない。更に駅付近には土間で蛍光灯が薄暗い模型店もあった。こちらはUコンなどの品揃えが多い大人向けの模型専門店であった。そこで幾つの誕生日なのかは覚えていないが両親にねだって日本ホビー1/20M-41ウォーカーブルドックを買って貰った。それは1年越しの交渉の末に実現したものであったが、モーターも電池も買って貰えず、しかも途中で挫折してしまい完成しなかったことを無念さと共に思い出す。駅前繁華街は1年に何度も行く場所では無かったので、曖昧で微かな記憶しか残っていない。やはりボクのプラモ小僧の始まりは駄菓子屋「天野屋」の店頭から始まるのだ。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2006年09月22日 12:41

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