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2006年09月26日
昭和プラモデル物語(3)
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かつて全国の小学校や中学校の正門、裏門のはす向かいには必ずといって良いほどの確率で文具店が在った。教材として用意しなくてはならない大和糊だの白ボール紙を購入するのも無論だったが、学校の授業とは関係の無い戦車や汽車のカッコウをした鉛筆削りだの匂い鉛筆だのを友達と競って買ったのもこうした文具店であった。そして大概の場合、学校門前の文具店には廉価なプラモデルも置かれていて、それが切っ掛けとなってプラモデルにのめり込む子供たちも多かった。こうした文具店はラムネや菓子パン、遊具や玩具なども取り揃えて駄菓子屋的要素を担った店もあったにはあったが、やはり安直で怪しげな菓子や玩具の品揃えでは横丁の駄菓子屋に勝てるものではなかった。昨今では「駄菓子屋」というとイベント用模擬店のイメージが強いが、その昔はどこの横丁にも在る生活に根差した地道な商いであった。駄菓子屋は合成甘味料や合成着色料をふんだんに使った如何にも怪しげな菓子や、街の玩具店では扱っていないインチキ臭い玩具を扱うだけでなく、地域の子供たちにとっては社交場であり娯楽の殿堂であった。そしてまた挨拶の仕方や買い物の方法などを覚える社会性、公共道徳を学ぶ場としても貢献し、時には人生相談にさえ応じた、ある意味、子供社会の縮図であった。こうした地域コミュニティが在ったからこそ、昔の子供たちはクラスの友人よりも近所どうしの友情と付き合いを重視した。おいおい年齢や体格の異なる者どうしが一緒になって遊ぶので、知識や考え方も画一的ではなく、そうした中から様々なことを学んだのであった。まさに駄菓子屋は子供が社会へと一歩を踏み出す為の登竜門であったのだ。当時の子供社会にはそれなりの掟があって、駄菓子屋の土間に踏み込む前には必ずちゃんと挨拶をしたものである。「おくれーっ」「ちょーだいなー」「くださいな」その家庭環境によって表現はまちまちだったが、誰もがそれを律儀なほどに守っていた。子供社会には子供社会なりのルールが自然と出来上がっていた。大人と子供の垣根の無くなってしまった現代ではもう見ることの出来ない、子供らしさの美徳がそこには在った。
さて天野屋の裸電球の灯る薄暗い土間でボクが見たプラモデルの最初は三共ピーナツ(1/150)のF-51ムスタングであった。それまで日光写真やブリキのカチカチや銀玉鉄砲や弓矢やビー玉や(書いていたらキリがない…)、つまり如何にも駄菓子屋で扱っていそうな駄玩ばかりを見慣れていたボクにとって、プラモデルとの出逢いは余りにも衝撃的であった。それまでの駄玩オモチヤはアンチモニー製で、子供心にも「本物っぽい」とはとても思えないような代物でしかなかった。しかし、この小さな飛行機のオモチャはどうだ。箱の中身はバラバラであるにも関わらず、はっきりと飛行機の姿が想像出来た。それも本物の飛行機の姿をだ。しかも表面がツルツル、ピカピカしていて、その硬質な光りは金属で作られている実物の飛行機の質感を連想させた。ボクがずっと待ち望んでいたものはコレだ、漠然とではあったが恋い焦がれて来たのはコレなんだと、埃臭く狭い土間で一人静かに感動していた。その日からボクは三共ピーナツの虜となったのだった。組み立てそれ自体は別段苦にはならなかった。元々どちらかといえば手先は器用なほうだったし、それまでも散ざっぱら木製組み立てキットを作っていたので要領は得ていたのだ 。木製キットに較べればむしろプラモデルはいとも簡単に組み上がってしまった。組み立てに10分とは必要でなかった。暫くは卓袱台の上でなめるようにして眺める。そしてその後は指先で摘むようにして離陸、上昇、反転、降下、着陸などの一連の動作をシミュレーションしてみる。唇の先で爆音や機銃発射音の擬音を真似ながら空中戦に突入すれば、空想世界の中でボクは雄々しく空の荒鷲を飛ばす撃墜王となる。白い雲を眼下にいただき風を切って進む戦闘機の威容。それは小さなプラモデルが与えてくれる至福の時だった。
当時三共ピーナツシリーズは30円。これは決して安い買い物ではなかった。その頃のボクの1日のお小遣いはといえば10円だったのだから。10円あれば未だ駄菓子がふんだんに食べられた時代だ。既に何銭硬貨は流通してはいなかったが、2個1円なんてモノが幾らでもあった。そうした時代に30円はかなり厳しかった。だがボクはプラモデルと出逢ったその日から全ての駄菓子、駄玩と訣別した。それからのボクはといえば2日間を修行僧のごとくに耐えて過ごし、そして3日目には10円銅貨3枚を汗が出るほどに握り締め、桜並木の下を天野屋目指して一目散に駆けたのだった。あの頃のボクたちはプラモデルが欲しくて欲しくて、作りたくて作りたくて仕方がなかった。あのキャラメルのように小さな箱の中には、かつてのボクたちの想い出が溢れんばかりに詰め込まれている。それはその後数十年変わらずに抱き続けることとなるプラモデルへの熱情の原風景だ。天野屋へと続く埃舞い立つ砂利道の向こうには、当時の子供たちが愛した横丁最大のアミューズメントパークが在った。そしてそこには革新的な玩具プラモデルがボクの到着を待ち詫びていた。あの時代、もしもプラモデルが無かったら、今のボクは一体どこで何をしていたのだろう。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2006年09月26日 13:19
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