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2006年09月12日
フィギュアの源流はチョコ菓子にあり…?
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小ねこサブレ…うーん、見るだに可哀想で食べられない。子猫の顔、頭、生首(おどろおどろしいな…)にかぶりつくなんざあ、人非人のやることである。しかし旨い…微かな苦味を効かせたココア風味。やはり東京老舗銘菓ならではの上品な味わいやね。鎌倉在住の人間としてはサブレと言えば鳩サブレなのであるが(銀杏サブレと云うのもあるのだが、鳩サブレに較べると全国的な知名度は今イチである)、あの鳩も慣れぬと頭からはかぶりつけない。だが鳩三郎(と云う名前があるのだ、アノ鳩には…)は単純な形にデフォルメしてあるし、表情もどちらかと云えば無機質だ。それに引き換え小ねこサブレの場合は思いっきり猫が笑みと共にこちらをじっと見つめている。嗚呼、惨くて食べられない。でも旨い。ちなみにこの猫には名前があるのだろうか。例えばコージーちゃんとか… ♪ドンドンドーン、ベタでーすっ!
かように可愛い小動物を象ったお菓子では古いところでひよこがある。あれもさしてリアリティのある姿はしていないのだが、やはり昔から頭をかじって喰い千切ってしまうには抵抗があった。今でも東京銘菓を謳っているが、勿論全国のどこでも売っている普及率の高い有名商品である。子供の頃にはお土産に戴く以外には食べる機会なぞ滅多にあるものではなく、たまに父の客人などに戴くと、勿体なくて可愛そうで食べずにずっとしまっておいたりしたものだ。やがては干涸びて中のあんこがカラカラと音を立てる頃には、ひよこも立派なツタンカーメン王の出土品となっていた。ボクらの世代では恐らく「お菓子のホームラン王」と共にひよこが非日常的な菓子の代名詞だったろう。後年になってバレンタインデーには良く猫型のチョコを貰ったが、これまた首を噛み切ってもぎり千切るのが惨くて、結局冷蔵庫の中で永久凍土化石となってしまうケースが多々あった。一時はシリコンでかたどりしてレジンの複製品を作り、永久保存してみようかしら、などと本気で考えたりもしたものだった。食べ物に限らず「永久に在る、永遠に変わらぬ存在」はやはり人類史上不変のテーマであるらしく、はからずも若い頃の私は古代エジプト人ででもあるかのような思考回路を持っていたらしい。まあ、今では「森羅万象すべからず永遠不変のものなどあり得ず、いつか必ず土へ海へ空へ還って行くもの」と達観している。
小動物を象ったお菓子で思い出される最も古いものは、チョコレートで出来た犬や猫、あるいはキャラクター(ディズニーものだったか??)の高級菓子だろうか。私の少年時代、我が家が菓子店を営んでいた事は既にこのブログでも書いた事があったと思うが、その商品の中で最も高価なものがそのチョコレート菓子だった。透明フィルムの貼られた穴空きボール箱に入った形態で、私の家の店でも贈答品などを陳列する、最も奥まった壁の棚に置かれていた。高価な商品なので常時ふたつかそこらしか置かれておらず、売れるのもたまでしかなかった。3D立体的形態の商品で、金型注型されて左右張り合わせたもので、中は空洞になっていた。言わばあんこの入っていない最中のようなものである。内部構造の全くオミットされた飛行機プラモのようなものである…?? 当時、チョコレートは高級菓子だったので、ムクではないそのような形態が採られたのであろう。この形態は今でも卵の形をしたチョコレート菓子に残っているが、それらにはオマケのカプセル入りフィギュアが入っていて、それこそが目当てであって卵のチョコレートだけでは誰も買わない。だが、当時はチョコレートと云うだけで子供たちは死ぬほど食べたかった。なにしろ鉛のチューブに入った練りチョコでさえ貴重品に思えた時代だ。
立体像のチョコレート。それは憧れのお菓子であったが、それ以上にリアルで可愛い人形として興味をひいた。言わば縫いぐるみと同じような感覚で見ていた気がする。もしかしてのちに入れ込む事となるフィギュアへの一里塚だったのかもしれない。私は美少女フィギュアや兵士フィギュアが余り好きではないのだが、無類の動物フィギュア好きである。猫好きである事を差し引いても、可愛いしぐさの猫フィギュアなどは一遍見たならもう辛抱たまらぬ。欲しくて欲しくて我慢が出来ぬ。家では生きて動き回るリアル猫フィギュアがいくつも居たとしてもだ。そうか…それは子供時分から培われたものであったのか、と今改めて思う。子供時分にいつも眺めていたチョコレートの動物たちが、現在のフィギュア大好きおやぢの原点であったのかと考えると感慨もひとしおである…それは大袈裟か…。子猫の顔を象ったサブレを食べていて何気なしにそんな事を考えた。これまで鳩を象ったサブレにはそんな事は何ひとつ思い至らなかったにも関わらずだ。ん~、やはり猫は私に何らかの啓示を与える神がかった存在なのであろうか。猫の神通力とはいかばかりなものなのであろうか。モニターの傍では今も小ねこサブレのコージーちゃん(勝手に決め付けんでねーよっ)が、じっと笑みをたたえて私を見つめ続けている。三色戦や夜戦、煮染めたウエスや灰色サバ(我が家の猫どもの蔑称…あ、いやいや別称である)はと云えば、そこいらにただ落っこちているだけですけどね…。
投稿者 平野克巳 : 2006年09月12日 19:43
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