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2006年10月20日
昭和プラモデル物語(10)
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プラモデル発祥の本来の精神はインスタントな模型であった。時代が豊かになり文明が発達するにつけ、身の周りには簡単で手早く出来るものが増え始め、それを称してインスタント時代などと呼んだ。いわばインスタントとは文明社会が高度に発展することの象徴であった。日清食品のチキンラーメンが誕生したのが昭和33年、奇しくもマルサンのプラモデル誕生と時期を同じくしているが、それは偶然であるにしても、その頃よりインスタント文化はひとつのブームのようになって日常へと入りこんで来るようになる。
敗戦まで一環して軍国教育が徹底された我が国では伝統的に模型とは飛行機の模型をさす場合が多く、飛行機の模型とは実際に空を飛ぶライトフライヤーをいう場合が多かった。それでも空を飛ばすアクションよりも実物の姿を再現するリアリティ重視の俗称実体模型、現在で言うところのソリッドモデル、スケールモデルは戦前からあって、「にしきや」などを筆頭にして高価な超精密模型も存在した。戦後もライトフライヤーとソリッドモデルは存続したが、終戦直後、GHQによって模型に至るまで飛行機という飛行機が禁止されたこともあり、飛行機以外のジャンルの模型も台頭するようになると、模型イコール飛行機だった時代は終焉を迎える。プラモデルが登場するのはそんな時代背景の中であった。それでも戦記ブームの影響からプラモデルは圧倒的に飛行機と戦車、軍艦で占められたが、現在と比較すればそれこそ種々雑多なジャンルが林立し魅力とバイタリティに溢れた世界を創り出したのだった。
当初、プラモデルはインスタント時代の申し子のようなものであったから、時間も手間もかからずに「ささっ」と作れる遊びとして世に出た。本格的なものはいわゆるソリッドモデル、木製模型に任せておけば良かったからである。ソリッドモデルが基本的には自作する工作で、図面から木材を形に削り出すなど大変技術と知識と手間を必要とする模型であったのに対し、プラモデルは接着剤で貼り合わせるだけで完成する、まさに誰にでも出来る手軽な模型であった。今ならプラモデルに鉄ヤスリ、紙ヤスリ、パテ、塗料は必須であるが、当時のプラモデル作りにそんなものは必要ではなかった。ランナーからパーツを切り取るのに必要な裁縫ハサミだけで組み立てていた。三共のピーナツシリーズに至っては初めからランナーから切り離されてあったから、袋から出してそのまま接着剤を塗りさえした。なにしろパーツ相互の合いを修正するどころか、残ったランナー跡さえ気にはならなかったのである。
しかし、プラモデルに手慣れてくると、「もうちっとはマシに仕上げたい」と欲も出てくる。それに三共ピーナツとは違って、ランナーにパーツが付いたままのキットも次々と表れる。先ずは切らなくてはならない必要性が生まれた。そこで裁縫箱(当時はどこの家庭にも大抵あった)の裁縫ハサミなど、家庭備え付けのハサミを流用するようになる。専用ニッパーなどが登場するのはまだまだ後のことだ。また当時の子供は鉛筆を削らなくてはならなかったので、ボンナイフや肥後の守など刃物の扱いには手慣れており、そうした刃物もプラモデル作りに欠かせぬものとなっていった。だが接着面を整形するだの合わせ目を削って消すだのは意識にも知識にも未だない。その頃には完成までには絶対に量の足りないキット付属のボンドのチューブには頼ることなく、強烈な有機性物質臭のする「あの黄色い」セメダインCを使うようになる。20円の支出は痛かったが「マイ・セメダイン」を持っている子供はプラモデルに入れこんでいる証しであった。そして次は色着けである。やはりいつまでも成型色のままでは納得も満足もいかなかったからだ。先ずは主車輪のタイヤを油性マジックインキで塗った。いー感じであった。そこで次にプロペラのブレードも黒くぬってみた。やがて黒いのはブレードの裏だけであることも知った。これはイケる…。ならばカウリングも…。続いて今度は胴体と主翼、尾翼の上面を緑で塗り潰してみた。嗚呼、何だかとっても立派に見えるじゃないの。その時のボクはもはやご満悦な殿様もかくありなんの態であったろう。だが、しかし…この機体全面に浮き出たナメクジがのたくった跡のようなクネクネは何だろう…そこで初めて気がついた。プラモの表面が溶けてしまったのだと云うことに。嗚呼、マジック(これは商品名だが、当時は誰もが油性ペンをそう呼んだ)の有機性分はプラモデルを溶かしてしまうのだ…。こうしてボクの三和ミゼットシリーズ、97式艦上攻撃機はちょっと見良いのだが、よくよく見れば表面がヌタヌタなプラモデルとなってしまったのだった。この三和ミゼットの97艦攻には後日談がある。その後、ボクはマルサンのラッカー塗料で初めてプラモデルの塗装を経験したのだが、その時のモデルがまたもやこの三和ミゼットの97艦攻だったのだ。原色の緑を機体にボッテリと塗り、カウリングと主車輪と尾輪のタイヤを黒くし、スピナーを赤く塗った。今度こそやった!と思った。そこまでこだわったのは良いキットだったからだ。何しろ胴体が左右割りで、コクピットには豆粒のような搭乗員がちゃんと別パーツでふたり乗っていた。今にして思えばそれがボクの本格的なプラモデル作りの始まりだった。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2006年10月20日 18:39
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