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2006年10月07日
昭和プラモデル物語(6)
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ボクの家は菓子屋を営んでいた。屋号を福屋といった。店は川(と言っても一寸大きめなどぶ川みたいなものである)伝いに桜が並木を成す、通称「桜並木通り」に面していた。通りといってもクルマが擦れ違える程度の未舗装の砂利道で、夏には陽炎が、冬には霜柱が立ち、雨の後はそこかしこに水たまりの出来るような道であった。尤もクルマなど滅多に通りはしなかったから、当時はやけに広々として見えた。そしてそれは典型的な昭和30年代の風景であった。川沿いは商店街であった。商店街とはいっても商店が軒を並べて密集している訳ではなく、随所にバラ線で囲まれた空き地が目立ち住宅が点在するような所であった。現在で言う戸越商店街のような立派なものなどではない。通りを右手に行くとやがてバス通りにぶつかるが、ボクのテリトリーはそれより大分手前のおじいさんのやっている床屋までだった。左手に行くと浦和競馬場へと至るのだが、やはり商店街の端となる銭湯とパン屋までが境界で、その先の記憶は真っ白で何も分からない。ボクがプラモデルを買いに走った天野屋はボクの家と銭湯の中間ほどに位置していた。この桜並木通りに関する限り、それがボクのテリトリー、つまり生活圏の全てであった。
今、思うとあれは何だったのだろうか、と首を傾げるような不可思議なことも沢山あった。近隣が未だ見渡す限り空き地だった頃、ボクの家の庭を目がけて野犬の群れが襲って来たことがある。それは凄まじい吠え声で、母は必死の形相で「うちに入りなさい!」と絶叫した。恐ろしかった。昔は野犬が徒党を組んで徘徊していたし、狂犬病もさほど珍しくはなかった。雨上がり、葦の生えた空き地の水たまりで全裸の少女が狂ったように水浴びをしていたことがある。別のクラスの子ではあったが小学校の同級生であった。水たまりの中でゴロゴロと転げ回る肌が艶かしいほどに白く、ボクはただ呆然と見ていた。やがてその子のお母さんが叫びながら駆け着けて、そのままバスタオルにくるまれて銭湯へと雪崩れ込んで行った。当時、銭湯は昼間でも営業していた。女の子であっただけに隣近所は一時騒然となったが、あの時代は畑の肥溜めに落ちて銭湯に駆け込む子供なども珍しくはなかった。台風シーズンになると家の前の川がしょっちゅう氾濫した。たいていは膝上、酷い時は腰まで浸かった。今ならゴムボートなのだろうが、家の前を筏が通るのを見たことがある。そんな時は川との境が分からないので恐くて表を歩けない。ボクの家の中に赤い金魚が迷い込んで来たことがあって、その金魚はその後、何年もウチの金魚鉢で元気に生きた。ピッグス湾事件もU-2機撃墜も、世界が核戦争寸前であったことも、ケネディ大統領の暗殺も、時速200km/hの夢の超特急が開業間近なことも、東京オリンピックに向けて東京が大変貌しつつあることも、あの頃のボクたちの日常にあっては遠い出来事に過ぎなかった。むしろ、桜並木の下で起こる日々の小さな異変の中に、ボクたちは変わり行く動き行く世間を感じていたのかもしれない。喩えて言うなら遠く穏やかに空を渡って行くレシプロエンジンの飛行音。あの時代の心象風景はそれが全てを表わしているように思う。長閑な時代であったのだ。
桜並木通り、天野屋、そしてプラモデル、極端な物言いをしてしまえば、それが学校以外のボクの日常のほとんどを占めていた。10円玉銅貨を3枚握り締め、親指の先に穴の開いたジェムシューズ(ズック靴)がたてる乾いた靴音を聞きながら、ボクは一目散に天野屋へと走る。そして今来た道を戻る時には手に小さな箱がひとつ握られている。満足と幸福に心が満ちる至福の時だ。そして時には家に帰るまで待ち切れず、桜の木の下に立ち止まり小さな箱の中身を取り出しては確かめてみる。手の平に慈しむようにそっと振り出したパーツはP-40ウォーホーク。切れ端のように小さな紙片のデカールに大きなシャークティースがあったのをはっきりと覚えている。あの時のボクはシャークティースだけでこのキットを選んだのだ。それほどに機首の鮫の口は強烈なインパクトがあった。だが、それから数十年の歳月が流れ、あの時のP-40はマルフジのキットであったことを知る。三共ピーナツでもなく三和ミゼットでもなくマルサン1/100でもない。マルフジ1/120カーチスP40Aトマホーク…トマホーク、キティホークは英国空軍の呼び名だ。だがパッケージのボックスアートには初期の米国空軍機の国籍マークが描かれている。そして付属しているデカールには両脇に白帯の付いた最も見慣れた米軍機の国籍マーク…キット名称はP-40Aだし…それにキットはP-40AだかBだかEだかFだか、もうどうでも良いようなカッコウをしているし、それどころかP-40なのかどうかさえ怪しいフォルムである…。だが、当時はそんなことはどうでも良かった。普段、天野屋の薄暗い土間で見慣れているのとは異質な存在のプラモデル。見たこともないメーカーのマーク。箱の裏ではなく、ちゃんと別紙になっている組立説明図。それは平凡なボクの日常にとって僅かばかりの事件だった。何かしらの新鮮さがボクを突き動かしたのだ。今ならこんなキットは欲しくない、などと思ってしまうのだろう。その分だけ今のボクはプラモデルが楽しくなくなってしまった気がしている。
投稿者 平野克巳 : 2006年10月07日 02:48
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