« 昭和プラモデル物語(6) | トップ | 昭和プラモデル物語(8) »
2006年10月10日
昭和プラモデル物語(7)
![]()
昭和の時代には当たり前のように身の回りにあったにも関わらず、気がつけば何時からか日常より姿を消そうとしているものは多い。レコードやカセットテープ、一眼レフカメラ、フィルム、ワープロ、フロッピーなどはその最たるものかもしれないが、万年筆、布団叩き、メンタムなど絶滅危惧種は数多い。そうした物で最も象徴的なのがマッチではないだろうか。かつてはどこの家庭でも必需品であったマッチ。台所で煮炊きをする為に無くてはならないものであったし、ホタル族など存在しなかった頃の居間の卓袱台にも常備されている家庭が多かった。パイプ印など大きな箱の徳用マッチは庶民にとって慣れ親しんだものだったが、大抵は商店や飲食店、喫茶店などから貰ったもので済ませていた。それほど、かつてはマッチを幾らでも貰えたのである。サービスにかこつけて店名や電話番号をマッチ箱に入れ宣伝に利用する手法はかなり昔からあったものだが、喫茶店や洋食店、料亭や蕎麦屋で名刺替わりにマッチを置いていないところなど無かった。昔はサイズの大小こそあったものの、マッチはすべからず内箱を引き出す小箱型であった。今で言ういわゆるブックマッチは珍しく、たまにブックマッチだったりすると「ちっ、この店はこんなところでケチってやがる」などと小馬鹿にさえしたものである。それが何時からかコストの問題もあり、また洋風文化が浸透するようになってブックマッチが主流になってしまう。そして今ではマッチをレジのところに置いてある店なぞ滅多に見られなくなってしまい、それでもマッチを頼むと引き出しの中をごそごそ探したりする光景さえ目にするようになってしまった。確かに100円使い捨てライターの普及は急速にマッチの必然性を奪ったのだが、それだけでなくマッチの必要性そのものが日常の中で稀薄になってしまったことこそ原因の最たるものと言えるだろう。台所は何れも自動着火となり世の喫煙人口も減りつつある。日々の暮らしの中でマッチを擦って火をつける機会なぞもう滅多にない。
だがボクたちが子供だった時代、マッチは生活の必需品であった。それだけにとてもポピュラーな存在で「マッチ、マッチ箱」は幼児さえ使う日常の常套語のひとつであった。また「マッチ箱のような家」という言葉の比喩も、誰もがマッチ箱に具体的イメージを持ち得た時代なればこそだったろう。つまりマッチ箱は小さいことの物の喩えともなっており、そしてまた同時にとても身近で親しみの溢れる存在であることの比喩でもあった。マッチ箱にはそんな既存イメージのあった時代なればこそ、子供向け玩具にもマッチ箱の名称が堂々と使われるケースがあった。それがマルサンのマッチ箱シリーズであったことは言うまでもないだろう。マルサンは国産プラモデルの始祖として知られているが、そのマルサンが世に送った唯一の駄玩プラモがマッチ箱シリーズであった。
ボクがマルサンのマッチ箱シリーズと初めて出逢ったのは例によって天野屋であった。ある日突然、見慣れぬ箱に気付いたボクは、先ずその値段に驚いた。いつものとおり、おばさんが鉛筆で書き込んだその値段は20.-であったのだ。20円! それまで30円以下のプラモデルなどあったためしがない。間違いではないのか…10円も安いプラモデルなんてアリか?…暫しボクは感動のような興奮のような、それでいて訝るような不思議なテンションで、このキットを矯めつ眇めつ眺め続けた。余りにも小さいその箱の中には、確かに小さいながらも「プラモデルらしいプラモデル」が入っていた。その時のボクがマルサンのマークが入っていたことを、マルサンというメーカーそれ自体を、認識していたか否かはどうにも記憶がない。ただ天野屋の土間から桜並木に出たときに「とてもお得なプラモを見つけちゃったな」と上機嫌であったことだけを良く覚えている。なにしろ10円銅貨2枚でプラモデルが買えるのだ。これに優る幸せなぞあろう筈もない。マッチ箱のプラモデル1個と10円玉1枚を握り締め、ボクは意気揚々と自宅への道を歩いた。
このときボクの選んだキットはシコルスキーS-58ヘリコプター。おたまじゃくしのような決して格好の良いスタイルではなかったが、自衛隊で使っていてとても馴染みのあるヘリコプターだった。ごろんとしたお尻からテールブームが生えている胴体は一体成型で、これに角材のようなローター、風防や車輪を取り付ければ完成の、いとも簡単な内容であった。ただ付属の接着剤がガラスアンプルで、首のところをハート型ヤスリで傷付けて切り取らねばならなかった。これは難しかった。大抵はピキッと変な所から欠けてしまうのだ。しかも中身はシャビシャビなシンナーそのままのような液体だった。まあ、それでもボクにとって20円の魅力は何にも代えがたいものであった。よーし、これからこの20円のプラモデルを買うぞー! と意気込んでいたら、たちまち天野屋の店頭から姿を消しそれきりとなってしまった。三共ピーナツは無くなっても無くなっても、またお店に補充されるのに…なぜマルサンのマッチ箱は仕入れてくれないのだろう…その疑問をおばさんに問うことはついぞ無かったが、やはりマルサンの商品は色々と大変だった(そうした諸事情はあとになって知るのだが…)のだろう。だからボクはマッチ箱シリーズをシコルスキーひとつきりしか作ったことがない。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2006年10月10日 15:08
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hobidas.com/blogmgr/mt-tb.cgi/12321

