ミニカーホビダス(ロゴ
TOP	ショッピング ミニカーニュース ミニチャンプス ホットウィール モデルカーファイル ホビダストップ
 

初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

« 昭和プラモデル物語(8) | トップ | 昭和プラモデル物語(10) »

2006年10月17日

昭和プラモデル物語(9)




 その昔は正規の商法ではない路上販売をいたる所で見ることが出来た。今でも浅草などではその名残りがあったりするのだが、昔は銀座などでも堂々と行なわれていた。路上にむしろを敷いて、縫いぐるみだのブリキ自動車だの怪しげな玩具が並べられていたものだ。この商いはテキ屋に属する部類のもので、言わば縁日の屋台により近い業界らしい。マルサンの石田社長がご存命の頃、戦後直ぐはマルサンも「昭ちゃんの冒険」(昔の人気漫画である)と称した針金で作った三輪車を作り、それがテキ屋に良く売れたと伺ったことがある。ボクも渋谷かどこかの路上で蜜柑色のクマの縫いぐるみを買ったことがあった。手の平に載るほどの大きさで、中には籾がらが詰まったいかにも駄物と云った風情のクマだった。その後も、糸で繋がった分銅に引っ張られて歩く人形(正式名称は知らないが最近ではトコトコなどと呼ばれているようだ)などを買った。更に後年、新橋の駅前街頭では常にベルトやライターを売っていたことを記憶している。偽物の鰐革ベルトだったりいんちきダンヒルなどを前に、啖呵売ではないものの「会社が倒産して給料が現物支給。助けると思って買ってくれ」と云うのが大概の売り口上であった。後年、それらはバッタ商法であると云うことを知ったが、プラモデルの世界でもバッタもんが出回ったことがあった。それは昭和40年に爆発的ブームとなって、一瞬のうちにブームが去ったスロットレーシングカーである。ボクの知っているのはT社のインディカーで、路上に幾つも重ねられて150円で売られていた。ブームの頃の正規流通価格は700円であったから、子供心にも爆安(その頃、そんな表現はない…)に思え、母にすがってねだった。もちろん700円で売られていた時には一度も欲しいとは思わなかったキットだ。「安いっ!」この言葉には今も昔も変わらぬ魔力がある。
 現在では法規制が厳しくなってむやみに路上で物品販売のみならず何かをすることは許されないが、あの時代、青空の元で人々は自由奔放であった。「右や左の旦那様ぁ~」でお馴染みの「おもらいさん」、白衣を羽織りアコーディオンで軍歌を歌う傷痍軍人、朝の納豆売りに夕方の豆腐売り、夏の金魚売りに風鈴売り、飴や煎餅を売る紙芝居屋(ちゃんと許可免許を持っている)、もちろんそれぞれ事情も立場も全く異なるが、天下の公道では色々な人々が様々な人間模様を繰り広げていた。忘れてならないのは学校の門の付近にふらりとやって来る行商人であろう。いかにもインチキ臭い玩具や文具をさも素晴らしいモノのごとく吹聴しては子供を手玉に取る一種の悪徳商法で、当時の子供は大抵がころっと騙された。ただお金を持っていない子が多かったから、その場で騙されて被害にあう子供は少なかったろう。慌てて家に帰って小遣いをつかんで戻っても、既に自転車の荷台にトランクを括りつけた怪しげな男の姿は煙りのように消えていた。それにその場で「おじさん、明日も来る?」と聞いても曖昧な返答しかせず、大概はそれっきりであった。そうしたモノにやたら引っ掛かる級友も居たが、ボクの場合はプラモデル一途であったが為に、そんな被害にはかかりたくてもかかったためしがなかった。下校時の寄り道は御法度であったのだが、学校の近くには生活圏の駄菓子屋とはまた別の駄菓子屋があって、時たまこっそり寄っては物色した。そんな中にはアンチモニー製の勲章だとかバラ売りされていたコンバット7のパチもんだとかがあったが、プラモデルらしきモノで今も懐かしく思い出すものがある。それはチープなロボットで一体15円で売られていた。種類は記憶が確かなら3種類。ボクはそのうちの2種、海底ロボットとパトロールロボットを買った。一体成型の頭、左右の腕と足を胴体前後で挟めば完成の他愛無いものであった。海底ロボットに至ってはドラム缶のような胴体に顔が付いているので頭部パーツさえない。二流SF漫画のそのまたパクリもんのような「とほほなデザイン」だったが、手持ちの小銭で買えるプラモデルとしてはそれでも充分に魅力的だった。ボクが買った時は台紙からビニール袋をもぎ取る装丁の、いわゆる駄玩商品の形態であったが、どうやらその後パッケージ入りに昇格したらしく(この時点では未だブランドマークなどはない)、更にその後にはODKのブランドマーク付きの、つまり尾高産業のプラモデルとして市場に出る経緯を辿ったようだ。どうやら、その辺から検証するに、この「へなちょこな」ロボットシリーズは、ODK/オダカがプラモデルメーカーへと成長して行く過程を物語っているのかもしれない。童友社なども同様な過程を経たのだが、国産プラモデル草創期の生い立ちはこのようなものであったようだ。
 現代の子供の意識がどのようなものなのかは判らぬが、その昔の子供たちはキナ臭くインチキ臭く怪しげなモノにほど惹かれた。通い慣れた店先よりも路上にふらりと表れる行商人に心奪われた。ただそこには「お天道様の下」で悪事は行なわれないという不文律のような概念が作用していたようにも思う。それだけ子供は無防備であったが無邪気でも居られた。それを単に佳き時代と言ってしまって良いものかどうかは判らぬが、現代ならそんな子供はたちまち食いものにされてしまい下手をすれば命さえ失いかねない。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2006年10月17日 14:05

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hobidas.com/blogmgr/mt-tb.cgi/12452


« 昭和プラモデル物語(8) | トップ | 昭和プラモデル物語(10) »

モデル・カーズTOPへ

最近の記事

  • モデルカーズ的こころ(13)
  • モデルカーズ的こころ(12)
  • モデルカーズ的こころ(11)
  • モデルカーズ的こころ(10)
  • モデルカーズ的こころ(09)
  • モデルカーズ的こころ(08)
  • モデルカーズ的こころ(07)
  • モデルカーズ的こころ(06)
  • 日本模型人が書いた私的昭和史
  • モデルカーズ的こころ(05)
    • > もっと見る

月ごとの記事一覧

  • 2007年10月
  • 2007年09月
  • 2007年08月
  • 2007年07月
  • 2007年06月
  • 2007年05月
  • 2007年04月
  • 2007年03月
  • 2007年02月
  • 2007年01月
    • > もっと見る
ホビダストップ|ショッピング|ニュース|ブログ|ホビダスオート|鉄道ホビダス|ミニカー|ペット|雑誌サイト|趣味の本
ホビダス
ご利用ガイド|会社案内|求人情報|広告について|出店する|プライバシーポリシー|サイトマップ|ネコ・パブリッシング
Copyright (C) 2005-2008 NEKO PUBLISHING All Rights Reserved.