ミニカーホビダス(ロゴ
TOP	ショッピング ミニカーニュース ミニチャンプス ホットウィール モデルカーファイル ホビダストップ
 

初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

« 昭和プラモデル物語(16) | トップ | 昭和プラモデル物語(18) »

2006年11月14日

昭和プラモデル物語(17)




 その昔、我が国に来航した黒船の艦名がサスケハナであるということを初めて知った時、何と妙ちきりんな名前なのだろうかしらと思った。「佐助と花」…ボーイズ・アンド・ガールズみたいなものなのか?…アメリカ人が日本人に寄せた愛着からそう命名したものなのか?…それにしても日本を代表する名前がなぜ佐助に花なのだ?…太郎に花子ではなかったのか?…今思えばそんなまるで頓珍漢なことを考えていた。勿論そんなことはたわ言に近く、正しくはUSS Susquehanna/アメリカ合衆国海軍巡洋艦で、ペンシルベニア州サスケハナ川から取られた名だ。黒船の名称も別にサスケハナだけを指すものではなく、主に鎖国時代に西洋から来航した航洋船を総称してそう呼んだ。そして黒船と呼ばれる由来は、当時の欧米船が水密性保持の為に船体をタールで黒く塗っていたことによるものだ。
 そんなミニ情報も知らず、それどころかサスケハナという艦名さえ知らなかった頃、ボクの中での黒船は単に黒船でしかなかった。戦艦大和のように少年雑誌のグラビアや特集ページで黒船が採り上げられていたという記憶はないので、黒船の存在を知ったのは学校の社会科の授業であったのかもしれない。少年雑誌をバイブルと崇め奉り戦記ブームにどっぷりとハマっていたボクにとって、蒸気外輪フリゲート艦の黒船は余りにも古色蒼然たる代物で、日本史、世界史の教科書を超えて興味が持てるほどの存在ではなかった。なにしろ、あの頃は戦艦大和、武蔵を頂点とした連合艦隊の全貌、戦艦陸奥のミステリー、駆逐艦雪風とPT109の悲劇などの大戦モノは言うに及ばないが、原子力空母エンタープライズや原子力ミサイル巡洋艦ロングビーチなどの最新兵器に目が奪われていた時代である。日本海海戦でバルチック艦隊を撃破した戦艦三笠でさえも、歴史上に名を残した古めかしい軍艦としか受け止めていなかったように記憶しいてる。ましてや黒船など明治以前の江戸時代の話である。ちょんまげに刀の時代の話である。これはもうメカ好き少年にとっては有史以前にも等しいものとしか映らなかったのだ。しかし、突然のように黒船のマイブームがやって来る。とある夏休み、それが小学校1年だったのか2年だったのか、はたまた3年だったのかは、既に記憶の彼方でしかない(小暮の黒船の発売から逆算すれば、どうやら小学校2年の時だったのかもしれない)のだが、我が家で夏の行楽に伊豆下田に行ったのが切っ掛けであった。当時、海のない埼玉県に住んでいたボクにとって夏の海は憧れであったし、伊豆などというきらびやかな行楽地で遊ぶことは外国を漫遊するにも等しい一大行事であった。そして現地で名所旧跡を訪ねたボクは黒船をより身近なものとして実感する。なにしろどこに行っても黒船、ペリー、お蝶婦人であった。そして旅の仕上げといえばお土産であるが、これがまたどの店に入っても黒船、黒船であった。現在とは違って郷土へのこだわりは強く、決してご当地キティなどでお茶を濁すようなことなぞなかったのだ。その黒船も千差万別、貝で作った小さなものから木製の本格帆船模型に至るまで、実に様々なものが売られていた。ボク的には当然、リアリティ溢れる高級模型が欲しかったが、旅の土産にそんなモノが買える筈もなく、下田の筆文字ばかりが立派な、カラス貝で出来た全長5cmにも充たない黒船を買って帰った。それでも夏休みの思い出は黒船で大いに盛り上がってしまったボク。夏休みの工作の宿題には下田旅行を題材に選んだ。お歳暮のワイシャツの箱の中に伊豆半島を地図を描き、観光ポイントに手作りの模型を糊付けした。要するにディオラマである。黒船を取り分け丹念に作ったのは言うまでもない。
それからというもの黒船にご執心なボクであった。
 そして絶好のチャンスが巡って来る。駅周辺の玩具店で黒船のプラモデルを発見するのである。それは小暮模型の100円キットであった。100円のプラモデルであるから、何か特別なご褒美として買って貰ったのだろう。これは恐らくコグレ初のプラモデルであろうと思われる。船体そのものは全長12cmにも充たないノンスケール、マストだけで帆はなく、船体が黒いモールド色だった。今にして思えば如何にもコグレらしい、小さいながらも凝ったモデルであった。小さな艤装パーツが多く、組み立てに難渋したことを覚えている。ただこのモデル、サスケハナ号ではなくミシシッピー号であったが…。しかし当時のボクにとってそんなことはどうでも良かった。黒船は黒船なのだ。所詮、その程度にしかこだわりも知識もなかった。直ぐに続いて戦艦サラトガ、海賊船も発売されたが、それらを手にする機会は一度もなかった。やはり黒船を一途に思う気持がこのキットに引き合わせたのだろうか。未だ「ペルリ提督」などとまるで戦前のような言葉遣いが大手を振っていた時代のことである。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2006年11月14日 21:09

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hobidas.com/blogmgr/mt-tb.cgi/13171


« 昭和プラモデル物語(16) | トップ | 昭和プラモデル物語(18) »

モデル・カーズTOPへ

最近の記事

  • モデルカーズ的こころ(13)
  • モデルカーズ的こころ(12)
  • モデルカーズ的こころ(11)
  • モデルカーズ的こころ(10)
  • モデルカーズ的こころ(09)
  • モデルカーズ的こころ(08)
  • モデルカーズ的こころ(07)
  • モデルカーズ的こころ(06)
  • 日本模型人が書いた私的昭和史
  • モデルカーズ的こころ(05)
    • > もっと見る

月ごとの記事一覧

  • 2007年10月
  • 2007年09月
  • 2007年08月
  • 2007年07月
  • 2007年06月
  • 2007年05月
  • 2007年04月
  • 2007年03月
  • 2007年02月
  • 2007年01月
    • > もっと見る
ホビダストップ|ショッピング|ニュース|ブログ|ホビダスオート|鉄道ホビダス|ミニカー|ペット|雑誌サイト|趣味の本
ホビダス
ご利用ガイド|会社案内|求人情報|広告について|出店する|プライバシーポリシー|サイトマップ|ネコ・パブリッシング
Copyright (C) 2005-2008 NEKO PUBLISHING All Rights Reserved.