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初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

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2006年11月16日

昭和プラモデル物語(18)




 1964年、東京オリンピックが開催された。それは敗戦によって焦土と化した我が国が戦後復興を遂げ、改めて国際社会復帰を高らかに謳い挙げた国家的一大ページェントであった。今では当たり前な存在である名神や中央や東名の高速道路も、東京の空を網の目にように行き交う首都高速も、東海道新幹線も、全ては東京オリンピックを契機に出現したものであった。東京の景観からは木と土と石の明治、大正、昭和の佳き時代が一掃されて、高層ビルディングひしめくコンクリートのテクノポリスへと変身したのだった。その変貌はまさに劇的で、まるで一夜城が出現したかのように危うく奇異なものとして映った。とにかく世界に恥じることのない日本を、東京オリンピックとはそればかりに腐心した白日夢ではなかったか。
 当時、東京から都落ちし関東近在に暮らしていたボクにとって、東京オリンピックとは遠い憧れの地の華やかなお祭りのように思えた。喩えて言うならモーツアルトが音楽の都ウィーンに憧れたくらいに、まるで実体を伴わない遠い遠い出来事のように感じていた。それでもボクの愛読書である少年サンデーでは次第に東京オリンピックの特集記事がヒートアップしてゆき、それによって嫌がおうでも興味は増していったのだった。中でもボクの琴線に触れたのは航空自衛隊ブルーインパルスによる開会式のセレモニーであった。国立競技場上空で5機のF-86Fセイバーが空に五輪マークを描く、戦記ブームが育んだ「遅れてやって来た愛国少年」のボクにとってこれ以上の国威発揚はなかった。日本に空軍はないけれど、アメリカさんのお下がりばかりな貧弱な装備しか持たないけれど、やはり世界を恐れさせた零戦パイロットの侍魂は健在なのだ。どうだ見たことか世界。今、こうして文字にすれば酷く危うい思想少年のようだが、当時の少年たちは大抵が似たようなことを思っていたに違いない。
 ノースアメリカンF-86F-40セイバーは戦後の航空自衛隊の象徴のようなジェット戦闘機だ。思想的にはエンジンがピストンからジェットに代わっただけで、局地的な銃撃による空中戦、いわゆるドッグファイトを戦術として生まれた戦闘機に過ぎない。既にかなり古臭いイメージがあって、F-4B/Cファントム2を擁するアメリカ空海軍に較べれば骨董品のような印象も強かった。そんなセイバーだけれど、日本人の手にかかれば名人技を発揮する名機たりうるのだ。名人の手になればセイバーは名刀正宗、虎徹と化すのだ。武芸の達人は刀を選ばない(セイバー=サーベルだけど…)、まさに三船敏郎の椿三十郎のようでないの。この時、ボクのナショナリズムは頂点に達していたのだった。
 航空自衛隊の主力戦闘機であっただけにF-86Fセイバーのプラモデルは多数が発売されていた。中でも一番のお気に入りは日模1/80であった。いわゆる箱スケールの100円キットで、日模としても初期の作品である。それだけに脚もない簡単なキットであったが、日模らしいがっしりとした雰囲気で好感が持てた。自在球で好みの姿勢にすることの出来る付属スタンドも豪華な感じがして、大枚100円を投じただけの満足感を与えてくれたものである。パッケージのボックスアートも富士山上空を飛ぶ空自のセイバーで、店頭でも先ず箱に惹き付けられた思い出がある。他にも三和のマメプラシリーズやマルサンの1/100、YMCのベビープラスチックなどもあって、当時はレシプロ戦闘機に飽きるとセイバーを買っては作っていたような記憶さえある。
 今やセイバーはおろかファントムさえ退役しつつある。知らぬうちに時代は確実に流れ去ろうとしているようだ。九州をバイクでツーリングしていた時に出会った、眼前を超低空でフライパスして行ったあのセイバーも、恐らくは既にスクラップになってしまったのだろう。もはやハセガワの1/32キットでさえも懐かしいもののように思えてしまう。でも今にして思うとセイバーという飛行機はどこかチャーミングであった。池の端で口をパクパクさせている鯉のようで、殺戮の道具としてのおどろおどろしさが無かった。どうやらボクにとっての飛行機、取り分け戦闘機はトムキャットあたりからどうもいけない。F-105なんてコーラ瓶みたいな滑らかさに、もっと言っちゃうと女性の裸体のような曲線美に目を奪われてしまう。F-100だって鯉のぼりみたいで可愛いし、今となっては鯨のように馬鹿でかいファントム2でさえ優美な起伏が美しく思えてしまう。
 1964年、どこの家でもカラーテレビを買うか否かの家族会議が真剣に行なわれていた。ボクは開会式の入場行進をモノクロで見、あれほど楽しみにしていた空の五輪マークが呆気無い中継で終わったことに失望したが、それでも机の上の日模のセイバーを見る度に日本人であることの誇りを感じては高揚した気分になった。
(続く)

投稿者 平野克巳 : 2006年11月16日 23:08

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