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初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

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2006年11月21日

昭和プラモデル物語(19)




 電子ハイテク技術の進歩が著しい。戦闘機から玩具に至るまでその進化の勢いとスピードは目を見張っている暇さえもないほどだ。かつてパーソナルコンピュータなどというものが庶民の暮らしには存在しなかった頃、世の中はとても手間と時間のかかるものであった。例えばボクが30年近く携わっている雑誌や書籍の製作も今では信じられぬほどのアナクロなものであった。本文やタイトル、リード、キャッチ、キャプションなど、つまり文字は原稿用紙に手書きせねばならなかった。当然、間違えたり書き直したりしようと思えば、キーボードひとつで削除などという訳にはいかない。鉛筆書きなら消しゴムで消して書き直し、ペン書きなら新たな用紙に初めから書き直した。それを級数やフォントの指定をして写植に打ち出して貰う。図版は写真を紙焼きにしてレイアウト用紙に定規を使ってサイズ指定する。写植文字もレイアウト用紙にペーパーセメントで貼り付ける。これを1ページごとにしなくてはならなかった。やがてワープロという文明の利器が出来た。文字を手書きしないで済むのは何て便利なのかしら、と感嘆した。いくら間違えようが手直ししようが丸めた紙屑が出ない。これで文字原稿を書くスピードは飛躍的に早くなった。原稿も最初はプリントアウトしていたが、直ぐにフロッピーディスクという電子記録媒体の普及で紙要らずとなった。ちなみについ数年前、我が家にフロッピーのデッドストックが山のようにあったので、文字原稿だけの時にフロッピーで入稿したところ、某編集部に鬼のような勢いで怒られたことがある。曰く「ワタシのPCにはもはやフロッピーのドライブ用スロットが存在してません!」…。
 今やワードプロセッサも絶滅し文字原稿もパソコンで書く。写真も紙焼きどころかフィルムさえすっ飛ばして、デジカメから画像をそのまま取り込み、画像処理しレイアウトもパソコン内で済ませてしまう。まさに世はパソコン様々である。そして電脳技術のおかげでゲームもボードゲームが廃れ、コンピュータゲーム一辺倒となった。画像処理能力は日々劇的かつ飛躍的に進歩し、それまでは無かったバーチャルリアリティという言葉も生まれた。つまり現実ではない二次元の世界に仮想現実と称した、あたかも本物のようにリアルな世界が展開されるようになった。しかし、それによって子供たちの特権であった夢想する世界は失われ、空想力、想像力は減退していったように思える。
 ボクたちが子供だった昭和という時代、バーチャルリアリティとはプラモデルそのものだった。あたかも自分がラバウルの空を舞う零戦のパイロットに、またある時はモナコのタバココーナーを駆けるロータスのドライバーになった気分で、完成したプラモデルに額を寄せては見知らぬ空想世界に思いを馳せた。フェラーリ1512F1のコクピット越しに見えるのはニュルブルクリンクの田園風景だった。それはまさにゲームのようなものだった。友達とプラモデルを買って作っては「なんとかゴッコ」をした。あの頃、プラモデルとは作るものではなく遊ぶものであった。とある放課後のひととき、ボクは近所の雑貨屋でオオタキのユンカースJu87スツーカ(何型かはどうでも良かった時代だ)を買った。友達は同じくオオタキのメッサーシュミットMe109(これまた何型かは問題にされなかった)。ふたりで一緒に作り、出来上がると直ぐになんとか戦線に出撃した。ボクのスツーカが急降下爆撃をし、友達のメッサーシュミットがその護衛の任につく。オオタキのスツーカは爆弾投下装置付きだった。腹のボタンを押すとスプリングの作用で、胴体下に吊った爆弾がパチッと音を立てて落下するのだ。これ一点のみで楽しくて仕方なかった 。メタリックの赤紫色の機体は奇異だったけれど(それから数十年してオーロラの真似であるらしいことを知った)、本物のスツーカのように爆弾を投下するギミックは心底凄いと思った。友達のメッサーシュミット(あの頃はBf109ではなくMe109と呼ばれていた)はオール可動式で、特にキャノピー(風防と呼んでいた)が開閉するのに感心した。Bf109であるから前後にスライドするのではなく横に開くのだ。それに新鮮な感動を覚えた。その開閉風防を操作したいが為に、友達は(彼がドイツ人パイロットとなって搭乗しているのだ…)スツーカを守って、自らはP47サンダーボルトに屠られ愛機からベイルアウトするのだった。ミッションは無事に成し遂げられ、目標の橋は落ちた。眼下ではイギリス軍のトラックや装甲車が炎をあげていた。しかし、鈍速なスツーカ爆撃隊を援護した戦闘機隊は哀れ敵の餌食となって二度と基地に帰還することはなかった。めでたしめでたし…いや、めでたくないが、当時の戦記フェチ少年たちは悲愴感にこそ酔った。空想の世界なればこそ勇猛果敢、しかし悲惨な最期に美学を見い出していたのだろう。戦争が終わって未だ15年ほどしか経っていなかった時代である。戦争の昭和は未だ色濃く息づいていたのかもしれない。それにつけても今や誰がプラモデルで映画や劇画の世界を連想し想像したりするだろうか。あり得まい。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2006年11月21日 12:35

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