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初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

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2006年11月28日

昭和プラモデル物語(21)




 日々の暮らしは夕餉を中心に回っていた。陽が西に傾く頃になると家々のお母さんたちは割烹着に買い物篭の出で立ちで近所の商店街へと繰り出した。地元密着型の商店街はその規模こそ様々であったが、肉屋、魚屋、八百屋、乾物屋、総菜屋など、日々の暮らしには欠くことの出来ないものが大概揃っていた。現在のようにスーパーマーケットなど無かった時代である。時にはマルどーたらスーパーだのマルこーたらストアだのといった名称の集合商店も在ったが、それらもあくまでも個人商店の寄り合いで、今で言えばテナント商法に過ぎなかった。レジなどというものは存在せず、藤で編んだ篭がゴム紐で天井から吊られていたような時代である。日々、顔を突き合わせ言葉を交わす近所の奥さん連と店主は皆顔馴染みで、熱いの寒いのの挨拶やご近所付き合いの噂話まで、なにくれと会話を交わすのもごく普通のことであった。こうした商法は今やすっかり廃れてしまったが、これを「対面販売」商法と呼ぶ。これに対してスーパーなどは「セルフ販売」商法と呼ばれている。スーパーが導入したセルフ商法は今や小売業の主流となっており、百貨店/デパートもその例に漏れないが、かつて百貨店といえば対面商法であったことはご記憶の方も多かろう。
 百貨店は東京の大繁華街にある大型店鋪が有名だ。江戸時代よりの老舗も多く、前身は呉服商越後屋の三越、やはり前身は呉服商いとう屋の松坂屋、他にも松屋、大丸、白木屋など、花の東京には目も眩むほどの「巨大ビルヂング」が群雄割拠していた。近所の商店街のようにしょっちゅう行かれるような所ではなく、恐らくはボーナス期と連動していたと思われるが、夏と冬の年2回、特別な「お買い物」として家族総出で出かけたものである。その日は朝からとびきりのよそ行きを着込み、葡萄色の国電に揺られて都心へと向かう。降り立った帝都東京はクルマと人でごった返す魔都、子供心に好奇と畏怖が入り交じり、父母の背中を見失うまいとただ必死であった。そして百貨店。その入り口は荘厳なまでに物々しく、足を踏み入れる刹那、緊張と興奮で足がわなないた。玄関口をくぐるやそこは光りのページェントであった。溢れるばかりの照明に照らし出された大理石の艶やかな輝き、居並ぶショーケースが照り返すきらびやかな照明光の眩しさ。まるで別世界へと足を踏み入れたかのようで目眩さえ覚えそうな絢爛豪華さがそこには在った。
 「チン」アナログな鐘の音と共に開いたエレベーターのドアの向こうには、この世の玩具が全て集められたのではないかと思わせるほど、見渡す限りに玩具の陳列が続いていた。現在のデパートの玩具売場は僅かなコーナーでしかなく、しかも幼児向け玩具かファンシー玩具ばかりであるが、当時の百貨店の玩具売場はワンフロアまるまる玩具ばかりで占められていたのである。ボクの目当ては当初、ブリキ、つまりティントイであったが、その後直ぐにプラモデルへと代わった。初期のプラモデルは品数が僅かで玩具売場の片隅一区画だけだった。ガラスケースには白い布が敷かれ、そこに色も塗らずに仕上げられた完成品のサンプルが、品名、メーカー名、価格の書かれた札と共に陳列されていた。商品であるキットは店員の背後の棚に重ねて並べられてあった。一定の間隔を置いて「売り子」と呼ばれた店員が立ち愛想笑いで応対する。つまり対面販売である。百貨店の制服である紺の上っ張りを着、胸にはセルロイド製の名札が下がっていた。大抵は20代前半のうら若き乙女だ。頼んでキットを出して見せて貰う。気に入らなければそれを繰り返すが、あまり何度もそれを繰り返していると、次第に店員の表情や態度があからさまにぞんざいになったりもした。両親との交渉が成立すると、店員もほっと破顔一笑、営業スマイルを取り戻す。そして丁寧にその店独自の包装紙に包んで貰い、小脇に抱えて売場を後にする。あとは大食堂でホットケーキを食べるのみ。恐らくボクの玩具は両親の買い物が終わってからの最後の買い物だったのだろう。こうしてボクは東京の百貨店で幾つかのブリキ自動車と幾つかのプラモデルを買った。だが何を買ったのかは今となっては余り思い出せない。マルサンの自動車は今ひとつそそられなかった。マルサンの宗谷、三共のキャノン砲も完成品を眺めただけだ。買ったのを記憶しているのは消防車(とみやまでも静教でも日本文化でもない。いすゞのフロントボンネット車だった。どこの製品だったろう…)と、よねざわのEF58と特急こだま(つばめだったか…)、そしてフジミ1/30天皇御料車/グロッサーメルセデスベンツ、正式にはメルセデスベンツ770グローサープルマンリムジンくらいなものである。取り分け天皇御料車はボクにとって思い出深いキットであると同時に、昭和の戦後史を物語るプラモデルのひとつとしても貴重なキットと言えるのでまた別の機会に採りあげようと思う。現在では売り子という関所のような存在が居らず煩わしくはないが、どこか買い物が味気ない。対面販売とセルフ販売の功罪は如何に…。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2006年11月28日 21:51

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