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2006年12月12日
昭和プラモデル物語(23)
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戦後日本の高度成長時代を支えた町工場も衰退して久しい。最近でこそロケットの先端部だの携帯電話のバッテリーケースだの、熟練した技術なくしてはなし得ないハイテク産業の意外な側面として話題にもなるが、油染みた作業服で精力的に働く町工場の光景は遠い日の追憶でしかなくなってしまった。しかし映画「ALWAYS三丁目の夕日」を彷佛とさせる活力に溢れた時代は確かに在って、まさにボクたちの世代はそうした時代に育ったのだった。そんな東京オリンピックの華やかさが残り香のように街々に漂う1965年/昭和40年の夏、スロットレーシングは突然降って湧いたように日本列島を熱狂の渦に巻き込んだ。遊園地やボーリング場、ホテルやパチンコ屋、果ては場所を確保出来るなら業種を選ばずに、至る所にたちまちスロットレーシングのサーキット場が雨後のタケノコのように出現した。繁華街のサーキット場は裾のつんつるてんなコッパン、ボタンダウンのダンガリーシャツ、そしてポマードでてかてかと光ったリーゼントの風俗が溢れ、フロアにはザ・ベンチャーズの“Diamond Head”や“Pipeline”がBGMとなって流れ、異様な熱気に包まれた若者文化の最前線となっていた。そんな場所に出入りするのは当時の子供たちにとってはかなり勇気の要ることであった。アイビーで決めた若者の彼女の歓声や嬌声、「3コースお願いしまーすっ!」の叫び、コース上から響く「シャーッ」「ジャーッ」というモデルカーの走行音、そんな諸々が混然となった喧噪の中、コースサイドにへばり着いて自分の番の来るのを今か今かと待った。そして待ちに待った「○○さーん、お待たせしましたあ。5レーンにどうぞ」の場内アナウンス。レンタルのゴーセンのコントローラーを握れば、もう自分の世界だけに没頭し時間の過ぎるのも忘れた。全身でリズムとタイミングをとりながらスロットルのオンオフを繰り返す、単純なだけに幾らやっても飽きなかった。そうして多くの少年たちがスロットレーシングの魅力に嵌まっていったのだった。
少年たちにとってスロットレーシングは贅沢な遊びであった。コース使用料は場所や時期によっても異なるが大抵が10~15分単位で100~150円で、これにレンタルのコントローラー、モデルカーを加えると、そうそうやれるというものではなかったのだ。それでも必死に小遣いを工面しては馴染みのサーキットへと通った。しかし最大の難関は“Myマシーン”を我がものとすることだった。レベル、モノグラム、コックス、K&Bなどの外国製キットは論外で、国産キットでさえ700~1000円、別売りのFT16モーターが250円(FT36に至っては350円だ!)であったから、当時の物価指数からすればとてつもなく高価であった。なにしろ同スケール程度のモーターライズのプラモデルなら200円ほどで買えた時代である。何故にそんなにも高価だったのか。勿論そのコストの殆どはシャシーにあった。プラモデルとは違って金属製なのが全てに起因した。シャシーは真鍮プレス、ステンレスプレス、ダイキャスト鋳造など形式や材質、製法もまちまちであった。ギアもシャフトもそれまでの玩具には無かった精度が要求され、オイルレスメタルのプレーンベアリング、更にはボールベアリング、そしてビスやナットに至るまで、それはまさに当時の精密機械加工部品の集合体であったのだ。こうした部品をスロットカーキットに製造供給したのが、当時は未だ全盛であった下町の町工場たちであったのだ。スロットカーのモーターのほぼ100%を占めた東京科学株式会社(現マブチモーター株式会社)は言うに及ばず、戦後日本の繁栄を支えた精密機械加工技術は世界に誇れる水準にあった。そして、それらの殆どは個人事業の小さな町工場であった。名人と呼ばれる熟練工の職人たちが幾らでも居た時代である。そうした活気溢れる中小企業界の原動力がスロットレーシングを生み出した。それは現在で言えば玩具のハイテク化であった。今、改めて見直せば精度、材質、品質共に「こんなものか…」と思わせるが、当時としては「掛け値なしに凄い」ことであったのだ。それが現在では自動車産業を筆頭に下請け機械加工業者が衰退消滅の一途をたどっているのはご承知のとおりである。今ではそうしたパーツを請け負う町工場も極端に少なくなってしまったという。玩具に限らず手仕事、職人技の不在な時代である。あのブームの初期、最も良く売れたのはニチモとコグレのキットであったが、コグレのものは高いクオリティを感じさせた。真鍮プレスシャシーはシンプルだが丁寧な造りを感じさせた。軟質ラバータイヤはブリヂストンタイヤの協力を得ていた。真鍮ギアやアルミホイールなどの挽きものも仕上げ精度が高かった。その後、色々なキットの登場で国産キットは更に技術的向上を見せるが、初期においてはコグレがピカイチだったように思う。そんな小さな技術屋魂は今もICプリント基盤やLEDなどでコンピューター玩具に発揮されているが、スロットカーこそはそうした玩具の技術革新における先駆であったのだろう。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2006年12月12日 13:43
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