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初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

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2007年02月13日

昭和プラモデル物語(29)




 

 残り物には福がある、とは古からの喩えであるが、プラモデルに関して言えばまさにそのとおりである。万物永遠足りえず、命は必ず死に、物は何時か壊れる、これらをして土に還ると古代の人は称した。しかし現代文明の象徴(少なくとも'60年代にはそうであった)であるプラモデルは、時代のスピードと変化を表わすように、昔の人が達観した物の命よりも遥かにライフスパンが短かくなった。目まぐるしく新製品が登場しては古いものがたちまち消えていった。石油製品それ自体は酸化し土に還る事の難しい材質であることを皮肉っているかのようにだ。要するにプラスチック製品という言葉の裏側には「使い捨て」という意味合いが込められている。手軽で便利でインスタントを売り物とするものは、極言してしまえば「その時、用を成せば良い」のである。まさに昭和30年代とはインスタント文化全盛期であり、それこそが人間が織り成す現代文明の進歩と発展の証しでもあった。

 昨今、プラモデルは大型専門店もしくは家電量販店で売られるもののようになってしまったが、その昔は駄菓子屋や文房具屋が主であった。駄菓子屋や文房具屋は子供をターゲットとした商いであるから、おいおい小学校や中学校の正門、裏門などの近くで商っていたものである。少子化によって全国公立学校の統廃合が著しい現在とは異なって、団塊の世代が小学生、中学生であった時代には各クラス40数名、各学年10クラスなどはざらであったが、それでも学校が足らず、次々と新しい学校が創設されていた。プラモデルが隆盛を極めたのはまさにそうした時代であったが、学校が多ければその分だけ駄菓子屋や文房具屋も多かった訳で、結果としてプラモデルを扱う店は全国に星の数ほども在ったということだ。
 もう30年近くも昔のことだが、ボクが友人たちと古い絶版プラモデルを求めて地方行脚した際の鉄則は、先ずは地元の公立小学校や中学校を探すことであった。それほど学校の近くには判で押したように玩具や文具を扱う店があった。それは全国どこでも同じで、既に埃だらけな開店休業状態のような古い店は必ずといって良いほどに見つかった。古ぼけてガタピシと音をたてるガラスの引き戸をくぐると、既に布地も黄ばんで色褪せてしまった鉢巻きや赤白帽、カチコチに硬化してしまった砂消しゴムなどに混ざり、店の正面に面していた側だけが印刷の抜けてしまったプラモデルの箱が目に入る。見知らぬ通り一遍の客と分かるや何か買ってくれる訳もあるまいと、「ちょっと見せて下さいね」のボクたちの問いに「どうぞ、ごゆっくり」などと奥へ引っ込んでしまったりもする。今にして振り返れば奇蹟のような光景が眼前には在ったことを思い出す。バンダイ1/20サニー1200GXクーペやホンダ1300クーペ9などは未だ幾らでも在った。ジャンル違いなので手を出さなかったがタミヤ1/21M-40ビッグショット(!)やM-4シャーマン、三突ハーケンクロイツなども平気で売れ残っていたような時代だった。回想する度に後悔の念に苛まれるのだが、これらを買わなかった最大の理由は、当時のボクのひと言が雄弁に物語っている。それは「ちっ、定価かよ」である…。ネットオークションなぞ存在せず、自分の欲しいものを交換で入手するような機転も効かなかった当時のボクには、自分の欲しいものだけが全てであったのだ。そして、それは今も変わらない。融通も効かず要領も悪いが、それがボクの生きざまであるのだから仕方ない。
 鎌倉の隣りの逗子には既に消滅してしまったが老舗の航研堂という模型店があった。その後、その通り沿いには翼模型という新たなプラモデル店も出来たが、この界隈は逗葉新道が開通するまでは逗子市の外れに位置するうらぶれた街道でしかなかった。既に潰れかかったようなしもた屋が並ぶ活気のない通りだったが、それだけに売れ残ったプラモデルがポツポツと置かれているような店が幾つも在った。ボクはこの通り添いで幾つもエーダイ1/20ジャガーXK-Eを買ったが、そのひとつは既にモデルカーズ「古典キット倶楽部」で作例として作った。他にもオオタキ1/24フェラーリ250テスタロッサ(スロットカー)やニチモM-46パットン戦車、ニコー1/16ロータスF-1(恐らく25F-1か29インディカー)などという珍キットも手に入れた。近場もまた絶版キットの宝庫であったのだ。しかし、そうした駄菓子屋だったり牛乳店だったり裁縫店だったりの昔ながらの「ついでにプラモデル」の形態は完全に絶滅し、そうした店々自体もマンションになってしまったりコンビニになってしまったりした。
 思えば絶版プラモ探しはリラクゼーションでありスポーツであった。名を上げ財を成そうなどという気など更々なく、オークションでの一獲千金を狙うつもりも露ほどもなく、ただ自分の為に好きなプラモデルが欲しいというその一点に尽きた。だから少しでも安く買いたかった。上手く交渉出来て幾許か安く売って貰った時の達成感は、まさしくスポーツの後の満足感にも等しい喜びであったのだ。高揚感だけではなく安堵感も同時にあった。これで店頭から姿を消して買えなくなってしまったとしても困らない、そんな心理こそがボクたちの物欲を支配していたように思う。もっとドライで機転を効かせた人生だったら、今のボクはプラモ長者になって立派な御殿にでも住んでいたかもしれない。でも、それはボクのスタイルではないし、プラモデルをそうした手段や道具に使いたくはない。生涯をプラモデルに殉じて生きる、それがボクの生きる道なのである。一度決めたその道をこれからもボクは行く。不器用な男である。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2007年02月13日 20:48

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