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初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

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2007年03月

2007年03月27日

昭和プラモデル物語(35)




 子供と大人は生活様式もサイクルも違うもの。そうボクらは信じて疑わずに育ってきた。だが今はそんな観念は通用しない。昔の子供は朝から無駄に元気だったが、現代には低血圧でアンニュイな子供が良く似合う。昔の子供は家にランドセルを放り出して、もっと凄い子供は原っぱにランドセルを置き晒して遊び呆けた。だが♪カラスと一緒に帰りましょう、の童謡を戒めのように守って暗くなれば家に帰った。今の子供が明るいうちに家に帰るなんてことはそうそう無いらしい。帰っている時間的な余裕が無い為に、学校から塾に直接向かう。塾が終わるのが宵の口なんてのは当たり前。腹が減るからコンビニに引っ掛かっては喰ったり飲んだり、そして世間話などしたりもする。ようやく帰宅すれば9時10時なんてのも珍しくないらしい。そういえば遅い時間の電車に時たま某有名塾の鞄を背負った小学生などがぽつねんと乗っていたりするのを目撃する。何だか中年サラリーマンのような生活である。子供も大人もない。
 昔の子供は早寝早起きであった。朝風呂だの朝シャンなんて考えも及ばなかった。そんなことは「小原庄助」さんのすることで身上を潰してしまう悪行とさえ教えられていた。子供は寝るモノで8時間寝るのが普通、10時間寝ていたって「冬眠」などとは言われなかった。ボクは幼い頃から6時間寝れば大丈夫な子供であったので、子供らしくないと良く言われたものである。歳を取っても寝るのが楽しい、嬉しいという人が居るが、ボクは人間、睡眠を取らずに生きられたら、どんなにか良いだろうとずっと思って生きてきた。だからと言ってボクがナポレオンのような偉業を成し遂げたことはひとつもない。
 子供らしい、と言えば、その昔には「鍵っ子」なんて言葉は存在しなかった。恐らくは'70年代中頃からの核家族化によって生まれた現象であり言葉であろう。ボクの家は早くから「核家族化」した家庭であったが、それでも母は専業主婦であったので、学校から家に帰って誰も居ないなんてことは殆どなかった。母も我が子の為には家に何時も居て、息子を迎えてやることが母親の責務であると考えていたらしいふしがある。そんな母が居ないことがあった。卓袱台の上には小さなメモ用紙が置かれてあり、「学校の用事で出かけて来ます。これで玉虫色の自動車を買いなさい」と1,000円札が添えられてあった。留守居にすることで息子を不憫に思っての特別ボーナスだったのだろう。当時、母は学校のPTAの役員であった。たかだか1日のことである。ボクの母が特別だったのか、当時の母親感覚とはそんなものだったのか、それは判然とはしないが、今の母親がそんなことをした日には、子供は億万長者になってしまうだろう。
 さて、玉虫色の自動車とは何か。それはバンダイ1/20ランボルギーニ・マルツァルのことである。どこかの雑誌広告に書かれていたものと思う。背中のハニカム状リアルーバーが金属プレスパーツで、「玉虫色に輝く」みたいなコピーだったのだろう。そっくりその表現を鵜のみにしたボクは、しょっちゅうしょっちゅう母に「そんな凄いプラモデルがあるのだ」と強請り続けていたのに違いない。確かに行きつけの書店の棚にはそのキットが厳かに飾られていたのであった。恐らく何週間も「欲しい欲しい」と言い続けていた筈だ。だから母は不在にすることの罪滅ぼしのつもりで、息子にそのプラモデルを奢ってやることにしたのだろう。現代の日常生活からは考えられない感覚である。ともかく聖徳太子の千円札を握り締めたボクは、マルツァルの待つ書店へと全力疾走した。そして意気揚々と大きな箱を抱えて、誰も待つことのない自宅へと戻ったのだった。当時のこととて、ランボルギーニがどんな自動車メーカーであるのかさえ良くは知らなかった。ただ外国の凄いメーカー程度の認識である。ベルトーネが何を意味するのかも分からなかった。ましてマルツァルなど実物の写真さえ見たことがなかった。バンダイのキットが実在するクルマか否かさえ考えなかったかもしれない。だがキットの中身は正しくスーパーカーであった。旧態然としたごろんごろんな国産セダンしか知らぬ身からは、未来からやって来たタイムマシーンのようであった。前後シート分の広大な開口部を持つ跳ね上げ式(当時はガルウイングなんて言葉も知らなかった)ドアに感嘆した。だが「玉虫色」のリアルーバーは予想に反して案外ちゃちで、少なからず気落ちしたことを覚えている。それでもぺったんこなボディ、1人ずつ独立した4脚のシート、普段見ているフロントグリルとは大違いのハーモニカのような顔、そこにズラリと並んだランプ類、何もかもが新鮮で斬新で驚きに充ちていた。そんな能書きを暗くなってから帰宅した母に、ボクはハイテンションでまくしたてた。あの時、母は何を思っていたろうか。子供と大人の垣根が厳然として存在していた時代、ボクはむしろそれが自然なのではないかと思っている。バンダイのマルツァルには大人と子供の間に浮遊していた夢と現実の記憶が残っている。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2007年03月27日 21:03 | トラックバック

2007年03月20日

昭和プラモデル物語(34)




 今では遠い追憶の彼方となってしまったスロットレーシングが大ブームとなったのは、今を去ること40余年の1965年/昭和40年のことであった。あの時分、小学校6年生であったボクも今では50を超えた立派なオヤヂとなってしまった。それでもあのブームを、そしてあのモデルカーたちを忘れられないのは何故だろう。今にして思えば大したメカでもない「ちゃちな」玩具でしかなかったのだが、そのシンプルさゆえに直情的に遊び心を揺さぶったのかもしれなかった。とにかくストレートにダイレクトに興奮と感動をもたらしてくれる遊びであったように記憶している。
 あの時代にスロットレーシングのモデルカーキットを買うことは、今の感覚で言えばラジコンモデルを買うにも等しく、おいそれと手の出る代物ではなかった。ボクが最初に手にしたのはコグレ1/24ロータスフォードであったが、その後、タミヤが参入するとタミヤのキットも随分と買った。最初に買ったのは恐らく1/24ロータス30であったろうと思う。ロータス30などという実車の存在は全く知らなかったが、モデルを初めて見た時には「カルチャーショック」のような衝撃を受けた。こんなにも地を這うような「ペッタンコ」なクルマがあるのか! まるでSF漫画に登場する未来社会のクルマのように思えた。何とカッコイイことか。一瞬にして魅了されたボクではあった。しかし、それはボクのみならず、スロットレーシングファンの多くがそうであったようだ。とにかく当時のベストセラーとなったやに聞いているが、実際、発売になって直ぐ
馴染みのサーキット場に行くと、8コース全部にこのロータス30が走っている、なんてことさえあった。コーナーでそのままシューンと真直ぐコースアウトしてしまうマシーンも多かったけれど(当時を知っている向きならご理解いただけよう…) 当時のこととて走っているのは大抵がクリーム色の車体であった。要するにモールド色のままということだ。当時はそうそうボディを塗装したマシーンはサーキットに走ってはいなかった。それにコクピット横のボディに貼られたコンペティションナンバー(実車に則したものを貼る感覚など無かったから、みんな各々の好みの番号を勝手に貼っていた)のサークルに、どれもが3箇所くらいの切れ込みが入っていて、それがちょっとカッコ悪かった…。
 やがてブームは終息し、ボクの手元にはくたびれ果てたロータス30が残った。ボクは他にもタミヤのキットはエルバマクラーレン、フォードGTスパイダー、フェラーリ330P2、ランチャフェラーリ、プリンスR380も買ったが、何故かロータス30だけがずっと無くならずに手元にあった。その後、随分と時を経てからモーターライズのロータス40も手に入れたが、やはりロータス30にこだわりがあったのか、改めてボロくなったロータス30のリメイクを一度敢行している。スケールモデルに手直ししようとして、上げ底のコクピットを切り取り、リアカウルのエアファンネル部に穴を開けたりした。しかし結局は完成することなく放置されてしまい、現在もそのままの醜態を晒している。今となっては後悔しきりである。こんな半端に手を加えるなら、そのままにしておけば良かった…どうにかダイキャストシャーシもFT-36モーターも残っているのだから。この状態を今度は逆に当時のオリジナルに戻すにはえらい手間である。なにしろタミヤのスロットカーは現在では超プレミア価格となってしまっていて、とてもでないが新たに入手するなど困難の極みである。取り分け人気車種のロータス30は「お小遣いで手に入る」ような代物ではなくなってしまった。
 ボクは仕事においても残念ながら実車のロータス30には巡り会えなかった。シャパラルの2シリーズの現存車は全モデル見ているが、それでもなおロータス30を見られなかったのは心残りになっている。まあ今となっては乗ってみたいとは余り思わないから、タミヤのモデルカーで充分である。しかし、この思いだけは未だに叶わない。仕事上の都合は別として、ボク個人の物欲だけで物を申せば、スロットカーはタミヤ1/24ロータス30だけで成仏してしまうだろう。それほどに願望の強いモデルなのである。仕事の上でもあちこちでニアミスしているから、なお一層のこと悪い。かくも永くフラストレーションを抱えていると健康にも障る。心が病める身が細る…「たかが玩具で何言ってんだか…」 恐らく世の女性ならそう言ってせせら笑うであろう。かくも男とは大人になれない生き物である。少年時代の思いを何時までも引き摺って生き続ける生き物である。ふと冷静になり客観的に見つめると「煉獄に捕われた哀れな罪人」のようにさえ感じる。こんなんでいいのか、自らにそう問いかけてみる。でも玩具にこだわり続ける人生なんて、おばかな生きざまもあっても良かろう。そんな風にしか生きられないのなら、真実一路、ただ突き進むのみである。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2007年03月20日 12:57 | トラックバック

2007年03月14日

昭和プラモデル物語(33)




 既に当該ブログで書いたと思うが、ボクはある意味において極端な性格である。白黒はっきりさせるとかそういう話ではなく、頃合、程々、ちょうど良いみたいなモノが好きにはなれないのだ。それはプラモデルのスケールにおいてもその僻が顕著に見られるようである。飛行機は1/32か1/144しか興味がなかった。1/72は基本的に余り好まず、1/48に至っては永いプラモデル人生の中で数えたら片手にも余るだろう。戦車は1/35よりは圧倒的に1/72、1/76を多く作ったし、そうでなければ1/15とか1/20の戦車に憧れた。軍艦もポケット何とかなどと云う名称の1/1000以上のミニスケールか、日本ホビーの1/250戦艦大和(ボクの時代には未だニチモ1/200が登場していなかった)ばかりに興味が向いた。これは既に性癖と言ってよい。別に悪癖だとは思わぬが、少なくともエキセントリックな指向であることには違いないのだろう。
 そうした性癖は自動車にも当てはまった。既にどちらも手放したが、350cu.inエンジンでも満足出来ず427cu.inにまで至ったのは、昔からの読者諸兄なら良くご存知のことだろう。その反面、昔から変わらず軽自動車が大好きである。取り分け360ccには今も断ち切れぬ思いがある。実際、過去にはホンダZ、フロンテ・クーペ、バモス・ホンダ、ホンダ・ライフ、スバル・レックスなどを乗り継いでいるのだが、圧倒的に360ccが多い…(それって単に年齢的な事情なのではないでしょうか…) そして、現在でもマイ・フェイバリット360ccはスズキのフロンテ・クーペに極まれり、な訳である。ボクが乗っていたのは茶羽根ゴキブリ色の2+2シーターのGXCF、勿論白ナンバー時代の37PSモデルであった。この全天候型DXレーシングカートは、ともかくドライバーをホットな気分にさせてくれる点においては天下一品なクルマで、本当の意味において「大人の玩具」と呼べるギアであった。車室オーバーヘッドコンソールに紫に妖しく瞬くムードランプなるものも標準装備であったことだし…それはまた別の意味になってしまうな…。ボクにとっては許されることならば、今でも手元に1台置いておきたいと切望する(1台で充分である…)クルマなのである。
 そんなフロンテ・クーペだが残念ながらプラモデル化はされなかった。別にプラモデルに相応しい対象ではなかったと言う訳ではなく、たまたまキット化されるタイミングを逸してエアポケットに入ってしまったと考えるのが正しい。こうした現象はたまにあってスカイラインGT(GT-XやGT-Rではなく、やはりGTだろう)/GC10系、つまり愛のスカイラインの時も同様であった。後になってから「しまった!」と何処のメーカーもが後悔した結果、その後継モデルとなったGC110系/ケンとメリーのスカイラインは、大バッティング・センター(網の中でバットを振る訳ではない)の様相を呈した。フロンテ・クーペもモデル化の時期を逸してしまい、嗚呼やっときゃ良かったなあと思った時は既に後の祭りであったようだ。そこで今度は遅れを取ってはなるまいと次世代モデルのセルボが登場するや、イマイとエルエスが先を競うようにして1/20スケールでモデル化した。だがセルボの登場は軽四輪を取り巻く環境の変化に対応してのものであって、決してフロンテ・クーペの後継車種ではあり得なかった。つい最近、セルボのネーミングが復活したが、あの最新モデルが物語るようにセルボとはアバンギャルドでラクジュアリーな、言ってみれば“おじょーちゃんの為のクルマ”なのだ。そして、それは初代セルボから科せられたコンセプトであった。カッコが似てるから「フロンテ・クーペ」の次世代機、末裔なのだと思い込んだ向きが多いようだが、それは大いなる誤算であり勘違いである。夢々セルボでフロンテ・クーペを語ってしまう愚挙を犯してはならない。まあ、今となったら軽四輪の歴史上でも格好良いモデルなんですけどね…。
 イマイとエルエスの1/20セルボCX-Gは決して悪くないキットである。まあ、ボクの好みから言えばシャキッとしているエルエスのほうに軍配が挙がる…いや、そうではなくて! どちらもそれなりに良いキットだから尚更のこと、このキットを見る度に「なぜにフロンテ・クーペではないのぢゃああ!」と苦悶している。因みにこのセルボのボディを切り詰めてフロンテ・クーペにしようと画策している向きは少なくないだろう。だがしかーし! 両車のフォルムは似て非なるものである。どこかを切って詰めても決してフロンテ・クーペにはならない。同一デザインによる別物をスズキは実に巧みに創り上げた。このセンスと力量にはただ感嘆するばかりである。まあ、言ってみれば「全体をじわ~じわ~と小さくするとフロンテ・クーペになる」…かもしれない。全く次元の異なるクルマであるだけに、スタイルも実は全く違う。この眼前に頂きが聳えているのに、登頂を拒む山のふもとに立つクライマーのごときフラストレーションを一体どうしてくれよう。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2007年03月14日 02:14 | トラックバック

2007年03月06日

昭和プラモデル物語(32)




 その昔、プラモデルが作りたくてたまらなかったように、オートバイや自動車に乗りたくて、運転したくてたまらなかった。作れればどんなプラモデルでも良かったように、乗れれば、運転出来ればどんなオートバイでもどんな自動車でも構わなかった。しかし自動二輪車免許を取得して37年余り、普通自動車免許を取得して35年余りとなった今、そうした激情にも似た気持ちは既にない。私より遥かに年齢の若い友人たちは「理想や願望にこだわって躓いているよりは、眼前の現実を楽しむほうが賢いのではないか」と言うが、ボクはそうは思わない。もう「取り合えず」とか「今のところ」で納得し我慢する気持はない。それは齢50を過ぎ、何とはなしに先が見えた気がしているからに他ならない。もとずっと若い頃はヤマハXV750をチョッパー風に改造して悦に入っていたものだが、今、仮に乗れるとしたなら自分の中にはハーレー以外の選択肢はない。自動車とて同じである。もはや自分の求めるものに対する思考は揺るぐことがなく、代用品、代替品では決して納得も満足も出来そうにない。これが大金持ちなら雑作もない。しかし、そうでないから苦悶する。かつて某政治家が口走った「貧乏人は麦を喰え」の喩えは口惜しいかな現代にも当てはまりそうだ。白米を追い求めながらも口惜し涙で麦を喰う。この場合、喰わねば死んでしまうので致し方ない。だが自動車なら乗らなくても死ぬことはない。少なくともボクの住まう首都圏近郊の環境においては。だから納得の行かないクルマに乗るくらいなら乗らない。歳のせいか(苦笑)妙なところで頑固である。
 ボクが最初にオーナーとなったクルマはホンダZであった。ライフをベースに水冷化され、NEWが冠についた時のモデルで仕様はGTLであった。ボディカラーは艶消しのゼロブラック、それにOPのストライプを自分で貼った。このストライプは通常白が基本なのだが、天の邪鬼なボクは敢えて赤を選択した。ちょっと見爬虫類のごとき毒々しい色味ではあったが、ボク個人としては大いに気に入っていた。このホンダZはその時点ではボクの理想の選択であり、満足こそすれ全く不満などなかった。それだけに今でもボクはホンダZが好きだ。そんな訳でプラモデルでもずっとホンダZには一家言あると云うかこだわり続けている。近年までホンダZのベストワンはオオタキ1/20と信じて来たが、実は最近その考えを少しばかり修正したところだ。オオタキに較べりゃやっぱり劣るよな~などと思っていたクラウン1/20がことの外に出来が良いのだ。ボディのフォルムはどちらも一長一短で、優劣を決定付ける要因は見当たらない。クラウンは「水中メガネ」と愛称されるリアゲートの形状の悪さで大部損しているが、それ以外ではむしろオオタキより良いくらいだ。ヘッドランプ部分のボディパネル形状などは真ん丸に抜かれているオオタキより実車を正確に再現していたりする。まあ、そうは云っても車室、ホイールやタイヤなどが余りに稚拙なので、総合評価としての高得点は与えられそうにもないが。
 オオタキもクラウンも空冷の最初期モデルで仕様はGSである。当然、ボク個人としては水冷モデルに仕上げることを夢想して来た。しかしホイールベースが延びているので、それは簡単な改造では済まない。その昔だったら必死で挑んだやもしれぬ。そして一気呵成に最後期モデルのハードトップにもチャレンジしたろう。だが、今更それもあるまい、などと達観している。昔のキットはそのまま仕上げるのが平和かつ無難である。元気・天気・呑気で過ごすのが健康の為にも宜しい。第一、絶版と化したレアなキットを色々といじり倒すのはキットに対して失礼ではないのか。勿体ないお化けだって出ちゃいそうだ。今のご時世なら1/43や1/18で立派なダイキャスト完成モデルも期待出来るから、わざわざ古いプラモデルで悪戦苦闘することもあるまい。と、建て前ではクールなことを言ってみたりもするのだが、根っからのプラモ小僧の本音はやはり別なところにあったりする。プラモデルを原型を留めないまでに改造する、それがボクたちの世代では格別なJOBである。そうした手合いは崇拝と不審を一身に集め…一寸ばかり露骨な皮肉が過ぎたようだ。もう止めにしておこう。
 本来であればオオタキ1/20ホンダZを作りたいと願っていた。しかし、現存数が少ないからか入手は決して容易くはない。それに較べてクラウン1/20ホンダZなら何とでもなる。だからと云ってクラウンのキットではお茶を濁すような感覚でその気になれない。だからボクの中でのホンダZは封印され続けて来た。だが改めて精査してみて自分の認識が間違っていたことに気付いた。永年のフラストレーションが一気に晴れた気分である。納得し満足したことによってクラウン1/20ホンダZは、ボクの選択肢に直球ストレートを放り込んで来た。昔のキットとて色褪せるばかりではないのだ。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2007年03月06日 21:25 | トラックバック

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