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2007年04月04日
昭和プラモデル物語(36)
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国産プラモデルの曙は潜水艦によって始まった。それが1958年/昭和33年に発売されたマルサン商店の1/300アメリカ海軍原子力潜水艦SSN-571ノーチラスであることは余りにも有名である。そして、それに続いて発売された日本模型の伊号潜水艦はゴム動力で推進し、船体に空気を送り込むことで潜水や浮上を行なう機構が人気を呼んだ。マルサンのノーチラスが米レベル社製品のコピーである為、アクションやギミックを持たないディスプレイモデルであったのに対して、日模の伊号潜は遊べることで子供たちからは絶大な支持を得た。更にこれ以降も国産プラモデルの草創期には潜水艦が氾濫した。山田模型のミサイル潜水艦、同UボートX-102、一光のスーパーサブマリン・マックス、同ミサイル潜水艦スコーピオン、日本ホビーの原潜ノーチラス、小暮模型のジョージワシントン、緑商会のイ号、ロ号潜水艦、東宝模型の原子力ミサイル潜水艦ハリバットなどなど、いちいち挙げていたらきりがないほどである。
何故にそれほどにまで潜水艦だったのか。かつて金型設計をされていた技術者の方に伺ったところによれば「最も金型を作るのが容易かった」からだそうだ。確かにどこのメーカーもいきなり難度の高い製品は作れなかったのだろう。だが、それだけではあるまい。国産プラモデルは当初より動力モデルが主体であった。それはプラモデルが欧米の模型文化とは異なり、日本独自の玩具文化から発祥した為と考えると合点がいく。自動車よりはアクションが面白く戦車ほどはコストがかからない。動くプラモデルとしては潜水艦が最も手頃でありながらうま味があったということかもしれない。
それでは潜水艦の動力模型を一体どこで動かすのか。潜水艦であるからには水辺でなくてはならない。現代ではかなり困難なことのように思えるが、その昔、我々の暮らしの中に水辺はかなり沢山あった。ちょっと裏山を超えて行けば川が流れ、水田や畑の近辺なら小川、農業用水路、一寸汚いがどぶ川、あるいは池、沼、防火用水池など、余程の都心でない限り、関東近郊でもそんな水辺は生活圏の中に幾らでもあったのだ。そうした自然の恵まれていなかった子供たちは銭湯や市営プール(昔の子供は公営プールしか行けなかった)でこっそり試したりもしたようだが、大抵は近所の恐いおじさんや生真面目な監視員に見つかって怒られては断念したのだった。因みに学校のプールは論外であった。今の子供のように夜遅くに出歩くことは出来なかったし、仮に無謀なチャレンジャーと化したとしても、竹刀片手にジャージ姿の保健体育の先生か生活指導の先生にこっぴどく叱られるくらいが関の山であった。
川は例え小川であったとしても模型の船には流れがきつくて不向きであった。農業用水路のようなところでも流れに飲まれたり揉まれたりした挙げ句、土手や水草に突っ込む水難事故と化した。極力、波立つうねりや水流の無いところ、そうなれば沼や池が最も環境的には相応しかった。ただ沼は時に河童が出没したし(嘘である)、池は魑魅魍魎が「置いてけ~」などと脅かしたり(これも嘘である)するので、親には知られぬように遊びに行かねばならなかったが。そして勇んで進水式となり、浮かんだ瞬間には歓声が上がる。その歓声が悲鳴と嗚咽に変わるのもまた直ぐであった。沈没である。時には轟沈の悲劇もあった。だが最も悲しいのは見事に航行したものの、手の届かない辺りまで進んだところで機関停止して漂流、岸から必死で竹竿や枯れ枝などで手繰ろうとはするものの思うに任せず、遂には眼前で水没してゆくさまを呆然と見る、という光景であった。何しろ当時の「水モノ」プラモは完璧な設計ではなかった。防水性、気密性は考えられてはいても貧弱なものでしかなく、ましてや「いーからかん」にしか組み立てられない小僧たちが作った代物であるから、水難事故は全国で多発した。あの時代、一体どれだけの潜水艦や艦艇のプラモデルが日本中の川や池に沈んだことだろう。恐らくその数たるや天文学的数値を示すだろう。
この時代の潜水艦プラモの中でも山田模型のUボートX-102(Uボートとは名付けられてしても架空の潜水艦である)は、500m以上にも渡って自動浮沈を繰り返しながら航行するという本格派であった…らしい。と言うのも、ボクは誕生会に友人からプレゼントされたのだが、モーターと電池を買う財政的余裕が無かったので、ハリボテとしてしか作った経験がない。ただ作るだけだと潜水艦ほどつまらぬプラモデルもまたない。あっさりと完成してしまうし組み立て行程の醍醐味もない。このX-102は単純だが水圧を利用した原理のユニークな自動浮沈装置を備えていて、今でも興味津々なキットである。少年時代には叶わなかった実際に航行するさまを是非見てみたいものである。今ならモーターも電池も奢って作ってやれる。ただ問題なのは、どこで動かすか、である。子供の頃あった水辺など全ては宅地化で消えてしまった今となっては…。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2007年04月04日 21:38
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