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初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

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2007年05月01日

昭和プラモデル物語(40)




 1964年/昭和39年の開業当初、夢の超特急と呼ばれた新幹線も、今では誰もがごく当たり前のように利用する観光、ビジネスの日常的移動手段となっている。戦後の日本は昭和39年の東京オリンピックを契機に大きく変貌したのだが、この新幹線もその昭和39年に誕生した。戦争で失った国家の威信を取り戻す為には、文化、経済、その他あらゆる分野において“Made in Japan”を世界中に広め、認知させねばならなかったが、新幹線とはまさにそうした存在の急先鋒であり、国内的には「純国産」により国民感情を鼓舞し啓蒙しうる存在の象徴であった。
 新幹線は戦前の軍国主義が生み出した「弾丸列車構想」をその起源とするが、経済立国となった戦後においては日本列島を大量かつ高速に結ぶ輸送手段となって実現を見た。それまでの特急は東京大阪間の電化と日帰りの実現で注目されたが、新幹線の登場はそれを劇的に上回る営業を可能とした。当時、鉄道が時速200km/hを上回る高速で運行されることは驚愕すべき出来事であり、まさしく「夢の超特急」と呼ばれたことは大袈裟ではなかった。当然、新幹線は子供たちにとっては乗り物のトップスターとなり、その運転手は憧れの職業の第1位となる。台頭しつつあったプラモデルの世界でも、そうした逸材を見逃すわけもなく、田宮、静岡教材など多くのメーカーがモデル化している。だからボクたちは大人になった現在でも新幹線には格別の想いが残っていて、クリームとブルーのツートーンに塗られた、ぬるっと丸いスタイルに言い知れぬ親近感を抱き続けているのだ。だが時代の移り変わりはいつの間にか新幹線にも変化を要求し、気がつけばあの慣れ親しんだ丸い顔の車輌は姿を消していた。ボクは仕事上、静岡や浜松への用向きが多かったのだが、こだまに乗る度に塗装がやれて、所々塗膜にヒビの入った「くたびれた車輌」が嫌だった。たまには新車輌のひかりに乗りたい、などの思いが頭をよぎった。だが、気付けば「くたびれた車輌」が100系になっていた。その100系さえ既に退役してしまって居ない。ましてや0系なぞもはや遠い昭和の追憶でしかないのだ。それでも0系(当初は0系などとは呼ばれなかった。100系以降の登場によって、識別目的から0系と呼ばれるようになったのだろう)こそが新幹線との思いは今も強い。八の字眉を連想させる運転席の窓、往年の最新鋭ジェット戦闘機を思わせるレドームのようなノーズコーン。新幹線の車輌デザインがどんどん列車のイメージから遠退く現在、0系の顔はモスラの幼虫のように愛らしく映る。まさしく'60年代の丸みである。
 東京シャープの新幹線こだま号(Nゲージと表記される)は、100系が登場する'85年以前の、0系が新幹線を代表する主役であった時代最後を飾るキットであったろうか。いわゆるプラモデルのスタンダードたる100円キットという装丁であるが、発売時期がオイルショックの頃であったためか定価は200円となっている。内容は何とも長閑なものである。先頭車輌、客車、鉄橋付レールのセットで、Nゲージとは称しているものの「今流行り?のショーティモデル」で厳密なスケールモデルではない。コロ走行の車輪も各車輌2軸4輪。車体を走るブルーの帯が紙製シールなのは、かつての食玩を彷佛とさせる。確かに東京シャープというメーカーは「今どき未だこんなキットを作って売ってるのか」と呆れさせるようなメーカーではあったが、まさに東京シャープらしい典型的な時代遅れ(発売当時にあってもだ)のプラモデルであった。恐らくプラ製車体のNゲージ鉄道模型が隆盛し始めた頃に企画された時流便乗商法だったのだろう。日本の列車シリーズと称しており、この「こだま号」はシリーズNo.2。シリーズNo.1は当然ひかり号(0系である)であった。キットの中身はともかくとしても、パッケージは実写でなかなかに説得力を持つ。恐らくはこの写真の箱で欲しくなってしまう子供たち(中には大人も居たろう…)も多かったに違いない。ただ知ってか知らずか編成の最後尾車輌を撮影しているところがリサーチ不足というか微笑ましいというか…こうしたところが東京シャープならではと言えないこともない…。
 地下鉄銀座線が黄色くなくなって桃太郎電鉄になってしまい、赤に白帯の丸の内線はアルゼンチンの地下鉄となってしまい、JR線が無塗装ステンレス車輌と化してしまった昨今、新幹線といえばカモノハシのような700系なのかもしれない。しかし激動の昭和に、国家の祭典東京オリンピックと共に誕生した0系新幹線こそが「新幹線の中の新幹線」と信じて疑わない。英国国立鉄道博物館では英国が誇る世界最速の蒸気機関車マラードの隣に0系新幹線が展示されているくらいだし…。しんかんせん…何気ないこの言葉が40年前にはとてもワクワクと胸躍るフレーズとして耳に響いた。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2007年05月01日 14:53

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