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2007年05月08日
昭和プラモデル物語(41)
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「国産」という話題が何度か続いたが、ボクは別にナショナリストではない。三菱ジープ(H-J59)に乗っていた頃、右翼の街宣車にスピーカーで「前にどうぞっ!」とガナられ道を譲られたことがあっても国粋主義者ではなく、東名高速某SAで駐車場に入れようとしたら、演習帰りの自衛隊73式小型トラック(旧)の群れのほうに誘導されたことがあっても軍事マニアではない…。強いて言うなら'60年代少年雑誌の戦記ブームに洗礼を受けた世代であり、戦闘機や戦艦や戦車ばかりだったプラモデルに影響されたメカ好き世代である。要するに他愛の無い罪無き(自分で言うか…)カッコイイの大好き少年の成れの果てである。ボクたちの少年時代は軍事兵器が大変貌を遂げた革新の時代であった。戦闘機はプロペラが消えて音速などという得体の知れない世界を飛ぶ機械となり、軍艦は原子力で半永久的に航行する動く要塞となった。音速飛行する飛行機が如何にもそれらしい格好をしていたのも束の間、F-4ファントムなどという最新鋭機はクジラのような姿をしていながらもマッハ2で飛ぶと聞き驚かされた。最早、速く飛ぶことは特別ではなくなりつつあった。戦争前までは軍事技術後進国のように思えたアメリカやソ連が今や世界の最先端を突っ走っていた。
日進月歩で飽くなき進化を遂げる世界の最新兵器を、少年雑誌のグラビアや冒頭特集で常に学んでいたボクたちは一端の軍事アナリストであった。そんなボクたちにとって自衛隊とはどうにも歯がゆい存在に思えた。何とも貧弱で旧式な兵器ばかりが目立ち、韓国や台湾、フィリピンなどの国軍のほうがずっと装備が進んで見えた。当時は世界の政治情勢や軍事バランスなぞ全く知らなかったから、単純にそんな風に比較しては物足りなさに不満を募らせた。それに何よりも自衛隊はアメリカのお下がりばかり、それも古くなってもうお払い箱のようなモノばかりがあてがわれていて、国とは戦争に負けるとこんなにも惨めなものになってしまうのかと劣等感ばかりを脹らませていた。1965年/昭和40年、防衛庁は一般から公募して現有航空機に「和名のペットネーム」を付けた。兵器を日本名にすることで広く親しんで貰い、憲法と自衛隊の微妙な国民感情を緩和させることが狙いだったのかもしれない。最新鋭戦闘機F-104Jスターファイターは栄光、F-86Fセイバーは旭光、F-86Dセイバーは月光、T-33A練習機は若鷹、C-46コマンド輸送機は天馬、ビーチクラフトT-34Aメンター練習機ははつかぜ、ロッキードP2V-7ネプチューン哨戒機はおおわし、グラマンS2F-1トラッカー哨戒機はおおたか、などなど…。子供心にもダサい、と思った。飛燕、隼、鍾馗、疾風、雷電、紫電…それまで慣れ親しんだこれらの名称の何とグッと来ることか! そしてその名と機体のイメージの何とピッタリ来ることか! それに較べて自衛隊機の新名称は何れもピンと来ない感じのものばかりに思えた。ハチロクデーが月光なのかあ…往年の月光とは余りにも心情的に印象がかけ離れ過ぎているよなあ…第一国産じゃねーし。ボクたちプラモデル小僧は大抵がこの新たな和名を拒否するのだった。
そんな中、ようやく国産初のジェット機、富士T-1Aが登場する。ジェット機とはいっても戦闘機ではなく、あくまでも練習機ではあったが、とにもかくにも戦後最初の日本人が設計した国産ジェット機であった。ちなみに和名(当然というか英名は持たない)は「初鷹」と命名された…。初飛行は1958年/昭和33年、当初イギリス製ブリストル・オーフュースMk-11ジェットエンジンを搭載したT-1A、続いて石川島播磨重工J3国産ターボジェットエンジン搭載のT-1Bが登場する。プラモデルマニアで軍事フェチの当時の少年たちにとって国産ジェット戦闘機(民間機ではないという意味だ)はまさに誉れの極みであった。そして、そうした気運を察しての登場だったか否かは知らねども、当時は新進気鋭のメーカーであった日東科学/ニットーが1/75スケールで富士T-1Aをキット化した。折りしもニットーは1/75で航空機の分野に本格参入しつつあった時期で、この富士T-1Aはかなりリキの入ったキット内容でもあった。ボックスアートにも「自衛隊機 富士重工 富士T1A」と描かれているが、それが如何にも誇らしげでもある。全体の印象はニチモの100円シリーズを良く研究したなという感じで、プロポーション、ディテール共にまずまずの仕上がりだった。機体表面にリベットを穿たず凹モールドの筋彫りなのが近代的でシャープな雰囲気であったが、主脚が固定なのにカバーだけは開閉するなどの不自然さも見られた。他にエルロンとキャノピーが可動する。飾りスタンドは自在球付き、Airplaneの文字を象ったアーム、地球の北半球を模したデラックスなベースの、当時のニットーの飛行機プラモを象徴するデラックスなもの。国産であることがセールスポイントと考えられ、それ故より一層の精力が傾けられたプラモデル、今にして思えばそんな印象を強く持つのだが、それは余りに穿った物の見方なのだろうか…。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2007年05月08日 14:47
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