« モデルカーズ的こころ(01) | トップ | モデルカーズ的こころ(03) »
2007年07月24日
モデルカーズ的こころ(02)
モデルカーズという書名も未だ決まってはいなかった。ただプラモデルを主体とした自動車の模型の本を創りたいという原案の段階であった。発案者は当時、企画室ネコに在籍していたMクンだった。フラップ式サングラスの付いた眼鏡と髭がトレードマークの、見てくれはボリショイサーカスの熊ちゃんのような男である。この男とボクとはウマが合った。と言うより編集者としても大人としてもデキた男で、決して我を通そうとはせず、しかし主張は安易には譲らず、人を立てる事を知っていて、自らは黒子に徹する「編集者の鑑」のような男であり、彼の人柄に随分と助けられたというのが実際のところだった。自動車模型の本は彼と二人でコンセプトを煮詰めていった。切っ掛けは「渡りに船」とはいえ、ボクはボクで気合い充分、彼に助けられながら次々と具体案を提示していった。業界誌のモデルアートや航空情報でライターをしていた経緯もあり、自らの「プラモデル歴25年の集大成」を注ぎ込もうと意気込んでいた。
ボクたちの当時のスタンスは業界誌どころか、既存の出版社からも乖離した位置に居た。既成の書籍や雑誌では出来ない事への挑戦、それはとりもなおさず読み手が本当に求めている内容の本を創るという事だった。理想と希望と野望に燃えていた。業界誌ではないので「メーカーのご機嫌を損ねる」事を心配する必要もなく、クライアントの都合で編集方針を偏向する謂れもなかった。純粋にマニア目線の編集方針を貫きたかった。それはある意味、高貴なアマチュアリズムに過ぎなかったが、出版界とも業界ともしがらみのなかった当時のボクたちにはそれが可能だった。
先ずはお定まりのキット解説や製作記事を廃した。重箱の底を突つくようなインプレッションや工作ガイドは、読み手側に判断してもらい任せるべきと考えた。年少者向けのハウツー本は要らない。そうした基本を既に会得している大人のマニア、モデラーを対象にした内容にすべきと判断した。大人なら「ここをああしろ、こうしろ」ではなく、自分なりの感性と技術で向き合いたい筈である。模型という分野の精神年齢をもっと引き上げたい、それがこの本に科すべき命題であった。「大人が作る、大人による、大人の為の」アダルトな模型雑誌、ボクたちはそれを基本コンセプトとして掲げた。
次に模型雑誌の主流を占める「新製品ばかりを取り扱う」編集方針も採用しない事とした。自動車の世界は実車も模型も最新モデルばかりが話題にされ続けていた。セリカが登場すれば実車も模型も誌面はセリカ一色に染まったが、果たして日本中のファンがそれを望んでいるのか。そうした疑問はボクの中にかねてより強くあった。未だ世間にはヴィンテージとかヒストリックなどの言葉は一般化してはいなかったが、クルマそのものを趣味として捕らえるならば、新型モデルばかりが興味の対象でもあるまい。古い時代にさかのぼる面白さだってきっとあるし、それを求めている潜在的マニア層も多いに違いない。それはMクンとて同じであった。話し合いの中に二人は意志の疎通を深めていき、次第に新たな本の骨子は確固たるものになっていった。こうしてMクンとボクとは車の両輪のように良きパートナーとなりティームとなった。新たな本の誕生は間近に迫っていた。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2007年07月24日 19:24
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hobidas.com/blogmgr/mt-tb.cgi/19395

