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2007年09月04日
モデルカーズ的こころ(07)
モデルカーズ創刊号(それは後になってそう呼ばれたのであって、当時、ボクはスポット、単発、これっきりと思って編集執筆していた。ホンダCB750K0みたいなものである…)には全力投入した。ボクの模型歴25年の集大成のつもりであった。今にして見れば「何だ、こんなモンか」とも感じるが、当時のボクとしては全精力を傾けた。それだけにここぞとばかりに「ボク個人の思い入れ」もふんだんに記事にした。それが「僕の永遠の憧れ ジム・クラーク」であり「日の丸がまぶしかった 僕たちのヒーロー、テツ・イクザワ」であった。
ジム・クラークはボクが少年だった時代からの憧れであった。既に'68年のF2レースで事故死していたが、そうした人物やマシーンを対象にメモリアル的記事にしたためるのは余り一般的ではなかったかもしれない。読者層に支持されるか否かが甚だ疑問な記事内容であったが、ボクにとってはそんなことはどうでも良かった。表現者としてのボクにとって触れずにおけない、書かずにいられない、何かに突き上げられるような気持ちがボクを独走させたのだ。採り上げたのは英ウイリスファインキャスト製の1/25ロータス25。ボクにとっては初めてのホワイトメタルキットだったように記憶する。かねて原宿のキディランドだったか、どこかの店頭で見てその存在は知っていたものの、プラモデルばかりを作って来たボクにとって、既に古く出来も余りよろしくなく、しかも馴染みのない金属モデルなどは敢えて作ってみたいとも思わなかったのだが、メイクアップのショールームで改めて出逢い、どうしても手掛けてみたい衝動に駆られたのだった。それにロータス25など当時は全くモデル化されていなかったことも惹かれた要因として大きかっただろう。案の定、凄まじいキットで閉口したが、人間情熱さえあれば何とかなるものである。未だパソコンなど存在していなかった時代なので、コンペティションナンバーなどは東急ハンズ(今は無き藤沢第1号店だった)でインレタを必死に探した。メタルプライマーやサフェーサーも初めて使用したように記憶する。しかし、1.5リッター時代のF1はフルカバードでエンジンが露出していなかったし、ボディシェルも単純な葉巻型なので、現代のF1 のような煩雑さは一切無く助けられた。それだけに出来上がったその姿は美しかった。現代のF1のようにハイテクの塊の「訳の分からない機械」ではなく、未だ人間が御さねばならない自動車だった時代のマシーンである。コンペティションナンバー4、'62年オランダGP優勝車、ボクも模型を作ることが楽しくて仕方がなかった時代であった。
全ては男が命がけでロマンを追った時代へのオマージュだった。スピードとスリル、そしてその先にある栄光、それらが生と死の背中合わせだった時代へのレクイエムだった。そこには模型の本を創ろうとする意識など無かった。ボクというひとりの模型好きを通じて何かが伝われば良いとしか考えなかった。それは余りにも独善的だったが、それでも共感してくれる同好の士はきっと居るに違いないと信じて疑わなかった。女という生き物が即物家で現実論者なら、男という生き物は夢想家で理想論者だ、とボクは思う。だからレースなんぞにうつつを抜かす。模型なんぞに夢中になる。要するにガキなのである。そんな男たちの水先案内人になりたい、その時のボクは心からそう願っていた。何とも厚かましい限りだが若気の至りなのであろう。今になってみれば気恥ずかしくもあり、また誇らしくもある。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2007年09月04日 17:20
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