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2007年09月11日
モデルカーズ的こころ(08)
ジム・クラークと共にボクにとっての青春譜のひとつであったのは日本人初の国際級レーシングドライバー、生沢 徹であった。モータースポーツ後進国であった当時の日本にあって、世界の檜舞台でレーシングドライバーとして活躍することは夢のまた夢であった。そんな時代の中で孤軍奮闘しF1への永い道程を這い昇り続ける生沢 徹の姿には感銘を受けた。しかも企業や財力といった後ろ楯もなく、ただ独り挑戦を続けるその後ろ姿にはもはや悲壮感さえ漂っていた。たったひとりで海外へ旅行することさえ大冒険のように思われていた時代であった。己のみを頼りとし「一匹狼」と呼ばれた生きざまは、平凡な人生から逃れて何か自分らしい生涯を送りたい、と夢見る当時の青年たちにとって憧れであり理想であった。当時の若者たちは皆アイデンティティー探しの旅にさすらっていたのだ。生沢 徹はまさに格好の理想像であった。
そして'64年からは日本製F1たるホンダがロータスやフェラーリ、BRMなどと世界の檜舞台で覇を競っており、日本のモータースポーツファンにとっては日本製マシーンで日本人ドライバーが世界のGPで活躍することを夢見ていた時期でもあった。当然、ホンダF1のシートに最も近く、いつかは実現するに違いないと生沢 徹には誰もが期待した。しかし、結果的には志し半ばにして「刀折れ矢尽きる」ように生沢 徹の世界への挑戦は終わる。それは残酷さ、儚さを避けて通ることは出来ない人生の挫折という教訓でもあった。だからこそ一層ボクたちは共感したのだ。生きることはかくも厳しい、ひとりのスーパーヒーローが身をもって教えてくれた現実を、ボクは記事にしたためアピールしたかったのかもしれない。そして生沢 徹が栄光の頂点への道筋で苦悶し嗚咽し苦闘したマシーンはその象徴のように思われた。ボクはそんなマシーンを万感の思いをこめて作った。選んだのは旧エレール、当時はユニオンの1/24ブラバムF3、そしてニットーの1/24ホンダS800の2台。仕様は'67年ブランズハッチF3レースに出場した際のブラバムBT21コスワース、そして'67年ニュルブルクリンク500kmで総合11位、クラス優勝を飾ったRSC仕様のホンダS800を選択した。どちらも生沢カラーであるホワイトに日の丸のジャパン“ナショナルカラー”である。どちらもコンペナンバーはインレタ、日の丸はペイント仕上げで、生沢のパーソナルマークである丹頂鶴のエンブレムは、ブラバムのデカールから流用したように記憶している。ブラバムはチューブラーフレームのシャシーとボディカウリングが脱着出来るようにしたが、このキットはストレート組みするだけでも中々に難物であった。ホンダS800はキットがS800Mなのでボディを多少修正した程度だが、実は製作時間短縮を目的に、撮影アングルでブラインドになる部分は完全には仕上げていない…。その分、生沢 徹の1/24フィギュアを作って撮影アクセサリーとした。フィギュアはタミヤ1/24キャンパスフレンズセットを骨組みにエポキシパテで自作したものだ。
のちに取材で生沢氏ご本人にもお目にかかったが、「年月とは惨いものだ」と密かに思ったのを覚えている。ご本人が見ておられたら大変ご無礼なことであるが、あの女性のようなハンサムボーイの面影は既に無かった。かく言うボクも歳を取った。今は昔、全ては忘却の彼方の遠い思い出である。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2007年09月11日 19:17
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