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2007年10月17日
モデルカーズ的こころ(13)
モデルカーズ通巻4号には今ひとつ忘れられない記事がある。「マルサンの残像」と題した特集がそれだ。プラモデルメーカーであるマルサンが消滅して当時既に20年、人々の記憶の中でも遠い追憶の彼方のブランドとなっていた頃だ。マルサンは国産プラモデルの始祖として歴史に名を残しているが、実は当時取材を開始して初めてマルサンが企業として存続していることを知った。デザインこそ多少異なっていたが、工場の壁に掲げられたマルサンの丸いブランドマークに郷愁を掻き立てられたのは言うまでもない。
ボクがマルサンの石田 實社長宅を初めて訪ねたのは水温む春の頃だった。当時、石田氏は上野不忍池のほど近く、台東区池之端にお住いであった。不忍池界隈には桜吹雪が舞っていたのを良く記憶している。既に石田社長は体調を崩されており、ボクが伺った時は既に手術の為のベッド待ちをされているとのことであった。ボクの取材意図を理解して下さり、そんな体調をおして取材に応じて下さったのだった。自らをテキ屋と呼び、マルサン商店の前身時代の話を伺えたのは貴重な体験であった。その後、程なくして石田社長は物故されたが、あの嗄れ声のべらんめえ口調は忘れられない。
その後、マルサンのプラモデル部門を実質的に率いられていた元ミノル合成専務、五島 彪氏を船橋のご自宅へと訪ねた。五島氏はとても実直な方でボクはとても良くしていただいた。都合、何度もお話を伺いにご自宅を訪ね、何か分からないことができると五島氏に尋ねることが習慣のようになっていた。その五島氏も既に逝去されて久しい。
金型の現場のお話は現秋東精工社長、柴田幹雄氏から色々と伺えた。かつて秋田から裸一貫で上京しマルサンで住み込みで働いた経験を持つ柴田氏には、マルサンの旧マルサン共同作業所、旧マルサン精機、旧ミノル合成など旧関連施設跡をわざわざクルマで回って下さったり本当に良くしていただいた。F-111の金型を製作中のある日、マルサン倒産の知らせを聞いた思い出などは、伺うボクにも胸に迫るものがあった。
台東区寿(旧浅草寿町)のマルサン商店本社社屋跡は、ほぼマルサン時代の面影をそのまま残しており、当時はマツケイという玩具問屋になっていた。許可をいただいて社屋内に入ったが、年季の入った太い梁に支えられた木造の薄暗い土間に立つと、マルサン時代の光景が眼前に浮かぶようであった。そして茨城県小貝川のたもとに建つ旧マルサン茨城工場の外壁に微かに残る「赤丸に黒字でSAN」のブランドロゴマークを発見した時には、万感迫るものを感じカメラのファインダが滲んで見えた。これらの事柄は何れも記事にしたためたが、それには後日談がある。それは幾年も後、小松崎 茂画伯の元に取材に伺った際のことだ。ボクの仕事を理解していただくことを目的に、名刺代わりにモデルカーズ4を持参したのだが、その翌朝、先生ご自身がボクに電話を寄越された。開口一番「あんた凄い人だねえ。マルサンの記事、一気に読みました。小貝川のたもとでマルサンのマークを見つけたくだりなんて、涙出ちゃったよ」と、一気に20分ほどもまくし立てられた。ボクにとっては最高のお誉めの言葉であった。あの小松崎先生がボクの仕事にそんな評価をして下さった。それは今もボクの人生における最高の勲章となっている。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2007年10月17日 16:37
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