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2007年10月25日
モデルカーズ的こころ(14)
ボクは孤高の戦士が好きだ。そして望みなき戦いの末、非業の末路を辿るような儚さが好きだ。だから映画としては大したものではなかったが“ラストサムライ”の自滅的終焉には共感してしまう。それゆえ損な役回りばかり選んでしまうが、それがボクの美学であるので致し方ない。なので(なので、の意味は分かる人だけ分かって下さい)シャパラルが少年の時分から好きだった。'60年代のカーマガジン(ベースボールマガジン社刊)でボクが最も愛し憧れたのはシャパラルであった。当時はチャパラルと呼ばれていたが、後年逢ったジム・ホール自身は“シャパラール”と発音していた。
シャパラルは他に先駆けてレーシングマシーンにFRP製のバスタブ型モノコックシャーシを、オートマチックトランスミッションを、可変式エアロフォイル(ウイング)を、エアロダイナミクスボディを、補助動力でファンを回すことによってダウンフォースを発生させるグランドエフェクトボディを実戦投入したことで知られる。それは当時、奇抜なアイデアとして半ば嘲笑されイロ物キワ物の扱いをされたが、シャパラルが時代をいち早くリードしていたことはのちのレーシングシーンが物語っている。シャパラルのオーナーでありデザイナーでありドライバーでもあったジム・ホールは、テキサスの石油成金にしてカルテック出身の秀才で、180cmを超える長身と端正な顔立ちも合わせ持つ。まさしく天が二物を与えた典型例で、ボクたち凡人にとっては羨ましくも妬ましい恵まれた生きざまの男であった。可変式のウイング(当時シャパラルではフリッパーと呼んだ)をはためかせ疾走する姿から「白い怪鳥」と呼ばれた2シリーズは文句なくカッコ良かった。ただ、当時の日本国内では未だヨーロッパ権威主義が色濃く、アメリカのモータースポーツを軽視する傾向が強かった。それゆえカンナムシリーズ用マシーンであった2/2A/2C/2E/2G/2H/2Jは余り高い評価を得られず、ヨーロッパの世界耐久選手権に遠征した2Dだけが「真っ当なレーシングカー」として取り扱われていた。
モデルカーズでシャパラルの特集を組んだ際にもそうした過去の経緯を踏まえれば、必然的に2シリーズの中では2Dにのみウエイトを置かねばならなかった。しかし1965年に大フィーバー(死語である)したスロットレーシングカーブームの際のモデルを除けば、その後のプラモデルでもダイキャストミニカーでもシャパラルは皆無に等しかった。良くもこれだけ徹底して異端視されたものだ。たまさか当時、勢いをつけつつあった英国マーシュモデルが1/43シャパラル2Dを新たに発売し、それに合わせるようにしてシャパラルの特集を組んだ。当然のこととして1/24モデルも必要とされたので、当時、モデルカーズが誇る製作スタッフのひとりであり、国内におけるスクラッチビルダーの第一人者であった岸田慎一氏に特集用の1/24フルスクラッチモデルを頼んだ。現在では考えられぬ贅沢な企画である。そして、それだけでは勿体ないので、そのモデルをモデルカーズ読者にも還元すべく、レジンレプリカを誌上で限定販売した。岸田氏自身のフィニッシュになる完成モデルとキットフォームのふたとおりの形態であったが、予想以上の反響を呼んで即日完売となった。その後はモデラーズからも発売されたのはご承知のとおりで、20年の歳月を経て「いっときのシャパラルブーム」は熱い盛り上がりを見せたのだった。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2007年10月25日 22:50
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