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2007年11月20日
モデルカーズ的こころ(17)
ALWAYS三丁目の夕日の続編が予想外にブレイク(今どきベタな表現である)している。劇場は満員御礼が続いているが、その客席の年齢層は驚くほどに高い。昭和30年代に対する単なる郷愁もあるのだろうが、あの物語りには毒がない。そこが平穏無事を望むシニア層には好まれるのだろう。登場人物はすべからず良い人だ。朴訥として誠実で真面目で人生ときちんと向かい合って生きている。つまり安堵できる物語りなのである。ボクら物書きの感性からすればヒロミは去ってしまい戻って来たりはしない。トモエはもっと心が揺れ動いてしまう。人生の悲哀を強調しようとする。それがドラマだ。だが先行きが見えてしまう(表現に工夫がなくて申し訳ない…)と、行き着く先は心穏やかで何事も起こらないことを望む。あり得ないシチュエーションの疑似親子が本当の家族となって幸せに夕日を眺める、そうした結末を自分の人生にも投影し穏やかな安心を感じる。そこが受けるキモではないかと考えている。
かつてモデルカーズで「ディオラマ、その小さな世界」と題したシリーズ企画を連載した。昭和30年代の町並みをダイオラマで作り、その世界の住人の儚く切ない日常の機微を物語りとして創作した。それまでダイオラマといえば戦場風景とイコールであったのだが、初めてダイオラマに戦場を離れた「庶民の何の変哲もない日常の暮らし」をテーマとして選んだ。それはまさしく三丁目の夕日とカブっていたのだが、以前にも書いたようにコミックスを読まないボクは、実のところ「西岸良平作品である漫画の三丁目の夕日」そのものを知らなかった。ボクがこのテーマに閃いた直接のきっかけは、LS1/32ダイハツミゼットとマツダR360クーペが発売されたことによった。この2台のモデルを見た瞬間に少年時代の淡い光景が甦り、あの木と土と空気の時代をミニチュアで再現してみる気になった。それは誰の心の襞にも残されている「過ぎ去りし日の感傷」として共通テーマになり得るのではないか、そう考えた。ボクたちは木造の家に暮らし土の道の上を歩いた。空はいつも広く、喧噪とは人の暮らしであって自動車の騒音ではなかった。誰もが春夏秋冬の四季を愛で、衣食住も四季を中心に回っていた。ダイオラマという人造物の中にそうした空気感が再現可能なのであろうか、それはひとつの挑戦でもあった。だからダイオラマを作るという技術論などはどうでもよかった。大事なことはいかにそこにミクロコズモ/小宇宙を成立させるかにあった。先ず始めにLSのクルマありきで、必然的にスケールは1/32に決まった。そして映画で言えば脚本に当たるものを創作した。それに添ってシチュエーションを構成し、建て込みの設計を行なった。図面などは一度も描いたことはない。全てラフスケッチだけで進行した。その世界の中にボクたちは小さくなって入って行った。そうすることで現実的な臨場感を創り出そうと考えた。その世界の中に入り込むのはボクであり、読者の皆さんひとりひとりである。だからあえて人形/フィギュアは一切を廃した。第一、泥人形のような人間など居ないほうがリアリティを損なわないで良かろうと思った。アイディアはたちまちカタチとなった。その記念すべき第1回は駄菓子屋のある裏路地風景だった。それがモデルカーズ版三丁目の夕日のスタートであった。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2007年11月20日 14:34 | トラックバック
2007年11月07日
モデルカーズ的こころ(16)
時代の変化ほど激しいものはない。ボクが子供だった頃、録音できるテープレコーダーの出現は驚きであった。それまで録音機なるものは映画やテレビのプロが用いるもので、一般家電として誰もが使えるような時代がやって来るなど露ほどにも考えたことはなかった。最初に登場したのはオープンリールのテープ式で、業務用で言うところの「デンスケ」に似たものだった。映像は8ミリ映写機さえ高価で庶民の誰もが持てるようなものではなかったが、8ミリは画像だけで音声まではとれなかった。それが今や手のひらサイズのハンディカムが当たり前になってしまった。ただただ驚くしかない。ボクたちの青春譜たるレコードもたちまちCDに取って替わられてしまい、音楽もオーディオで居住まいを正して聞くものからハンディなウォークマンへと進化し、更に昨今では携帯からダウンロードさえできるようになった。
ボクの仕事と直接関わる原稿に関しても激変した。未だモデルカーズの執筆を始めた頃は手書き原稿が当たり前で、会社の専用原稿用紙が用いられていた。それがワープロの登場で文書作成は根本から形態が変わってしまう。原稿は書くものではなくなり、キーボートで打ち込み、それを用紙に印刷するものとなったのだ。そして今やパソコンの普及でワープロも絶滅寸前にまで追いやられている。今でも著明文士の「何とか記念館」などでは「手書き原稿」が恭しく展示されているが、ボクたちの時代では手書き原稿そのものが無いので、そうした収蔵品も存在しなくなるのだろう。原稿を書くという形容も不自然なものとなり、ペンを置くとか筆を折るなどの形容も似つかわしくなくなる。
手書き原稿の時代は原則手渡しであったので、その手間だけでも大変であった。深夜であろうと僅か数ページの原稿を抱えてジープを飛ばしたことも数限りない。それが激的に変化したのはファックスの実用化に負うところ大であったが、登場して暫くはファックス機もとても高価なものであった。ボクも暫くは友人から譲って貰ったファックス機を使用していたが、これがまたサムソナイトの旅行鞄ほどもある大きく重い代物であった。また当時は電話局がファックスサービスをしており、編集部まで持参するよりはどれだけ楽か分からないので、ボクも随分と電話局には通った。たしか1枚当たりのファックス通信料は50円程度ではなかったかと記憶している。窓口でファックスを頼むと、局員がその都度先方に「ファックスが無事届いたかどうかの確認」の電話までいちいちしていたような時代でもあった。それが現在ではパソコンどうしでダイレクトにメールで繋がっている。かつてのような煩雑な手間ひまは一切必要ない。だから、ついつい取材相手との連絡までメールで済ましてしまったりしがちで、年配の方から手紙などいただくと「ちっ、手紙かよ。めんどくせえ」などと考えてしまう自分が居たりして反省することしきりである。やはり人と人との繋がりは利便性だけでは成り立たぬ。できることなら直接会って、顔を見て、目を見つめ、話し合うべきだろう。またメールなどといった簡便なものではなく、ペンを握り用紙と向かい合って先方に思いをはせつつ手紙をしたためるのも、対人関係を築く上では大切で重要な要素と胸に刻んでおきたい。不便さを廃する余り優しさや温かさを失ってしまっては、円滑で誠実な対人関係は育めぬ。「人様のおかげ」で仕事が成り立っていることが身に染みているボクでさえ、ついつい合理性とスピーディさを優先させてしまいがちだ。日々パソコンに向かっているボクとしては、常に自分を戒めることを忘れぬよう心掛けているつもりだ。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2007年11月07日 16:33 | トラックバック
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