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初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り


モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。

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2007年12月

2007年12月19日

モデルカーズ的こころ(20)

 現在ではパソコンが家電品のごとくに普及しているので、何かと便利であるのだが、モデルカーズ創刊初期の時代にはコンピューターなぞ一般庶民のものではなかった。それだけに今ならいとも簡単に出来てしまうことも当時は困難を極めた。ボクたちの仕事としては何よりも原稿を手書きする必要がなくなり、更にはその原稿をいちいち届けなくとも自宅に居ながらにして入稿出来るようにもなった。だがそれだけではない。モデルカーズでの仕事上ではパソコンの出現は全ての要素を劇的に変えてくれた。プラモデル今昔物語では古いキットのパッケージを掲載していたが、当時はカメラで撮影(初めはモノクロ撮影であった!)していた。古いキットであるから当然コンディションの良くないものも多かった。時にはネズミに齧られたりして(本当の話である…)箱の一部が欠損しているものさえあった。追々、更にコンディションの良好なものを求めてキット探し、撮影し直しなどが頻繁に行なわれた。当然、余分に労力も時間もコストもかかった。色調補正さえ出来なかったから、常に少しでも状態の良いキットを求めて各方面のコレクターの方々に協力を求め続けた日々であった。
 ディオラマ、その小さな世界でも当時、パソコンがもし在ったら、どれだけの恩恵にあずかれたか分からない。例えばポスターや看板、新聞紙、雑誌などの小物も当初は手描きした。当然、リアルなものなぞ出来よう筈もない。そこで写真に撮って使用した。カメラで撮影しベタ焼きした紙焼きプリントを切ってそのまま使うのである。1/32の大きさに合わせる為に距離をかえては何度も撮影しデータを採った。そしてDPEに出したベタ焼きを採寸しては、1/32になるように被写体との距離を微調整した。やがて経験則によって大まかな被写体との距離が計算出来るようになると、寸法合わせも比較的楽になったが、やはり誤差は生じてしまうのでその都度撮影し直した。上手く1/32縮尺で撮影出来たら、その紙焼きをデザインナイフで裏から削ってプリント表面だけに薄くする。これはペラペラになって向こうが透けて見えるくらいまで削らないと効果がないので案外と手間がかかった。しかも、うっかりするとプリント表面まで穴を開けてしまう。かなり集中力と根気の要る作業であった。そうしてようやく板塀に貼られたポスターや机の上に置かれた少年画報などが出来上がったのだ。今ならパソコンでいとも簡単に画像取り込みをして希望の大きさに縮小出来る。まさに当時のことを思うと隔世の感がある。
 ボクがようやくパソコンを導入した時、やはり何にもまして先ずやってみたかったのがプラモデルの箱であった。このリアルで精密な小物を作ることで、駄菓子屋の風景を今一度やってみたいと考えた。早速、三共ピーナツやマルサン1/100シリーズの画像原稿を作った。一枚に展開して本物と同じように組み立てるか、それとも面ごとに貼り合わせて箱を組み立てるか…プリントしてはみたもののどちらも不可能であった…余りにも小さいのだ。1/32ではプラモデルの箱が爪の先ほどもない。だがやりたい…ならばダイオラマ自体を1/24に拡大してはどうか。発想の転換であった。1/24の駄菓子屋の建て込みは余りにも巨大であった。この計画が幻に終わったのは言うまでもない。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2007年12月19日 17:35 | トラックバック

2007年12月11日

モデルカーズ的こころ(19)




 1/32ダイオラマ「ディオラマ、その小さな世界」は都合6回の掲載をもって終了となった。回を追う度、幾多の試行錯誤を繰り返しながらも、次第に手慣れたこともあって熟成を重ねていった。それだけに最終回となった「引っ越しの日の風景」は最も完成度の高いダイオラマになったのではないかと自負している。引っ越しの日の心象風景は少年時代、幾度となく転居を繰り返したボク自身の記憶をベースにしたもので、文中に登場する友達のオワタやチュー太も実在の人物名である。ついでに白状しておくと孝子ちゃんはボクの幼稚園時代の初恋の相手の名でもある。タータンチェックのスカートから覗く純白のパンツが眩しかったことをはっきり記憶しているが、そこには幼稚園児の稚拙かつ未熟なエロチシズムしか介在しておらず、思い出しても健康的なお色気に頬が緩む。まあ私感はともかく、状況設定を最もリアルに緻密に構築出来たと思っているシリーズ中の最高傑作である(と自画自賛してしまうワタシ…)
 ところで例によってこのダイオラマの状況設定も実在のモデルがある訳ではなく、全て頭の中のイメージによって構築したものであった。そしてそれをラフスケッチに起こし、ベース寸法や建物の建て込みを行なった。その際、家族構成やそれぞれの性格、生活レベルなどの家庭環境なども脚本を創るように練り上げていった。それらを総合して初めて建物の姿も見えて来るのである。要するに全ては想像の産物、つまりは絵空事であった。だから尚のこと一層、家族や生活などの環境設定の完成度が高くなくては、出来上がったダイオラマに説得力が伴わなくなる訳で、肝心なのは技術ではなく想像力なのである。
 その空想世界で作り上げた古い借家のダイオラマから15年の歳月が経ったある日、何と信じられないことだがボクはこの借家に実際に出くわした。正直、腰が抜けるほどに驚き(ベタな表現である…)、複雑な感傷と感慨で胸が一杯になった。似ていた。本当に似ていた。まるでかつてボクが描いた架空の家族たちがここで暮らし、別れの哀しみを抱えながら引っ越ししていった記憶がそのまま残されているかのような佇まいであった。既に取り壊しを待っているのだろう、永らく廃屋となっているのも、そうしたシチュエーションが現実のものであるかのようにリアルに感じさせた。場所はボクの住まいよりそれほど遠い地域ではなかったが、これまで偶然にも一度も入り込むこともなかった一画の路地裏であった。何だかあのダイオラマの物語の世界に実際に迷い込んでしまったようで、酸味を伴う懐かしさが胸を充たした。まるで昭和30年代へと時間旅行してしまった気分であった。迷宮の扉へ迷い込んでしまうなど小説の世界だけのことと思っていたボクが、突然に異空間と対峙していた。呆然と立ちすくむボクを現実世界へと引き戻してくれたのは、この細い裏路地へと入り込んで来たワゴンRのエンジン音であったのだが、それでも尚、ボクは夢を見ているような気分のままであった。世の中にはこうした不思議が実際にあるのだなあ、と改めて気付く。そして翌日、カメラを持って再度出向き撮った写真がこれだ。二度とあの家が見つからなかったらどうしよう、と心配したが、実際にはご覧のとおりちゃんとそのまま建っていた(笑) 今年の夏のちょっとした不思議体験であった。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2007年12月11日 17:45 | トラックバック

2007年12月04日

モデルカーズ的こころ(18)

 1/32ダイオラマは昭和という時代に生まれ育ったボクたちにとっては郷愁と感傷を伴う原風景であった。ボクは今でも土の上を歩くのが好きだ。足裏に伝わる優しい柔らかさが好きだ。靴底のラバーで保護しなくてはならないコンクリートやアスファルトの上は、きれいだけれど動物本来の生理的機能には不都合なものだと思っている。現代人は健康の為に都心でジョギングやランニングをするが、それ専用のシューズは欠かせない。仕方のないことかもしれないが、何だかボクにはそうしたことがいびつに思えてならないのだ。運動会の朝、真新しい白足袋から伝わる地面の感触が心地よかったあの時代は、今よりずっと自然と共棲出来ていたのだと思う。ボクたち人間がもっとずっと自然に近いところで生活していた時代。ディオラマ、その小さな世界に込められたテーマは単に良き時代への郷愁だけではなく、自然からどんどんと乖離して行こうとする人間社会に対して警鐘を鳴らす意味合いもあったようにも思う。
 昭和30年代の風景、そしてその時代の風俗文化を表わす道具などを求めてボクたちは随分と取材の旅をした。勿論、その為にふんだんに時間や経費がかけられる訳ではないので、関東近郊を急ぎ足で駆け回ることを常とした。その時分には未だホーロー看板が近在の農家や納屋の壁などでは珍しくなく、浪花千栄子のオロナイン軟膏や由美かおるのアース渦巻香取線香、水原弘のハイアース殺虫剤、松山容子のボンカレーなど、至る所で遭遇した時代であった。しかし既に裸電球の電灯や井戸、赤い鉄製の円柱郵便ポスト、タイル貼りのタバコ屋など、昭和30年代を象徴するようなものたちは消滅していたので、千葉や茨城などまで足を伸ばしては捜し歩いた。これには後日談があって、何日もかけて撮影取材を行なったあと、改めて自分の住む街、鎌倉でそれらの全てが実在していることが分かり、嬉しいような悲しいような微妙な気分になったことが懐かしく思い出される。
 木造建築は当然、決まりがあってそれを正確に守らないと現実にはあり得ない「すっとこどっこい」な張りボテになってしまう。日本建築に詳しい人から教授を受け、書店や図書館で古い和建築についての本を漁った。寸法採りも尺、寸が原則である。使用する材料も極力、プラ板などのケミカル樹脂は敬遠し、角棒、平板のなど木材を用いた。最初にぶつかったのはブリキトタンの波板であったが、これは金属棒を並べてその上から薄いアルミシートをプレスする工法に頼った。木材による家屋の基本構造は原則的に実物の建物と余り大きくは違わない手法であった。ただ人工物はどうにかなっても天然物は難しかった。例えば下生えの雑草や樹木などだ。小さな花や葉は1/32というスケールの場合、鉄道用の材料では限界があった。苦肉の作として朝顔や百合などの花や葉はひとつずつ和紙などで作ったりもしたが、手間が掛かり過ぎて群生するようなものはとても作れなかった。ともかく建物などの構造物は極力、実物と同じ工法で作るよう心掛けた。そうして生まれた最初の光景は路地裏の駄菓子屋と板塀の風景であった。手前味噌ではあるが、その時、ボクには入道雲沸き立つ青く高い空が見え、騒がしく響く蝉時雨が聞こえた気がしていた。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2007年12月04日 22:15 | トラックバック

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