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2007年12月04日
モデルカーズ的こころ(18)
1/32ダイオラマは昭和という時代に生まれ育ったボクたちにとっては郷愁と感傷を伴う原風景であった。ボクは今でも土の上を歩くのが好きだ。足裏に伝わる優しい柔らかさが好きだ。靴底のラバーで保護しなくてはならないコンクリートやアスファルトの上は、きれいだけれど動物本来の生理的機能には不都合なものだと思っている。現代人は健康の為に都心でジョギングやランニングをするが、それ専用のシューズは欠かせない。仕方のないことかもしれないが、何だかボクにはそうしたことがいびつに思えてならないのだ。運動会の朝、真新しい白足袋から伝わる地面の感触が心地よかったあの時代は、今よりずっと自然と共棲出来ていたのだと思う。ボクたち人間がもっとずっと自然に近いところで生活していた時代。ディオラマ、その小さな世界に込められたテーマは単に良き時代への郷愁だけではなく、自然からどんどんと乖離して行こうとする人間社会に対して警鐘を鳴らす意味合いもあったようにも思う。
昭和30年代の風景、そしてその時代の風俗文化を表わす道具などを求めてボクたちは随分と取材の旅をした。勿論、その為にふんだんに時間や経費がかけられる訳ではないので、関東近郊を急ぎ足で駆け回ることを常とした。その時分には未だホーロー看板が近在の農家や納屋の壁などでは珍しくなく、浪花千栄子のオロナイン軟膏や由美かおるのアース渦巻香取線香、水原弘のハイアース殺虫剤、松山容子のボンカレーなど、至る所で遭遇した時代であった。しかし既に裸電球の電灯や井戸、赤い鉄製の円柱郵便ポスト、タイル貼りのタバコ屋など、昭和30年代を象徴するようなものたちは消滅していたので、千葉や茨城などまで足を伸ばしては捜し歩いた。これには後日談があって、何日もかけて撮影取材を行なったあと、改めて自分の住む街、鎌倉でそれらの全てが実在していることが分かり、嬉しいような悲しいような微妙な気分になったことが懐かしく思い出される。
木造建築は当然、決まりがあってそれを正確に守らないと現実にはあり得ない「すっとこどっこい」な張りボテになってしまう。日本建築に詳しい人から教授を受け、書店や図書館で古い和建築についての本を漁った。寸法採りも尺、寸が原則である。使用する材料も極力、プラ板などのケミカル樹脂は敬遠し、角棒、平板のなど木材を用いた。最初にぶつかったのはブリキトタンの波板であったが、これは金属棒を並べてその上から薄いアルミシートをプレスする工法に頼った。木材による家屋の基本構造は原則的に実物の建物と余り大きくは違わない手法であった。ただ人工物はどうにかなっても天然物は難しかった。例えば下生えの雑草や樹木などだ。小さな花や葉は1/32というスケールの場合、鉄道用の材料では限界があった。苦肉の作として朝顔や百合などの花や葉はひとつずつ和紙などで作ったりもしたが、手間が掛かり過ぎて群生するようなものはとても作れなかった。ともかく建物などの構造物は極力、実物と同じ工法で作るよう心掛けた。そうして生まれた最初の光景は路地裏の駄菓子屋と板塀の風景であった。手前味噌ではあるが、その時、ボクには入道雲沸き立つ青く高い空が見え、騒がしく響く蝉時雨が聞こえた気がしていた。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2007年12月04日 22:15
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