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2008年01月22日
モデルカーズ的こころ(21)
新年早々、別件の仕事で世田谷は野沢にある生沢 徹邸を訪ねた。以前も一度インタビューに伺ったことがあるのだが、振り返ってみるとそれもはや20数年も昔のことで、時の流れの早さに今更ながらに驚いてしまう。かつてボクたちが少年の頃、オートスポーツやカーマガジン(ベースボールマガジン社の先代カーマガジンである)誌上で見ていたあの紅顔の美青年(この比喩の場合は美少年なのではないのか…ま、いいや)も、今や1942年8月生まれの御年65歳である。しかし昔のままの細く小柄な体つきで、すっかり白くなられた頭髪を短く刈り込まれ、くつろいだ黒のスウェット上下で迎えて下さった氏の印象は、あの頃ボクたちが著作からイメージしたシニカルでドライでフランクなままであった。そして自宅内に飾られた丹頂鶴をイメージした「あの」紅白に塗り分けられた当時のヘルメットに、ボクの心はたちまちは1960年代へとワープして行くのだった。スカイライン1500、スカイライン2000GT、ポルシェ906、ポルシェ910、ホンダS800…嗚呼、これらの懐かしいマシーンたちは今もボクの脳裏で'60年代のエグゾーストノートを奏でている…。ただこの中にホンダF-1がないことが今も心残りであり残念だ。氏ご自身もやはり人生に悔い無しとは言えどもF-1にだけは思いが残っているようだ。これから先の人生に何らかの形でF-1に関わりたいとの心情が見てとれた。思わず丹頂鶴をモチーフとしたカラーリングのIKUZAWA-TI01 F1がサーキットを颯爽と駆けるさまを妄想せずにはいられないその時のボクではあった。
量販店で買ったMTBを乗り回していたら「生沢 徹がそんなモノ乗ってちゃいけない」ととあるファンの知人から100万からするMTBを贈られたという逸話を伺いながら、うーむ、ボクにも似た話があるなと感慨に耽る。バイクを降りて数年、その後、ウチの庭に放置プレーされていた我が家の愚息のカブを何とはなしに乗る気になり、キャブを洗浄しタイヤとバッテリーを交換して乗っていたところ、古くからの友人たちが「そんなモノは似合わないからやめろ」と1968年型ホンダCD250をボクに預けてくれたのである。CBとは違い、かえって今となっては貴重なモデルで、現存数(それも実動車となると)は極端に少ない稀少車であると聞く。それをボクは好きに乗って良いからのご宣托をいいことに自分の好き勝手にCBの前後メッキフェンダ(しかも友人のCBから借り受けて…)を取り付けたり、やりたい放題し放題である…その上、トラブルが出ると出張修理までやってもらっている。勿論、ボクが生沢 徹と同列に扱われている、などと厚かましくも勘違いするものではないが、やはり友情とはかくも有り難いものである。生沢氏のクールでドライでビジネスライクなスタンスから較べると、ボクの場合は全くもって演歌のような生きざまではあるが、それがボクのスタイルであるので仕方ない。過去のモデルカーズもそれ以外の仕事も、ボクはそうした仲間たちに支えられて勇気づけられて励まされて成し遂げて来た。多分ボクのような生き方はカッコ悪いのだろう。だが、それでしか生きて来られなかったし、これからもそうして生きて行くのだろう。ボクはそうした思いの勇士たちの力を借りて、ひとつでも多くの心に残る本を残して行きたいと思っている。皆の思いを乗せてボクはこれからも文字を紡いでいく。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2008年01月22日 16:09
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